突撃、「漫研部」!
「……はあ。結局、来ちまったよ」
俺達の部室とほぼ同じ作りの扉。それを前にして、俺は小さく嘆息する。
――そう。俺とニコは今、美術準備室の前に居る。
何故なのか。あれだけ拒否したのになあ。
これもひょっとしたらニコの持つ力のせいなのでは……
まあ、意外に腕力のあるニコに無理やり引っ張ってこられただけなんだけど。
「ほら、なにブツブツ、ごにょごにょ、ラノベラノベ言ってるんですか? 行きますよ?」
「ラノベラノベは言ってない。そんなこと言うのはお前だけだ」
「そんなことはいいから。ドア開けますよ?」
完全に主導を握られ、物理的に左腕までも握られ、俺は渋々その言葉に従う。
まあ、ニコの主張する――
『イラストはライトノベルの魅力のひとつです! 魅力あるイラストは文章を引き立て、文章もまた一枚のイラストに深い物語性を付与する。この二つは切っても切れない関係であり、可愛いヒロインを書くために可愛いイラストを描いてもらうというのは理に適っているのです!』
なんて言葉に。そういう面も確かにあるかもな、なんてちょっとでも思ってしまったのが運の尽きなのだ。
結局、ハッキリと拒絶出来ないままこんなところまで連れてこられてしまった。
こうなったらさっさと要件を終わらせて自作の執筆に戻ろう……。
そんな算段を立てながらぼんやりと立ち尽くす俺の前で、ニコは勢いよく扉を開け放つ。
「たのもー!」
だからその挨拶やめろって。変な誤解を生むだけだから。
扉を開けた先、俺達の部室よりも更に狭い室内に4人の女生徒が座っていた。
壁沿いに並べられた机に腰掛け、ニコの言動に驚いたのか、皆が揃って俺達の方へ顔を向けている。
「……え? だれ?」
一番手前の女子から上がる至極当然な疑問に、ニコは不敵な笑みで応える。
「フッ……まさか、この私をご存じでない? ならば教えてあげましょう! 私こそが未来の大ラノベ作家、いつもニコニコのニコちゃん―――」
「いいからお前もう黙っとけ」
こいつに任せておくとただの不審者で終わってしまう。
「いきなりすまない。俺は文芸部部長の岩岡だ。今日はちょっとお願いしたいことがあって来たんだが」
「へえ、お願いしたいこと、ねえ……」
先程声を上げた女生徒がゆっくりと立ち上がり俺達の方へと近づいてくる。
猫科の動物を連想させる大きな瞳にそばかすの浮かぶ頬、どこか愛嬌を感じさせる顔立ちをしている。俺が部長と名乗った上でこちらへ来るということは、彼女が漫画研究部、通称「漫研部」の部長なのだろうか。
猫目の部長は俺達の前まで来るとニッコリと笑い、言った。
「……そんな余裕あると思う?」
彼女の背後を見れば、他の女子達は俺達の存在なんてもう忘れたかのように、机に向き直って一心不乱に手を動かしている。
原稿の上を高速で動く腕、その眼は血走り、口元には歪んだ笑みが浮かび、目の下にはクッキリとした隈が―――
あ、これアカンやつや。
「今ねエ……修羅場中なのよおおおおおおおおおおおおおおおお!」
目の前で叫ぶ漫研部長の目にも、よくよく見れば黒々とした隈がある。
「校内活動で修羅場って……家でやればいいんじゃないのか?」
「やってるわよ! 家でも! ここでも! 授業中でも! エブリデイエブリタイム絶賛修羅場大会開催中なのよおおおおおお!」
「いや授業中はマズイだろ」
思わず呟いたひとことに、猫目部長の背後から声があがる。
「あ、私、授業中にこっそり消しゴムかけやってますよ」
「私もこっそりトーン貼りしてますー」
「貴方達甘いわよ! 私なんて先生に気付かれずに下書きからペン入れ、ベタ、ホワイト、トーン貼り、授業中に全てこなしているんだから!」
『部長、すごーい』
いや、それ絶対に気付かれてるだろ。気付いてはいるけどあえて触れないようにしているだけだろ。だって眼つきがもう怖いもん。あまりお近づきになりたくないもん。
