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一話 ファーナム・クセルクセス

 ファーナム・クセルクセスは転生者である。

 前世は、二十一世紀の日本に生きた、ごく一般的な社会人だ。享年は二十四歳。大学卒業後に就職し、新入社員として一皮剥ける前に、災害に巻き込まれて死亡した。

 若い身空で現世を旅立ったことは不幸に違いないが、件の災害の被災者は万を超える。死傷者も多い。彼と同じ境遇の若者は十人や二十人には収まらず、そういう意味では際立ったものはない。

 自分の体のことを自分が一番よく知っている、とはよく言った物だ。彼自身、傷を負った時には助からないことを悟り、『死』そのものは受け入れていた。

 だからこそ、『死』の後に続く『生』。新たな旅の幕開けたる『転生』には驚いた。


 しかも、転生した場所は、日本とは似ても似つかない砂漠の王国だ。文化や風習から、食器のような日常的な物に至るまで、何もかもが未知の連続である。

 前世の記憶を取り戻してから数か月は呆けてばかりいたものだが、子供の行動範囲などたかが知れている。徐々に未知は減り、既知が増すに伴って、ファーナムは『転生』という己の現実を実感した。


 そして彼は夢を抱く。

 彼が転生した、アアル王国は一夫多妻が認められる国だ。即ち、日本では禁じられていた、ハーレムが実現可能であるということ。

 男ならば。男に生まれたからには、男の夢(ハーレム)を叶えないわけにはいかない。

 女王陛下の御前であろうと一歩も引かないほどに、彼の覚悟は固まっていた。


「こんの、バカ息子がぁあああ!!」

 

 彼の覚悟は本物だが、その心の在り方は彼個人のものだ。他人が共有することは出来ず、当然に女王との謁見後、帰宅するや否や実母の雷が轟いた。無意識のうちに魔力が載った叫びが、家中の窓を破砕する。

 咆哮を至近距離で浴びせられたファーナムは、転倒こそ堪えたものの、目をグルグルと回す。


「陛下に問われたからって正直に答えすぎだろう!? もう少し言い方ってもんがあったはずだ!

 おまけに、女の胸や尻について無駄に深く語り始めるし……不敬罪で首を刎ねられるんじゃないかって気が気じゃなかったよ」


「おふくろ、マジで今は喋らんでくれ。頭の中に響いて……死にそう」


 初手の咆哮に揺らされた脳髄には、素早く紡がれる大声は刺激的に過ぎる。猛烈な吐き気に襲われ、けれど平衡感覚に重大なダメージを負っているために、厠に向かうことすらままならない。


「その苦しみに懲りたのなら、反省して次からの行動に活かすこったね」


「ほげぇ」


 千鳥足の息子を放置して、オリヴィアは肩を怒らせながら夕飯の支度を始めた。どうやら料理下手(欠点)を暴露されたことが、腹に据えかねるようだ。

 ドン! ドン! ドン! ドン! と、俎板を叩き割る勢いで振り下ろされる、恐ろしい包丁の音が響く。

 「そんな荒い手つきだから、いつまでも料理が下手なんだろう」とは、ファーナムも流石に口にはしない。

 オリヴィアでなくても、苛立たせる原因が訳知り顔で正論を宣えば、堪忍袋の緒がぶち切れる。

 英雄を志す少年といえど、夜叉の降臨には恐れを為す。折檻の追加も御免被るので静謐を保つ。沈黙は金とは、まこと金言なり。


「ごっそさん」


 ブツ切りにされた食材と、大雑把な焼き加減。細部を微調整するためではなく、誤魔化すために振りかけられた香辛料。

 男よりも男らしい男料理を食べ終えると、ファーナムは足早に席を立った。食後の習慣である、歯磨きと腹ごなしの柔軟を行い、日の暮れた屋外へと出る。

 夜の砂漠の風は極寒だ。都市は高い外壁に囲まれているが、それだけで防げる代物ではない。

 一陣の風が吹くたびに、肌が粟立ち背筋が震える。だからこそ、体を温めるための運動の励みになる。


「はっ、はっ、はっ、はっ……」


 木剣を振り上げ、振り下ろす。たったそれだけの動作を、飽きることなく反復する。

 より速く。より強く。それでいて、重心や構えを崩さない。太刀筋のブレも修正していく。所詮は初心者の手習いだ、基本的な技一つにさえ改善すべき点は山のように積もっていた。

 年齢を理由に実戦に出ることは許されず、試合を組むことも出来ない。同年代の子供同士で打ち合うことはあるが、互いに『心技体』の三要素が未熟であるため、試合と言うよりもチャンバラ遊びだ。


 戦いの経験を得ることの出来ない境遇だが、見本には事欠かない。母が腕利きの元戦士であり、現狩人でもあるのだから、迷ったときには助言だって貰える。

 したがって、ファーナムが強い戦士となるために必要なことは、彼自身の努力以外にない。


 幸いなことに、彼は優秀な女戦士の血を継いでいる。肉体の潜在能力は高く、日々の成長が如実に感じられた。

 鍛えた分だけ筋肉が付く。イメージ通りに体が駆動する。

 成長期の一言では決して片付けられない、成長速度だ。


 特別な才能があると己惚れているわけではない。けれど、多少暴力的だが良き母の元に五体満足で産まれ、貧困に喘ぐこともなく、夢に向かって努力することを許され、成果に繋がる。

 恵まれたことは確かだろう。これ以上を求めては強欲な惰弱と成り果てる。一から十まで何もかもが揃っていなければ不満を覚える男に、立身出世を果たせるはずもなし。

 不満を吐く暇があれば鍛錬を積む。

 他人を羨む前に己を高める。

 動機は俗だが、ファーナムが目指す先は英雄だ。そして英雄とは、常に限界を超越し、理不尽を覆していく者。不足分を努力によって補うことが、英雄志望(ファーナム)の挑むべき課題である。


「――精が出るな」


 母の呼び掛けに、沈んでいた意識が浮上する。

 空を見上げれば星々が爛漫と輝き、夜も深くなっていた。重度の風を引いたように火照る体は発汗が止まず、足元には水溜まりまで出来ている。


「今、何時だ?」


「九時前さ。夕食から三時間近く経過している。早く家に入りな。それだけ濡れた体で夜風に当たってちゃ、体調を崩すよ」


 時間は有限だ。だが、ファーナムは幼い少年である。焦り、無理無茶無謀に身を投じる時期ではない。

 放られたタオルを掴み取り、少年は汗を乱暴に拭いつつ門扉を潜った。

 鍛錬から日常への帰還を果たした途端、強烈な乾きを覚える。瓶に溜められた水をゴクゴクと、腹が水で満たされるまで飲み続けた。

 喉の渇きも大概だが、疲労も酷い。木剣を握り締めていた両手には禄に力が入らず、足は棒になったかのように頼りない。


 忘我の境地に達する、卓越した集中力は利点と弱点を同時に孕む。時間の多寡だけでは測ることの出来ない、濃密な訓練は大きな糧となる一方で、我に立ち返ればそれまでの負荷がどっと押し寄せる。

 「疲れてきたから一休みしよう」と、訓練の途中に思うこともなく、スタートからゴールまで常に全力疾走。加減が利かないのだ。


「よくもまあ、性欲だけでそこまで必死になれるもんだ」


「動機が単純だからだろ」


 倫理、大義、正義に正否。高尚な題目に付き纏う、規範意識がファーナムの夢には欠如している。

 だから迷わないし、悩まない。


「ただ頑張るだけでいいんだ。楽なもんだろ」






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