四話 通過儀礼
アアル王国では、十歳の子供に一つの通過儀礼が課される。
都市、乃至は各地の小さな村々という安全圏から外に出て、野生の魔物と相対する。最低限の安全を確保するために大人の戦士が引率するが、彼女たちは本当に最低限の手助けしかしない。
幼い戦士にとっては、自力で臨み、自力で勝利を掴む、初めての実戦だ。
ファーナムが、緊張とそれを遥かに上回る高揚感を携えて集合場所に赴くと、可憐な幼馴染に先を越されていた。
「カナン。お前、早くね?」
「んにゃぁ。緊張してかなり早く起きちゃって……」
「遠足前の子供か」とツッコミを入れようとして、まさしくその通りだったと思い直す。
ニ十分も経つと、他の参加者も集まり始め、引率の大人が点呼を取った。
メンバーの内訳は、子供五人と大人二人。都市全体を見渡せばもっと多くの十歳児がいるが、隊の人数が増えればそれだけ行軍速度が落ちるし、大人たちも面倒を見切れない。
そのため子供たちをグループ分けして、それぞれの初陣の日程をずらしているのだ。
ファーナム含め、この班の子供は全員が都市の内側で生まれ育ち、外は未経験だ。移動中も、緊張から口が固くなる。引率と番兵との、都市の外へ出るためのやり取りさえ新鮮だ。
「頑張りな。応援してるよ」
番兵から激励の言葉を貰い、都市の内外を隔てる大門を潜る。
瞬間、視界が大きく開けた。人影一つ、建物一つないのだ。
人の営みに溢れる首都と、砂の大地。二つは隣り合っているにも係わらず、まったく似通わない。門から一歩踏み出した先は、まるで異世界のようだ。
アアルの民が最大の繁栄を享受する、首都は陸の孤島でしかなかった。何もない砂漠は、ただそこにあるだけで威容を見せつける。剥き出しの自然に比べて、人の築いた都市の何と小さなことか。
吹き抜ける熱砂の風こそ、大自然の息吹だ。前世の記憶を保持する、ファーナムをして浮足立つ。
「さあ、行くぞ。気合を入れろ」
隊列は先頭と最後方に大人を置き、子供を挟む形だ。先導に従って、子供たちは戦士の背中を追った。
整備された都市の道とは違って、砂漠は歩き難い。一歩一歩、柔らかな砂に足が沈み込む。大人たちからは散々忠告を受けていたが、実際に体験してみると予想を遥かに超える。
タッ、タッ、タッ、タッ、と先頭の女戦士は一定のペースで進んでいる。対して、悪路に慣れていない、子供たちは付いていくだけでも一苦労だ。『魔物の討伐』と伝えられていたが、そこには『砂漠の移動』も含まれるのだろう。
「お前たちには、ヒルバルと戦ってもらう」
砂地に四苦八苦するファーナムたちの様子に気付いているのかいないのか、先頭の戦士は前を見据えたまま儀礼の詳細を説明していく。
遮蔽物も雑音もない、砂漠では張りのある声が響く。聞く者の耳にスッと入った。
「敵数は一。群れからはぐれた個体を狙うか、あるいは適当に集団を間引いて戦闘に入る。
こちらか出るのは、一人か二人だ。あまり人数が多くなっても、連携が難しくなるだけだからな」
大人も子供も、ファーナムはカナン以外と面識が無い。初対面の人間と、極限状態で呼吸を合わせられるとも思えないので、少人数の戦闘は願ったり叶ったりだ。
コンビで戦うならば、カナンと組む以外考えられない。単独でも戦ってみたいが、初戦からはハードルが高い。
まずは二対一だ。ここで戦場と戦闘の空気に慣れて、勝利を飾ることが出来なければ、一人で魔物を打倒できないだろう。単独戦闘については、二対一の勝敗が決してから検討しても遅くはない。
「五人全員に実戦を経験してもらう。それぞれが二回以上戦えると良いが、こればかりは時間の問題だから、今は何とも言えん。
まあ、敵は一体のみ。左右や背後から強襲される心配はないんだ。思い切っていけ」
二人掛かりならば、ヒルバルを前後から挟み撃ちに出来る。