なんだろう、もう既になんかヤバイ奴らな匂いがプンプンする。それとも、これも全て修羅場という非常事態の為せる技なのだろうか。
小説を書いていても当然「修羅場」なんてものはある。
応募したいコンクールの締め切り直前なればそりゃもう焦るし机にかじりつくことになるが、ここまで酷くはない。
ただテンションが上がって、脳内物質がドバドバ出て、意味も無く笑ってみたり、書いている文章を無意識のうちに全力音読かましているぐらいだ。
……うん、あんまり変わらないかもしれない。
「悪いけど別の機会にしてくれない?」
苛々とした口調と表情が「アンタ達なんかに構っている暇はない」と雄弁に物語っている。
しかし場の空気と相手の意図を読まないことにかけては定評のある奴が、
ここに一人。
「そ、そこをなんとかああああああああああああああああああ!」
「ひっ、なんなのこの子!?」
相手の足に文字通り縋りつきながら涙ながらに訴えるニコと、本気で怯える猫目部長。
結局、その頑張りが功を奏し――
というか、いくら振りほどこうとも決して離れようとしないニコに根負けした形で。どうにか話だけでも聞いてもらえることになった。
……しかし話をすればするほど、どうにも無理ゲーっぽい気がしてくる。
彼女達漫研部は、部活動の一環として参加している同人誌即売会というイベントが近く、まさに修羅場と呼ぶにふさわしい程に多忙なのだそうだ。なんでもひとつの作品を皆で協力して作り上げているらしく、今は猫の手ででも借りたい状況なのだとか。
「こりゃ駄目だろ。今回は諦めて帰ろうぜ」
形ばかりに出されたペットボトルのお茶を有難く頂きながら、俺はニコにそう告げる。
「うう、残念です」
さすがのニコもこの状態で我儘を言うつもりはないらしく、しゅんと項垂れてしまう。
まあ今回ばかりはタイミングが悪かったな。なにしろこうやって簡単な状況説明を受けている間でさえ、他の部員達の悲鳴と怒号が飛び交っているぐらいなのだ。
「悪いわね。そういう訳だから今日は帰ってもらえる?」
「はい。本当に残念です」
「まあ、暇な時期だったらイラストの依頼ぐらい受けられると思うから」
「本当に、本当に、本当に残念です!」
「うん、だから……………って、え? 分かってくれたのよね?」
「ああ! ホンット~に残念だなあああああああ!」
「なんで帰ろうとしないのよっ!」
あ、違うわ。こりゃニコの奴、まだ諦めてねえぞ。
なにより俺自身が身を持って知っているはずなのに、コイツのしつこさとの諦めの悪さを忘れていた。
こうやってニコに付きまとわれ、振り回され、最後にはロクでも無い目に会わされる……。
ニコに纏わりつかれている猫目部長は、まさにいつもの俺の姿そのものだ。
「ちょっと! 横のアンタも何か言ってよ! この子、文芸部員なんでしょ!?」
「(こっち側へ)いらっしゃいませ☆」
「なに爽やかな笑顔でサムズアップかましてんのよおおおお!」
なんだろう。なんか一気に親近感が湧いた。
「お願いしますう! もちろんタダでとは言いません!」
「な、なによ? 謝礼でも貰えるってわけ?」
「いえ、お金はないので……」
そこで言葉を濁すと、ニコは頬をうっすらと染めて恥じらいの表情を見せる。
「か、身体で払います……」
「おい、ニコ、いきなりなにを!?」
まさかこいつヌードモデルでもやろうってんじゃ――
「――せんぱいが」
「本当にいきなりをいってるのかな!?」
平然と先輩を売りやがった後輩女子へと詰め寄ろうとした、その時。
「部長―、それいいんじゃないですかー?」
「そうですよ。人手が増えるのは嬉しいですよ」
背後で声を上げたのは漫研部員の女子二人。
「は? 何言ってるのよ? 素人が増えたって足手まといになるだけよ」
