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二話 少年の一日

 夕方以降に厳しく自身を追い込み、気絶するようにして床につくファーナムだが、意外と彼の朝は早い。

 極度の疲労故に夜更かしできず早い時刻に就寝し、またその眠りも深く質が良い。持ち前の健常な体は一晩で快復し、早朝に起床するのだ。

 そして、太陽が顔を出したばかりの涼しい時間帯から鍛錬を開始。夜間のそれにも過酷さに耐え、クタクタとなった体で朝餉を前にする。傷ついた細胞を癒すためには、あるいは体格を大きくするためには、量の多い食事が不可欠だ。

 野菜を、穀物を、肉を食らう。吐き気を我慢し、貪り、腹に詰め込んでいく。


 ストイックを極めた、ライフスタイルを貫くファーナムだが、その日々が辛くないと言えば嘘になる。

 成長の実感や達成感が苦しみを上回っているものの、その苦しみが消えてなくなったわけではない。痛いものは痛いし、苦しいものは苦しい。だから鍛錬とは別に、モチベーションを高く保つための習慣として、散歩を己に課していた。


 日中の熱波と、夜間の寒波。その二つの対策に、砂漠の旅人は分厚い外套を纏う。しかし、遮蔽物の少ない土地のため強風が吹き荒れ、ヒラヒラとした外套は翻ったり、肌に纏わりついたりと大忙しだ。

 戦士の多い、アアルの民はそのデメリットを嫌った。戦闘中、全身を布地に纏わりつかれては、鬱陶しいことこの上ないのだ。

 加えて、重量のある装備を身に付ければ、柔らかい砂の大地に足が沈んでしまう。少しでも機動力の低下を避けるためには、重量の軽減――軽装が好ましい。

 そのような背景から、アアル人の伝統衣装及び戦闘衣(バトルクロス)は露出が多いか、肌に吸い付き体のラインが浮き出るタイプが基本だ。寒暖や強い日差しも、アクセサリー型の魔道具(マジックアイテム)を装着すれば克服できる。


「素晴らしい……!」


 王国人口の男女比は一対九。街の大通りに出れば、前後左右を異性に囲まれる。

 視界を埋め尽くす、半裸の褐色美人たち。眼福とはまさにこのことだ。

 鍛錬の苦しみを飲み下し、己の原点(ハーレム願望)に立ち返らせてくれる。


楽園(アアル)はここにあり!」


 近所の年上の女性も、幼馴染の少女も、まだ見ぬ巫女や女戦士に狩人も。アアル王国ならば、強さ一つで手に入れることが出来る。

 夢のある話だ。想像するだけで、決意が無限に燃え上がる。


「こうしちゃいられねえ。もっと鍛えねえと――!」


「にゃーん!!」


 腰を落とし、足に力を込める。ドッ、と強く地面を蹴りつけ駆け出した瞬間に、後方から衝撃が訪れた。

 予測不可能の奇襲に、ファーナムは受け身も取れずに顔面から倒れ込む。(したた)かに打ち付けた、鼻っ柱を抑えながら首を捻れば、一人の少女が彼の背中に抱き着いていた。

 カナン・ニャンパット。ファーナムの幼馴染だ。

 猫人族の彼女の頭にはフサフサとした三角形の耳が、腰のあたりからはゆらゆらと揺れる、細長い尻尾が生えている。

 くりくりとした蒼玉の瞳は、可愛らしくも美しい。爛漫の笑みは太陽を思わせる。


「カナンさんや、いきなり抱き着くのは危ないからやめようって言ったよね?」


「にゃ? そんなこと言ったにゃ??」


「お前猫だろ。鳥頭になってんじゃねーよ」


 少女を引き剥がし、立ち上がる。愛用の腰蓑を叩けば砂埃が舞った。

 カナンの性根は極めて善良だ。見下ろした、蒼の双眸には悪意の一欠片も宿っていない。悪意が無いから、罪の意識が無く、それゆえに反省とは無縁。同じ過ちを繰り返してしまう。