一人が囮となり、もう一人が『思い切っていけ』ば、背後からの一刺しで勝負を決することもあるだろう。
逆にまごついてしまえば、いつまでも攻め入るタイミングを掴めない。下手をすると、防戦一方のまま敗走ということもあり得る。
子供たちは戦いの素人だ。不利を覆す、腕も頭もない。だから自ら攻め込むことで序盤から主導権を握り、優勢を保つ以外に勝ち筋がない。
「さあ、誰から戦る?」
女戦士が振り返り、ファーナムらに問う。彼女らが指さした先にはある物は砂――ではなく、砂色の魔物だ。
真昼間であってなお、人の目を欺く高度な擬態。熟練の戦士が指摘しなければ、ファーナムは無警戒に近寄り、手痛い襲撃を受けただろう。
これが野生のヒルバルなのだ。剣闘試合の敵役とは全くの別物だ。
「俺とカナンの二人が行きます」
ピッ、と挙手してファーナムは名乗りを上げた。
彼の理想とする英雄ならば、木っ端の魔物一体に臆することはない。憧憬に追い付く、あるいは乗り越えんとする者として、尻込みするわけにいかないのだ。
「うえぇ。ファーナムと戦うのはいいけれども。一番手はプレッシャーとかもキツイし、出来れば他の人の戦い方とかも見たいから、二番か三番がいいにゃあ」
「オッケー。じゃあ一番槍行こうぜ」
「あれ? 『じゃあ』の繋がりが意味不明なんだけど??」
「うむ、二人の健闘を祈る」
「あたしの意見を聞いてくれる人がいない!?」
憤慨するカナンも、ファーナムがヒルバルの下へと向かったらば、その場に留まりはしない。正面からゆっくりと魔物に近寄っていく、小さな戦士を援護するために、その後方に位置取った。
ファーナムが此度の儀礼のために持参した武器は、ショートソード一本のみ。奇襲可能な地形でもないため、真っ向勝負を仕掛ける。
「しゃああッ!」
『ギャアアッ!』
大上段からの唐竹割が、横に寝かせた大剣の腹に防がれる。手入れを怠ったのか、ヒルバルの獲物は錆び付いているが、分厚い剣身の耐久はショートソードの切れ味に屈さない。
膂力に優るヒルバルが押し返し、二つの刃が離れた。
大剣を振り抜いたときに一歩踏み出し、次撃の予備動作とした魔物。剣を弾かれた勢いに身を任せ、振り被るように腕を後方にまで伸ばす少年。
二者の鋭い吐息が重なるや、両刃が何合となくぶつかり合い、空中に火花を咲かせていく。
力自慢のヒルバルに、ファーナムは技量で対抗する。重量と破壊力が特徴の大剣を、ショートソードの小刻みな斬撃が捌く。
「にゃにゃん!」
ファーナムが稼いだ時間で以って、準備を終えたカナンが魔術を行使する。
魔力の浸透した、砂が独りでに動き出す。ズズ、ズズ、とヒルバルの足元に這い寄ると、そのまま蛇の如く絡み付く。
術者の意思に従い、砂は凝固し即席の拘束具と化した。剣戟の最中に、足止めされたのだから、ヒルバルとしては堪ったものではない。
グラリ、とよろめき、その顔面にショートソードの切っ先が迫る。
『ッァアアアアア!!』
それは生存本能か、それとも闘争本能か。
崩れた体勢は元に戻せない。無理に力を込めれば、硬直し、急所を曝け出すことにしかならない。
だから、ヒルバルはただ首を捻る。最小限の動作で、切っ先の軌道から脳髄を逃したのだ。代償として頬肉を貫かれるも、それだけでは強靭な魔物の生命力を刈り取るには至らない。
「チッ」
千載一遇の好機を逃し、ファーナムは舌を打つ。
カナンとの連携が決まったのは、それが初出の手札だったからだ。次からは、今回ほどの効果は見込めない。
「けど、まだいける」
大剣は重く破壊力に富みリーチも広いが、その反面小回りが利かない。ショートソードが魔物の頬を抉った、互いの肌が触れ合うような間合いにおいて本来の性能が発揮されない。
