嫌いと好きとチョコレート
手を繋ぎながら、河川敷を歩く。
中学校から椿ちゃんの家に帰るには、この道が一番近い。
視線を感じて隣に顔を向けると、椿ちゃんから、ふにゃりと笑顔を向けられた。
「……お兄ちゃんは優しいですね」
噛み締めるように言われた。
余りにも脈略がなかったので、思わず目を見張る。
「……えっと、そうかな?」
「はい、そうです!」
椿ちゃんはこくこくと頷いた。あんまりにも勢い良く何度も頷くもんだから、赤べこみたいだなと思ってしまった。つまるところ、とても可愛い。
「お兄ちゃんは手袋を貸してくれました」
そう言って、俺の手袋をした右手をあげてグーパーする。ぶかぶかなので、ちょっとの動作で取れてしまいそう。
「手を繋いで暖めてくれてもいます」
握った手を小刻みに振って、最後にぎゅっと握り直された。俺も握り返しておく。
「それに、歩調も椿に合わせて下さっているでしょう?」
お見通しですよ、としたり顔。イタズラが成功したと言わんばかりの無邪気なはしゃぎようだった。日頃大人びて見える椿ちゃんが、こうした年相応な表情をするのはとても珍しい。だからこそ、嬉しくなる。思わず、笑顔が溢れた。
髙都に繋がる二見橋の下を通って少し歩くと、椿ちゃんはぴたりと立ち止まった。じっと、草むらを見つめている。どうしたんだろう? あそこに何かいるのか?
「……お兄ちゃん、知っていますか?」
そう言って、椿ちゃんは草むらを指差す。
「あそこに、貴弘兄様の秘密基地なるものがあったこと」
「……秘密基地? タカはそんなもん作ってたのか?」
「はい。貴弘兄様だけの秘密基地だったそうなので、お兄ちゃんが知らなくても致し方ありません」
ああ、そういや。
タカが小1の頃、6限目になると急にソワソワしだして、ホームルームが終わるとともに、猛ダッシュして帰っていたことが度々あった。あれ、今思うと秘密基地に行ってたのだろうか。
「じゃあ、椿ちゃんはタカに秘密基地のことを聞いたんだな」
「いいえ。撫子姉様からです」
「髙野宮さんに?」
繋がりが分からず、首を傾げる。
「はい。……ふふっ、圭一お兄ちゃん。撫子姉様と貴弘兄様はその秘密基地で出会ったのですって。だから、姉様にとってここは特別な場所なのです。物心付いた頃から、何度もお話しをして頂きました。それこそ、耳にたこができるほど」
「そりゃ、災難というか何というか……」
クールな表情を緩めタカの話をする髙野宮さんの姿が脳裏に浮かんだ。髙野宮さん、椿ちゃんにも日頃から散々惚けてたのかよ。
「あら、うふふっ。いいえ、撫子姉様とてひとりの乙女ですもの。私は姉様の斯様なところが大変お可愛いらしいと思います」
「椿ちゃんは将来絶対大物になるなぁ」
「それは……ありがとうございます」
褒められているのか、いまいち分からないという怪訝そうな表情。それでも、きちんとお礼を言うところが椿ちゃんらしい。
こほん、と小さく咳をして、椿ちゃんは繋いでいた手を優しくほどいた。それから俺の正面に移動して、真っ直ぐ俺の目を見つめた。
「……圭一お兄ちゃん」
「うん」
真剣な雰囲気を感じ取り、急いで背筋を伸ばした。
「どこで渡そうかとても悩みました。悩んで悩んで、私はこの場所を選びました。この場所ならば意気地無しな私でも、勇気を頂ける……そんな気がしたのです」
椿ちゃんは革製のレトロなリュックから、綺麗に包装された箱を取り出す。それを俺に向かってそっと、差し出した。
「……圭一お兄ちゃん、ハッピーバレンタイン、です」
バレンタインデー。
そう、だからこそ髙野宮さんはタカにチョコを渡すため中学まで迎えに来ていたのだ。
俺に関して言えば、貰えるなんてはなっから思っていなかったので普通に失念していました。
いや、そんなことより今は椿ちゃんだ。
瑞々しい頬を桃色に染め、瞳は潤んでいる。箱を持つ手は震えて、椿ちゃんが緊張しているのが嫌と言うほど分かった。
俺は労るように、椿ちゃんの手を握ぎる。
「椿ちゃん、ありがとう。とても嬉しいよ」
「その、お兄ちゃん……私のチョコレートを受け取って、頂けますか?」
「勿論」
短く、しかし強く頷いて椿ちゃんからチョコを受け取る。
「俺は幸せ者だ。こんな良い妹が持てて」
そう言って、椿ちゃんへ微笑みかける。
椿ちゃんはぴきりと固まった。
「………………えっ? 申し訳ありません。私としたことがお兄ちゃんのお言葉を聞き損じてしまいました。うふふっ、もう一度、おっしゃって頂けますでしょうか?」
満面の笑みを浮かべ、詰め寄って来る椿ちゃん。凄まじい威圧感を覚えるのは何故だろうか。なんか、怖い。
「えっ、いや、だから、良い妹を持てたなぁ、って」
「………………そう」
「つ、椿ちゃん?」
頬を尋常じゃないほど膨らませて、こちらを上目遣いで睨む椿ちゃん。可愛い……じゃなくてっ! ええ、怒らせるような要素ありました今!?