 それでもファーナムは彼女を嫌えないし疎まない。今回のように事故の危険は潜むが、異性に抱き着かれて喜ばない男はいない。

 況してやファーナムは幼くして酒池肉林を夢見るほどに、男の性に忠実だ。カナンとの逢瀬を、少なからず歓迎している節があった。


「んで、何か用か?」


「構って!」


「二日前に遊んだばかりだろ」


「やだやだー! 毎日じゃないとやーだー!」


 カナンは仰向けとなったまま、手足をばたつかせる。恥も外聞もない抗議の叫びが、大通りに響いた。

 彼女に従う義理はないが、喚き散らす子供を放置して立ち去るほど薄情にもなり切れない。このまま帰宅したとて、カナンの事が気に掛かり、鍛錬に身が入らないだろう。

 さりとて、カナンを諦めさせることも難しい。癇癪を起した子供に白旗を振らせるまで、説得することほど困難な試練は、世の中広しと言えどそうありはしない。

 であるならば。双方の欲を満たすことの出来る、中間を取るが吉だ。

 一緒の時を過ごしたい、カナンを満足させつつ、ファーナムの強さの糧となる場所は一つだけだ。


「分かった分かった。それなら闘技場に行こう。あそこならお前も飽きねえだろ」


「うん、行くー!」


 猫のようにしなやかな動作で跳ね起きた、カナンの瞳には涙の一滴も残っていない。ファーナムが折れたから泣き止んだ、そう見るには涙腺の活動停止が早すぎる。


「嘘泣きだったのか。……お袋さんは五歳児に何教えてんだよ」


「うーんとね、『カテイエンマンのヒケツ』って言ってた!」


 ルビは恐らく『夫を尻に敷く方法カテイエンマンのヒケツ』だろう。ニャンパット家の大黒柱の苦労が偲ばれた。

 同時に、(カナン)に施される、英才教育に恐怖する。

 五歳にして女の涙(リーサルウェポン)の扱いを学んだ彼女が、成熟した頃には如何ほどの手管を会得しているのか。想像するだに恐ろしかった。


 尤も、彼女が危惧の通りに成長した際には、その尻の感触を楽しめばいいだけの話でもある。

 彼女の溌溂とした笑みを見ているだけで、毒気を抜かれる。十年後も、二十年後も、どんな形であれ、カナンが隣に立っていてくれたのならば、と淡い期待が降り積もる。

 

「うーん、もう篭絡されてる感じ」


「ロウラクって何にゃ? 美味しい?」


「食い物じゃねえ。お袋さんの教育の賜物さ」


「タマ? モノ? 金玉??」


「女の子が金玉なんて言うもんじゃありません」


 駄弁りながら移動し、偶に商店に突撃して冷やかす。気ままな子猫に振り回されることを楽しみながら、ファーナムは闘技場へと近づいていく。

 横にも縦にも大きい、建物の輪郭は距離が縮むに連れてその威容を増す。間延びした歓声が聞こえる。闘争の気配を感じ取った、アアル人の血が騒ぐ。

 建物の内と外では、熱気も興奮も段違いだ。内へと入れば、爆音のような歓声が胸を打つ。中央で戦っているのは、一体の魔物(モンスター)と一人の女戦士。両者が切り結ぶたびに、血潮が飛ぶたびに、会場のボルテージは高まる。


「演目はモンスターの討伐。お相手は『ヒルバル』か」


 爬虫類系の魔物の一種だ。

 細長い顔の側面から飛び出した、両目がギョロギョロと蠢き、全身を鱗に覆われる。移動は四足、しかし戦闘時には二足歩行に移行し、両前足に武器を以て戦うことから『人型』に分類されるものの、『人間』には程遠い異形である。

 足裏の吸盤は壁や天井に張り付くことを可能とし、自在に変化する体色は容易く風景に溶け込む。かの魔物の本領は、獲物の隙を突く『狩り』だ。

 闘技場を舞台とした、正面戦闘は勝敗が見え透ている。だからこそ、女戦士がヒルバルの頭を割ってから間を置かずに、新たな対戦相手が投入された。


 それも、影は一つだけではない。五体のヒルバルが矛を構える。

 対する女は駆ける。包囲されることを嫌ったのだろう、走り回り、飛び跳ねる。彼我の間合いと立ち位置は刻一刻と変化するが、常に五体のヒルバルを視界に収め続けている。

 足を止めた、一対一の打ち合いは豪快だ。その一方で、スペースを広く使った高速戦闘には躍動感が溢れる。

 打って変わる戦術は、観客を飽きさせないための工夫だろう。女戦士の粋な計らいに、ファーナムは脱帽するしかなかった。


「すげえなぁ……」


 観客を魅せる戦い。即ち、女戦士にはまだまだ余裕があるのだ。

 多勢に無勢を物ともしない強さ。ファーナムの指先が掠りもしない高みだ。純粋な憧憬が零れた。


「にゃんにゃん。いつまでも立ち見してないで、空いてる席を探すにゃぁ」


 肩を叩かれ、ファーナムは初めて通路に立ち尽くしていたことに気付く。

 カナンの提案は至極尤もであり、またいつまでも通路に棒立ちしたままでは、他の観客の迷惑にもなり得る。手早く席を見つけるべきだが、本音は剣闘から一秒たりとて目を離したくない。