ヒルバルは九死に一生を得たが、窮地を脱してはいないのだ。
後方に下がる怪物と、前進して追い縋るファーナム。一度密着した両者の争いは、己に優位となる、間合いの争奪戦だ。
「逃がさない、にゃ!」
骨格的に大概の生物は下がるよりも進む方が得意だ。体格差によって保たれた、ヒルバルの後退速度とファーナムの前進速度の均衡を、カナンの妨害工作が少年へと傾ける。
魔物は唸るも、半端に下がってしまったせいで、逆襲しようにも猫人の少女は射程の外だ。
支援が途切れる心配がないから、ファーナムは果敢に斬りかかる。
彼が壁となって魔物を押し止めるから、カナンは逆襲を恐れず補佐に全力を注ぐ。
十年来の絆が、以心伝心の連携を可能とした。
『ォオオアアアアッ!!』
ヒルバルは後退を封じられた。下肢の使用だって厳しい。旗色は極めて悪いが、それでも勝負を投げない。
なぜなら、負けたら死ぬ。死なないために、死ぬ気で抗うことなど当たり前だ。
野生の生存競争に生きる、全生物の共通原理。彼らの辞書に降参の二文字は記載されていない。
上半身の筋力のみで、ヒルバルは大剣を縦横無尽に振り回す。力任せの荒業は、力と重量で叩き切る、大剣との相性が抜群だ。
「ここまで来て負けられっかよ……!」
大刃の乱舞を、弾き、逸らし、受け流す。ヒルバルが『力』の一点に専心するならば、ファーナムは『速度』と『技量』を押し出す。
ヒルバルの体表に複数の赤筋が走る。しかし、いずれも浅く、肌を裂いただけだ。骨も肉も断ててはいない。
ヒルバルの大斬舞は一発当てただけで逆転勝利を引き寄せる、破壊力が宿っているのだから、ファーナムも肝が冷える。
小さな傷の積み重ねが魔物の命を削り取るか、あるいはヒルバルが大当たりを引くか。
どちらにも転び得るから、焦燥が収まらない。一合剣を交わすたびに増大していく。
『ギャア!』
先に痺れを切らした、ヒルバルが大きく獲物を引く。グググ、と背を弓なりに逸らして構えた刃。
湧き立つ『必殺』の気配に、ファーナムは冷や汗を流す。小細工抜きの一閃は、確実に防御を貫く。受け流すことも、弾いて軌道を曲げることも出来ない。
けれど、あからさま必殺の構えは、攻撃のタイミングが明白だ。そしてタイミングさえ重なれば回避できる。
どんな攻撃も、当たらなければノーダメージだ。死神の足音を、勝利の女神の微笑みに変えるべく、ファーナムは飛び込んだ。
「そこ、だっ!」
いつかの剣闘試合で目撃した、胸が接地しかねない疾走法。それを参考に体を前に倒して、横薙ぎを潜り抜けながらショートソードの射程に捉える。
一度倒した体幹は元には戻らないし、そのまま走るには練度不足。しかし、左手を砂地に突き立てれば、剣の一振りは出来る。
跪くような体勢から放つ、その刃の先に威力が乗ることはない。それでも、細く柔い、体の末端部位ならば斬り飛ばせる。
『ァア?』
ヒルバルの手から紅血が噴出した。指を失ってしまっては、腕力にどれほどの自信があろうと物を掴めない。
『必殺』の勢いのまま、錆び付いた大剣はどこぞへとクルクル回りながら飛んで行った。
「ふッ、にゃああああッ!」
指を奪い、武器を失わせた。ファーナムは、まさにあと一歩のところまで魔物を追い詰めた。けれど、膝と片手を着いた彼では、そのあと一歩を詰め切れない。
だから、カナンはファーナムの脇を擦り抜けて躍り出た。最終局面に達した戦闘に、足止めは不要だ。魔術の代わりに、ナイフを逆手に握る。
彼女は魔術師ではない。魔術だけが取り柄の少女ではない。猫人特有のしなやかな敏捷を武器とする、軽戦士でもあった。
脅威を遠ざけようとしたのか、ヒルバルが咄嗟に伸ばした手を掻い潜り、喉笛に短刃が食らいつく。駄目押しとばかりに、間髪入れずに刃を捻る。
神経と筋肉を千切り、ヒルバルを冥府へと突き落とした。