「むううぅ、お兄ちゃんなんて嫌いです!」
「えええっ!? それは困る。とんでもなく困る!」
「もう、知りませんっ!」
ぷいっと顔を背けられた。
絶望。
椿ちゃんに嫌われたら、俺は残りの人生何を癒しにして生きていけば良いんだ。肩を落として、大きく溜め息を吐く。その息とともに魂が抜けていく。
「はぁ……もう良いです」
「椿ちゃん?」
「これ以上は、お兄ちゃんが可哀想なので。許します」
「椿ちゃんっ!」
「それに、私も功を急ぎすぎたのかもしれません。むしろ、急がば回れが正道。今は受け取って頂けただけで良しと致しましょう」
椿ちゃんは小さく頷くと、再び俺と手を繋いでくれた。
***
椿ちゃんの家に着いて、俺は道中考えていた疑問をぶつけてみることにした。
「なぁ、椿ちゃん。さっきのところが髙野宮さんにとって、特別な場所って言ってたよな」
「はい。それが何か?」
「いや、髙野宮さんならあそこでチョコを渡すんじゃないかなって思って」
「ええ、確かに去年まで、姉様はあの場所で貴弘兄様にチョコレートをお渡しされていました」
「あっ、やっぱそうなんだ。でも、何で今年は違うんだ?」
椿ちゃんは少し考える仕草をした。そして、人差し指を立てて、ではヒントをお出し致しましょう、と言葉を付け加える。
「貴弘兄様は、この1年でずいぶん背が伸びられましたね」
「ああ、この前の身体測定で174cmになってたって言ってたな」
「目付きが悪いため近寄り難いですが、貴弘兄様はきちんと見ればとても精悍なお顔立ちをしていらっしゃると思います」
「分かる」
思わず、うんうんと頷いてしまう。
「学業は撫子姉様が直々にご指南されていますので、成績が良いのは言わずもがな。尚且つ、兄様は剣道部に所属され、目覚ましい活躍をなされているとお伺いしております」
「全国中学校剣道大会で上位に入ったからな。あいつ、相当強いぞ」
「……つまり、そういうことです」
「あー、そういうことか」
なるほど、理解した。
この1年でタカはぐっと男らしく成長した。そして勉強も運動もできることが周知されてきた。つまるところ、タカが学校でモテはじめてきたということだ。髙野宮さんとしては、当然面白くない。しかし、そもそもタカとは学校が違うため、日常的にタカから女子をブロックすることは不可能だ。
「他の女子への牽制のために、わざわざ中学まで迎えに行ったってことか」
「はい。公衆の面前で堂々と貴弘兄様へチョコレートをお渡しされたのだと思います」
まぁ、髙野宮さんみたいな美人(しかも超お嬢様校の生徒)からチョコを受け取っているタカを見れば、諦めざるを得ないよな。勝負に出る前に負けるというのだろうか。
「だから、椿ちゃんはそれを邪魔しないよう俺に早く帰ろうって言ってくれたんだな」
「はい、良くできました」
椿ちゃんは笑った。
そして、手で屈むようにジェスチャー。
俺はその通りにしゃがむと、ご褒美ですと頭を優しく撫でられた。何だかとても照れくさいが、悪くない気分だ。
1分ほど撫で撫でして貰った。本当にありがとうございます。
「……さて、椿ちゃん。そろそろ、俺も帰るよ」
「はい、お兄ちゃん送って頂き誠にありがとうございました」
「うん。じゃあ、また」
手を優しく振って、俺は踵を返し歩き出した。
「お兄ちゃんっ!」
大声で呼ばれて、振り向く。
「先程、お兄ちゃんに『嫌い』などとひどい嘘をついてしまいました。申し訳ありません。あの、私、本当はとてもとても、お兄ちゃんのことが大好きですっ! えっと……その、では、圭一お兄ちゃん、ご、ご機嫌よう……」
椿ちゃんは顔を林檎みたいに真っ赤にしながら、尻すぼみの声を出した。そして、何とか全て言い終えると、上品に礼をしてから足早に門をくぐっていった。
「―――――尊い」
俺は、数分間この場所から動けなかった。
ヴァレンタインの話をどうしても書いてみたかったので、ねじ込みました。