プロローグ
「これが、私が育てた、初めての野菜なのね!」
たった4本のパースニップを抱きかかえ、私の心は震えていた。
ゲームの世界とはいえ、この私が作物を育て収穫できるなんて夢みたいだ。
ありがとう神様。忘年会のビンゴ大会でこのゲームを私に与えてくれたお陰で、夢がひとつ叶いました。
私は昔から花や植物を見るのが好きだった。
ガーデニングが盛んな町内で、ご多分に漏れず母も庭で色々育てていた。
「水鳥ちゃんは、触っちゃだめよ」
だけどその花に私が触れることを母は許さなかった。
でもそれは仕方がない。私がどんなに人と同じように植物を育てても、花を咲かすことができない人間だったからだ。
小学校の授業で朝顔を枯らし、ヒマワリを枯らし、ヘチマを枯らし、ミニトマトを枯らした。
家ではミントを枯らし、ドクダミを枯らし、アロエを枯らした。
だから私は見るだけ。どんなに好きでも触っちゃいけない。
せめて触れないでもお世話の手伝いを申し出ても、母は苦笑するだけだった。
私は鈍臭くてぼんやりとした子供だったから邪魔にしかならなかったのだろう。
それでもなんとか大人になれて、寝具メーカーでそれなりに社会人をやっている。
確か去年の早い時期くらいだったか、うちのチームに枕に使う技術の開発依頼がやってきた。
開発している最中は使う人の頭の形状に合わせて自動的に形と高さを調整する枕が、そのままオンラインゲームの周辺機器に使われるとは思っていなかったけれど。
プロジェクト終了後しばらくして発売前の動作チェック用ロット品がいくつか会社に提供され、去年の忘年会で私の元にやってきた。
ゲームの名前は「エルムジカ」。
枕型入出力デバイス「メサルティム」で夢見るようにプレイする新感覚のオンラインゲームだ。
ずっとゲームというものに苦手意識をもっていたけれど、折角当たったのだからタンスの肥やしにしては勿体ない。
それに子供の頃友達の家で触り挫折したあのコントローラー操作もエルムジカには無いという。
説明書も驚くほど簡素だった。
説明は数行程度「メサルティムに頭を乗せ、目をつぶると、脳波をサーバーに接続しゲームが始まります。プレイ中はレム睡眠状態になりますので、安全が確保された場所でプレイしてください」ですってよ。
ルールが決まった箱庭の夢の世界で遊ぶのだから操作も何もないのだろう。
サービス開始がクリスマス前だったから、遅れること1週間。納会が終わりようやくまとまった時間がとれたので、今日から私もゲーマーだ。
早速布団に寝転がりメサルティムに頭を乗せて目を閉じると、まぶたの奥でチカチカっと光が走る。
眠くて微睡んでいるような状態なのに、思考がはっきりとしていて奇妙な感覚だ。
夢の中で目を開くと水色がかったコットンキャンディみたいな空間に私は浮いていた。
これは確かに夢のようだけど、普段の夢と違い、なにかと接続しているような操作感もある。
自動的に個人IDの認証がはじまり、石岡水鳥で間違いないか問われた。
「合ってます」
ゲームで使う名前を決めるように言われて、少し考える。
たとえゲームの中でも私じゃない私になれる気はしない。
夢の世界へ行った有名なアリスが物語の中で私に出会ったなら、割り振られる役はきっとどこか滑稽なドードー鳥だ。
「ドードーでお願いします」
今はもう居ない飛べないのろまな鳥も夢の中なら飛べるかもしれない。
あ、キャラメイクっていうので見た目をいじれるのね。
コンプレックスの垂れ目を、流し目の似合う切れ長の目に変えて、あと体の凹凸を減らして。これだけでも結構雰囲気が変わるっぽい。
あと髪、現実では栗色でフェミニンな感じにしているから、もっと暗い色合いにしよう。限りなく黒に近い焦げ茶色かな。
ポニーテールにしてすっきりとさせたら、職場の先輩に雰囲気が似てしまった。
まあ、尊敬してるし問題ないね。
それから職業を選択。
剣士とか魔法使いとか戦うようなのはパス。のろまなドードー鳥が戦ったところで人に迷惑かけるだけ。
料理人、鍛冶師、シスター、漁師、裁縫師、行商人……うーんピンとこない。
できなかったこと、夢を叶えることができるのがゲームなら、私がやりたいのは……職業リストの一番下。
作物を育てて収穫する農民だ。
ゲーム開始位置も選んだし、あとは能力値をいじったら終わりらしいけれど、ゲームに馴染みがないせいで値の設定が難しい。
体力と腕力と持久力と運を少し高くして、魔力と素早さと防御力と器用を低くしよう。農民は魔法使わないと思うし。
これでもう準備は終わりかな?
――メサルティムの登録識別、開発協力会社「Good Sleep Water Sheep」の方ですね?――
今までテキスト表示だった案内が急に女性の音声になったので驚く。
メサルティムのロットナンバーと私の個人IDで所属会社を照合したのかな。
――あなたの会社のお陰で素晴らしい枕型入出力デバイスが完成しました。エルムジカ開発チーム一同感謝しております――
私が関わったのは本当にほんの一部だけど、なんだかくすぐったい。
――どうか、あなたと私たちの作品を存分に楽しんでください――
その言葉の終わり間際に合わせたように周りのコットンキャンディが溶けていく。
ゆっくりと風景が変わっていき、ドードーになった私は新しい世界に誕生した。