 並んだ二つの空席を発見するや足早に確保する。余り物の席の眺めは悪いが、強烈な渇望の前には些事であった。両眼を充血すらさせて、食い入るように攻防を見詰める。

 軽快に立ち回る女戦士に、ヒルバルは五体掛かりでも追い付けない。遠距離攻撃も何のその。弓矢と魔術の別なく、剣で斬りはらい、円盾で叩き落してしまう。

 移動・回避・防御で以って撹乱し、精妙なる技の冴えを以て反撃を加える。ヒルバルの陣形は乱れ、突出した個体の頭上を跳び越えた。

 着地と同時に、剣を逆手に持ち替えて背後からの一撃(バックスタブ)を決める。

 刺突それ一つで致命であることは間違いなく。しかし、刃を捻り魔物の臓腑を蹂躙する念の入れ様だ。

 女戦士が剣を引き抜くと、刺傷から血が噴出した。彼女の美貌には赤い戦化粧が施され、ヒルバルは地に崩れる。

 捧げられた首級(しるし)に、ひと際大きな歓声が轟く。


「疾ィッ!」


 ――さらなる剣闘と健闘を。

 観客の期待に応じ、美麗の戦士は正面から吶喊した。渾身の一閃が、魔物の構える盾と交わる。拮抗は僅か一瞬、ここまで『技』で魅せていた女戦士は、『力』だけで防御を粉砕した。返す刃が首を断つ。


 五対一でさえ、魔物は女戦士に痛打を与えることが出来なかったのだ。半数近くにまで数を減らされてしまっては、以降が消化試合となりかねない。

 本物の戦場であれば、安全を確保し堅実に戦うべきだが、ここは闘技場だ。虫をプチプチと潰すが如き単純作業を誰も望まない。刃を交える女戦士も同様の思いを抱いているのだろう、彼女は軽快なフットワークを捨てた。

 機を見るに敏に形成される、魔物三頭の包囲陣。半径三メートルに満たない死地で、女戦士は舞う。

 盾で受け、剣が結び、ステップで回避。三方向からの攻撃の速度や威力を見極め、一つずつ丁寧かつ高速で捌いていく。


「ふわぁ、スッゴ」


「エンターテイナー魂ありすぎだろ」


 ならば、と魔物たちは同時攻撃を仕掛けた。

 三方から伸びる刃が、女戦士の逃げ場を塞ぐ。盾や剣で受けるにしても、足を止めれば背後から串刺しだ。

 だが、その程度の浅知恵の通じる手弱女であれば、そもそも包囲を許していない。

 彼女にとってその場は死地ではなく、己が輝くための舞台であり魔物は踏み台だ。主役と引き立て役、役者が違う。

 まずは足元を狙う下段突きを、その場で跳躍して逃れた。ナイフの軽さを活かした、中段の連続斬りを盾で受け流し、上段からの振り下ろしを宙で身を捻って躱せば終いだ。

 

 魔物の攻撃のタイミングがずれていた頃は、予備動作や武器を振り抜いた後の硬直のタイミングもズレる。故意か偶然か、それぞれが好き勝手に武器を振り回すことで、互いの隙が埋まっていた。

 届かぬ刃に業を煮やした彼らは、自らその理を捨て去った。同時に攻撃するのだから、同時に隙が訪れる。


「しゃあッ!」


 数秒にも満たぬ空隙なれど、歴戦の戦士が反撃の狼煙を上げるには十分だ。女戦士は守勢から攻勢へと一転した。

 両手両足、女戦士は四足を目一杯に用いて着地。伏した体勢から、打ち上げるような上段蹴りを正面のヒルバルに浴びせて頚椎を破壊する。

 脚を引き戻さず、女戦士はその勢いに任せて跳びあがり剣を薙いだ。両眼を潰す重傷だ。致命ではないが、ヒルバルは激痛に呻く。

 赤子のように頭部を揺らして倒れた、ヒルバルの頭に降り立ちる序に、足裏に力を込めて粉砕。ビクン、と震えた死体を一瞥してから反転し畳み掛けていく。

 視界を失い悲鳴を上げる、ヒルバルを斬り捨てながら、最後の一体との間合いを詰めた。


『ギャア!』


 体の末端ではなく、必中を期して胴体の中央を狙った刺突に対して、女戦士の上体が沈み込んだ。

 疾走は最高速度のままに、豊かな胸が地面に擦れかねない、極度の前傾姿勢。仰天する魔物の懐に飛び込み、二つの人影が交錯する。

 すれ違った後に残った影は一つだけ。ズルリ、とヒルバルの体が上下に別たれ滑り落ちた。


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