7.幸せな生活の物語
ニシキは自分自身を責めていていた。
まだ結婚詐欺の仕事をちゃんと辞められていない。それに沙希にもちゃんと伝えていない。
何もせずに沙希の家でぼぅーっとして過ごしていられるが、本当は新しい仕事を探さなくてはならないだろう。
幸せなはずなのに小さな不安は消えてくれない。やらなくてはならない事がたくさんある。
それでも今はまだ、何一つうまくいきそうになく、何もやる気が起きない。
そもそも人間嫌いでゴミの山でゴミくずを拾って暮らしていた男だ。
やっとやる気を起こして始めた事は、結婚詐欺だ。
今は小学校の教師をしている彼女の家に住んでいられる。
何もかもが間違っている。気分は優れない。何かをしなくてはならないのに、思い浮かぶ事は何もない。
『何かをしなくてはならない』
何も出来ない。そもそもしたい事はないし、どうしてもしなくてはならない事はない。
『このままでいいのかな?いいわけないさ』と、悩むばかり。何もしないまま、日は暮れてゆく。
沙希が家に帰ってきた。
「おかえり」
「ただいま」
沙希はいつもながら不穏な空気を溜め込んでいる。そしてニシキに話し出す。
「もおおおおおおお、ほんんんんんとおおおおおおおお、嫌なの。嫌なのよ。どうにもならない。どうにも出来ない。どうしていいかわかんないの。ほんんんとおおおおおおお、今日もちょおおおおお嫌だった」
「ほんと、世の中、やなこと、ばかりさ」
「???どうしたの?いつもより暗いよ」
「そうか?僕はこんなものさ。暗い人間なんだ。悪いことばかりやって、嘘ばかり付いていた」
「らしくないよ。いつもの笑みを見せて」
そう言って、沙希は微笑む。
いつもと逆の立場だ。
沙希が励まし、ニシキが励まされる。
でもニシキは元気になれない。
愚痴を言って解決するような問題じゃない。
「本当に、僕はここにいて、いいのかな?」
沙希は微笑んだ。
「そんなんで悩んでいたの?そんなの、悩むことじゃないのに」
「でも、僕は君が思うより、悪い事をして、ここに来た。やがては警察に捕まってしまうかもしれない。そうすれば君も何らかの形で巻き込まれることになる。警察でなくても、僕にはいろいろな仲間がいた。僕は君と暮らすためにそいつらと縁を切らなくちゃならない。そうすると、どんな仕打ちに合うかわからない。君も巻き込まれるかもしれない」
「いいんだよ。そんなの。わたしは、ニシキ君が傍にいてくれればそれでいい。どんな目に合おうといいよ」
「そんな単純じゃない」
「わたしだって、そんな単純に答えているわけじゃない。だってあなたに会えなかったら、わたしはもうとっくの昔に死んでいたかもしれない。とても苦しくて、つらくて、どうしていいかわからなかった。あなたに会えたから、今のわたしがあるんだよ。どんな形でも、今ここにこうしていられることが救いなの」
人間なんて一人も信じられないはずだった。世の中の幸せな人間は皆、敵だった。
ニシキはそうやって生きてきた。
でも今、彼は心から幸せを感じている。
幸せを感じた経験のない人間が、初めて幸せを感じて戸惑っている。それがまるで本来の自分でないという気にさせている。
いつもなら、良い出来事のすぐ未来には不幸が訪れる気がしていたし、すぐに過去の自分の落ち度を責められ、幸せを感じる前に不幸に戻されていたはずだ。
ニシキは自分に戸惑った。幸せは、イコール自分らしくないという気がした。
『でも、そんな事は考えるべきじゃないんだ』
ニシキは自分に言い聞かせようとする。
幸せが訪れる日もある。
『幸せがある今に、過去も忘れ、未来も恐れなくていい。望むまま、ありのまま、ここにいてもいいのだから』
ニシキはそう考えて心を落ち着けた。
「そうだね。今、僕たちはここにこうしていればいいんだね。あまり考えるのはやめよう」