「いえいえ、だからモデルとして手伝ってもらうんですよー。ほら男性の身体って資料だけじゃよく分からない部分もあるじゃないですかあ。あの部分とかー、ふひひ」
「え? そういうのもアリなの? じゃあ私も資料として見たかったアレを――」
「そうですそうです。ここをこうやって、いっそのことこうしてもらったりして――」
「え? うそ? さすがにそれは――でもでも……キャー!」
何やら三人で盛り上がっている。
なんだろう、身の危険を感じるととともに、こいつらの描いている作品のジャンルがうっすらと分かった気がするぞ。
「なあニコ。ここはやっぱり出直した方が――」
「どうぞどうぞ! アシでもパシリでもヌードモデルでも存分にコキ使ってやってください!」
「ほんと人を売ることに一切の遠慮がねえなお前は!」
「ま、まあ、そういうことなら仕方ないわね。その依頼受けてあげる……ずるるっ」
「鼻血! 鼻血出てる! ほんと何をやらせるつもりなんだお前らは!?」
慌ててティッシュを鼻に詰め込みながら、猫目部長は部屋の奥を指差した。
「ほら、一番端に居るあの子。連れて行ってもいいわよ」
アッサリと告げられたひとことに、俺は思わず間の抜けた声をあげてしまう。
「へ? 連れて行っていい?」
「だってここでワイワイ騒がれても作業の邪魔だもの」
「いやだって少しでも人手が欲しい状況なんだろ? 一人がまるまる抜けるってのはマズイんじゃないか?」
「あ、それは大丈夫よ。だってあの子にはもとから作業を手伝ってもらってないから」
「はあ?」
これだけ切羽詰まった状況でありながら部員を一人遊ばせてるってのか?
怪訝に思いながらも、猫目部長から指名された女生徒へと視線を向ける。
長く艶やかな髪を一本の三つ編みに結わえ、大きな眼鏡をかけている。
よーく見れば整った顔立ちをしているようにも思えるが、どうにも地味で印象が薄い。唯一、制服の生地を大きく押し上げる胸元だけが不釣り合いなほどの存在感を主張している。
思い返してみれば、この眼鏡女子だけは先程の猫目部長達の会話に加わっていなかった。
今も黙々とペンを走らせているが、そこに鬼気迫るような雰囲気は無く、確かに一人だけ別の作業をしているように思える。
仲間外れ――自然とそんな単語が頭に浮かんでしまう。
ニコも同じことを感じたのか、あからさまに顔を顰めると、そのまま眼鏡の女の子の下へ、トテトテと近寄っていく。
「あの、ちょっといいでしょーかっ!」
眼鏡女子は自分が話しかけられるとは思っていなかったのか、ニコの声から一拍遅れて、そろそろと顔を上げた。
「……え? へ? わたし、ですか?」
「はい。貴方です! 可愛い女の子を描いてください!」
「え? え? え?」
説明が雑過ぎるだろ。仕方なくフォローに入ってやる。
「ああ、忙しいところ悪いけど、女の子のイラストをいくつか描いて欲しいんだ。適当に描いてくれりゃこいつの気も収まるから」
「むう。テキトーじゃ駄目です! 全力で描いてもらわないと!」
「分かった分かった。じゃあ全力に適当で良いから」
「なんなんですか、それは!」
俺とニコのやりとりを困惑するように眺め、眼鏡女子はチラと猫目部長の方を伺う。その視線の先で猫目部長がこくりと頷くと、眼鏡女子もようやく状況を理解したようだった。
「で、でも……本当に私なんかで良いんですか?」
「ええ! 貴方が良いのです! むしろ初めから貴方と決めてました!」
嘘つけ。ほんと調子良いなコイツは。
しかし、そんなあからさま過ぎる社交辞令にも嬉し気に頬を染め、暫し逡巡した後、お下げの眼鏡女子は「分かりました」と頭を下げた。
「……奥村 早苗、一年です。よろしくお願いします」
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