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夢と物語と泥棒と不幸  作者: こころも りょうち
2.物語との交錯
12/42

5.物語の続き

 40過ぎの太った女にさえ嘘を付けない。ニシキは絶不調に(おちい)っていた。

 とある市のどこにでもありそうな住宅街に、左の男と呼ばれる男が住んでいる。ニシキはそこを訪れてまた失敗の報告をする。

 どこかにありそうな個人の不動産屋みたいな事務所のカウンターに座って、彼は首をうな垂れた。

「ごめんなさい。また一円も騙せませんでした」

 カウンターの向こうで、左の男は鋭い目をしていた。

「悩ましいな。おまえを見つけたのは俺だ。俺はおまえが役に立つと思って雇った。半年前まではいい働きをしていた。いい仕事っぷりだった。嘘を付く事、そのためにしなくてはならない事、おまえは何でもできた。それはおまえが優れていたからじゃない。おまえが欠点だらけだったからだ。おまえの良い所は顔だけだ。後は何一ついい所がなかった。悪人に向いていた。それで良かったはずなのに、おまえは最近、自分に良い所を作ろうとしている。それは他人を気にしなかったおまえが、他人を意識し始めたからだ。悪人に向かなくなってきた。なぜそうなった?その理由が俺にはわからない」


 季節は夏になっていた。ニシキは沙希と会う事を止め、再び結婚詐欺を始めていた。

 しかし失敗が続いた。女を騙すのは簡単だったはずだ。簡単にできるはずが、嘘を付いたり、女をその気にさせたりしようとすると、沙希の悲しむ顔が浮かび、その瞬間、ニシキは自分がやっている事に幻滅した。

 そして我に返ったように、自分が何をしているのかを悩み出してしまう。

『これは俺じゃない』

 そう思えば思うほど、ニシキは仕事ができなくなっていた。女を騙せなくなっていった。


 ニシキは左の男に何も答えられない。椅子に座り(ちぢ)こまり、黙っている。自分自身が一番どうなってしまったのか分からずにいた。

 左の男は立ち上がり、何も言わずに裏へ消えてしまった。

『帰るしかない。そしてもうここには二度と来ないだろう』

 ニシキはそう答えを出そうとした。

 立ち上がり去ろうとすると、左の男は裏から再び姿を現した。

「おい、待てよ」

 カウンターから出てきて、出入口で去ろうとするニシキの肩を掴んだ。そして封筒を渡した。

 ニシキはそれがまた新しい仕事の相手が乗っている資料かと思い、受け取りを拒否する。

「すみません。今はできそうにありません」

「いや、こいつを取っておけ。そして、考えろ。もう一度だけ。答えを出すのはおまえだ」

 左の男はそう言った。

 仕方なく、それを受け取った。どことなく資料とは思えない。薄っぺらい紙の入った封筒に感じられた。それを受け取り、ニシキは左の男のいる事務所を出た。

 封筒の中を確かめた。数十枚はある一万円札が入っていた。

 何の事だかわからなかった。わからなかったが、ニシキは素直に受け取っておくことにした。


 その金がなぜ渡されたのか、何度か考えてみたがその答えは定かではなかった。

 ニシキはそのお金を元手に新しい生活を始めることとした。普通の一般人と呼ばれるような生活をしようと考えてみた。

 普通の生活を始めるにはどうすればいいか、ニシキは知らなかった。どうするか迷い、迷いに迷った結果、1ヵ月後、結局ニシキは沙希のいる場所に来ていた。


 ニシキが追い回していた頃と同じような生活をしているかわからなかったが、いつもベンチに座っていた公園に行くと、沙希はそこにいてくれた。

 半年前と何も変わらない。つらい事もあったろう。でも沙希は変わらずに毎日を堪えて送ってくれていたようだ。ニシキにとってはそれが嬉しかった。

 実は沙希は、いつかこうなる日が来るのを待っていた。だから何があっても変わらない日々を続け、ニシキに会える日を待っていたのだ。

 二人の気持ちは一致していた。すれ違う可能性がなかったわけじゃない。

 もう少し遅かったら、沙希はニシキを諦めて、仕事を辞めて、自殺していたかもしれない。逆にニシキはその日、公園を何度か訪れて沙希に会えなかったら諦めて目的のない旅に出てしまったかもしれない。

 でもその日その時、二人は同じ場所で再会した。初めて出会った時のような、当然にして極偶然のような出逢いがそこには待っていた。


「伝えないといけないことがある」

 公園のベンチに座っていた沙希に近づき、ニシキはそう告げた。

 沙希は顔を上げて、ニシキの顔を見返した。

「僕は、家も、行く場も無くなってしまったみたいだ。君には散々嘘を付いた。僕は何もない人間だから」

 沙希は怒った顔を浮かべた。

「わたしも言いたい事がたくさんあるんです。言いたい事がたくさんありすぎて、胸の中がすっきりしなくて、どうしようもないんです」

 ニシキは頷いた。

「何でも聞くよ。君の言うとおりにする」

「学校の教頭の話もしたいし、体育担当のハゲおやじの話もしたい。悪ガキの話もしたいし、優等生だけどむかつく男の子の話もしたい。わたしはあなたに話を聞いてほしかったのに、どうしてどこかへ行ってしまったの?」

 沙希は少し怒鳴ったような声でそう言った。ニシキは驚いた。

「本当に、君が僕に言いたいことはそんな事だけなの?僕に対してもっと言いたい事もあるだろう?」

 沙希は首を横に振った。

「特にはないです。特にはないですけれど、できる限りわたしの話を聞いてほしい。聞くだけ聞ける場所にいつもいてくれればいい。私の我がままですけど」

 いつもよりナチュラルな沙希がそこにはいた。自然な感じで、沙希はニシキに話しかけていた。

「いいよ。いくらでも聞くよ」

 そう言って、ニシキは沙希の隣に座った。


 それから長い長い愚痴が始まった。

 普通の人が聞いたら本当にイライラする話だろう。

 だから何なのか?何がしたいのか?

 沙希はいつもはっきりしない。だけどニシキはその話を聞くことができた。気づかなかったけど、人と会話をする事に()えていた。

 誰かと話をするのが面倒だった昔と違い、今は誰かと話がしたいと感じるニシキがそこにはいた。

 そしてそれはできる限り信用のおける相手の話が良かった。沙希ほど信用のおける相手はいない。誰も信じずに生きてきた男が、始めて心を許せる相手の傍にいた。

 ニシキは沙希の色々な話を聞いていくうちに、沙希の様々な部分を知っていた。嫌な部分も、好ましい部分も、沙希は全てを打ち明けていたから、ニシキは沙希を信用しきってしまったのだろう。

 それは『自分はカウンセラーだ』なんて嘘を付いていたニシキの責任でもある。

 今となってはその嘘があったからこそ二人を繋いだが。

 宗教家でもなく、占い師でもない、カウンセラーだったから、ニシキは沙希の話を聞いた。沙希は素直に自分を話した。それだけだった。それが二人には互いに必要だった。

 その日も長い沙希の話が続いた。やがて日が暮れて、夜、肌寒くなって、二人が同じ家に帰ることになるまで、二人の会話は続いた。いろいろな小さな偶然が二人を結び付けていた。

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