そう言うニシキに、沙希もニッコリ微笑んだ。
※
たとえばクリスマスという行事があって、それが誰のための何なのかを考えたとき、それはクリスマスを祝う誰かのための大切な日であって、クリスマスを祝わない人間には何の関係もない、ただの12月25日なわけである。
ニシキにとってその日は27年間、ずっとただの12月25日であった。でも2021年のクリスマスは違った。その年、ニシキもその日を祝う側の一人に加わった。
彼はクリスマスとキリストの関係も知らない。とにかくクリスマスという日が来たら、浮かれてパーティーをする。そしてそのクリスマスという日を祝う。それは全く意味不明だが、日本に住む世の中の多くの人間がその意味不明なお祝いをしていると思っている。
ニシキにとってはクリスマスに限らず、何かの記念日は全て意味不明な他人の行事でしかなかった。でも2021年は違った。2021年後半は行事だらけで、予定が埋められた。
「もうすぐクリスマスだね」
なんていう女の子がニシキの傍にはいる。
それはクリスマスだけじゃない。
「ニシキ君、もうすぐ誕生日だね」という日もあったし「わたしたちが会ってから今日で半年経つね」という日もあった。
最初ニシキはその記念日をどうでもいい一日と感じていた。でもニシキは沙希がなぜそんな記念日の話をするのかという理由に気づいたとき、その色々な行事を大切にしようという気持ちに変わった。
「明日も明後日もやなことばかり。あれも嫌だし、これも嫌!」
沙希はいつもそう言っている。
「だけど、クリスマスはパーティーがしたいの」と言う。
つまり、沙希にとって、何かの日は何もかもがいやな日から抜け出せる楽しみ未来の一日なのだ。
何もなかったら、ただ嫌な毎日が続く。だからそれでも未来には楽しみが待っている。そんな記念日を沙希は大切にしている。
2021年、ニシキは日付を意識するようになった。そしていつまでに何をやるかを決めるようにした。
そうしたらいろいろな事が進み出した。
日付を意識すると、未来には面倒事ばかりが目立ったが、何をすればいいかはクリアになっていった。
ある日には左の男と呼ばれる男にも会いに行った。そして思いきって、結婚詐欺師を辞めると告げた。
左の男は答えた。
「いいさ。好きにするがいい。君は俺にとって稼ぎになった。これ以上はお互い何も無しだ。君が借りていたマンションもこちらで処分しておく。どうしても必要な物があったら、1週間以内に全て持ち出しておくんだな」
ニシキには特別必要な物は無かった。必要な衣服やその他の物は、すでに沙希の家に運んでいた。だから結婚詐欺師を辞めるのは、悩むほどの問題ではなかった。散々恐れていた仕打ちは何も無かった。
世話になったカズさんという男にも会いに行ってみたが、あいにく彼は留守だった。
ニシキはそれでも一緒に住んでいた子供に自分が結婚詐欺師を辞めた事を告げた。
いろいろな過去が離れてゆく。そして新しい記念日が増えてゆく。
「来年はちゃんと働こうと思う」
クリスマスの日にニシキは沙希に言ってみた。
「それはいいと思う。だけど、そうしたら、いつもいる時間にニシキ君はいなくなっちゃうのか(残念)」
「大丈夫だよ。そうしたら、沙希は学校の先生を辞めたらいい。そうしたらいい」
「でも…」
「大丈夫。きっと大丈夫」
ニシキにはよくわからない自信があった。いろいろと日を決めて進めてゆく中でうまくいった結果がニシキに自信をもたらしている。
「そうだね。そうだよね」
沙希は微笑んだ。
もうすぐ2022年を迎える。新しい年の始まり、それもまた記念日で、その先にある色々な行事もまた記念日だ。
ニシキの未来は楽しみに溢れていた。未来は良い事ばかりある。
この時のニシキは信じていた。それがニシキの知った幸せだったから。




