乙女の祝日
中学校に進学して、早1年と10ヶ月。
冬の寒さが抜けない2月の夕方。授業が終わり、俺はすごすごと帰路に就くことにする。
俺自身、部活はしているが水泳部のため、冬の間は筋トレや走り込みが主な内容だ。今日は体育館も運動場も他の運動部に取られてしまったので、これ見よがしに休みと相成った。
入学したての時、ブカブカで着なれなかった学ランは丁度良いサイズになっていた。この1年で急激に身長が伸び、170㎝の大台に乗った。後もう少し身長が欲しいところだ。
「圭一お兄ちゃんっ!」
校門から出てきたところ後ろから呼び止められる。
聞き覚えがある可愛らしい声。直ぐさま振り返る。
「椿ちゃん!」
俺が名前を呼ぶと椿ちゃんは嬉しそうに駆け寄って来た。背中まで伸びた絹のような黒髪が靡く。編み込まれ赤いリボンでハーフアップにした髪型は、清楚で可憐な椿ちゃんに似合っている。
椿ちゃんが身に纏うシックな丸衿の黒いワンピースとボレロ。これは超お嬢様校と名高い聖深学院初等部の制服だそうだ。最近男女共学になったから、元お嬢様校が正しいか。
今、椿ちゃんは小学2年生の8歳。身長も伸びて、125㎝になったとか。丁度俺の胸下に頭が来るぐらいの身長差である。
視線が合うと、にこりと微笑んでくれた。
……素晴らしい。
心の中で椿ちゃんを称えてから、訊ねてみる。
「椿ちゃん、もしかしてわざわざ校門で俺を待っててくれてたのか?」
「はい!」
元気良く頷かれた。可愛い。
「……で、どうしたんだ? 何かあったのか?」
「はい」
頭をハンマーで殴られたような衝撃を受ける。大概のことはそつなくこなしてしまう椿ちゃんが、俺に何かあったと報告してくるほどの案件。まさか――
「――が、学校でいじめられてるとかか? 椿ちゃん、どこのどいつだ全員兄ちゃんがぶっ飛ばしてやるっ!」
「お、お兄ちゃん、私は大丈夫です! 落ち着いて下さい!」
わたわたと手を振って、違います! とアピールされる。何だ、俺の早とちりか。良かったー。
「そっか。安心した。でも、イジメられたりしたら兄ちゃんに言うんだぞ。絶対に守ってやるから」
「お兄ちゃん……」
うるうるとした瞳で見詰められる。俺はそれに答えるように、笑ってみせた。
「椿ちゃん、一緒に帰ろうか。送って行くよ」
「はい、お兄ちゃん」
手を差し伸べる。椿ちゃんは、嬉しそうに直ぐ様俺の手を握った。冷たい。まだ、2月だから底冷えするもんな。椿ちゃんの手を一旦離して、俺は鞄から手袋を出す。それから、すぐ片方だけを椿ちゃんの右手にはめてやる。
満面の笑みを浮かべて、確かめるように数回ぶかぶかな手袋をした手を握ったり広げたりする椿ちゃん。見ていて大変微笑ましい。
少しして、手袋をしていない椿ちゃんの左手を俺の右手で優しく握る。こうしてやると全体を暖めてやれる。
「圭一お兄ちゃんの手は、とても大きいですね」
「そうか?」
「はい。椿の手をすっぽり包んでいます」
「あー、でも手汗とかすごいかも。ごめんな」
「椿はお兄ちゃんの汗なら、嫌じゃありません。むしろ、お兄ちゃんの匂いがして、安心します」
「ンン゛ーーっ!! ……尊すぎる」
唇を噛んで、衝動を押さえ込む。
俺の妹マジ可愛い。
「あの、お兄ちゃん、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないけど、一周して大丈夫」
「ええっと、それは本当に大丈夫なのでしょうか? でも、お兄ちゃんがそうおっしゃるなら……」
不安げに眉をひそめる椿ちゃん。しまった。椿ちゃんがあまりにも尊すぎて回りが見えてなかった。とりあえず、椿ちゃんの頭を撫でて誤魔化しておく。椿ちゃんは可愛らしく顔を緩ませた。おっと、天使がご降臨なすった。
これ以上悶えると、椿ちゃんに変な目で見られかねないのでぐっと耐える。そして、努めて真面目な顔を作り、椿ちゃんに向き合う。
「でも、ひとりでここまで来たのか? 椿ちゃんは可愛いんだから、危ないぞ」
「お兄ちゃん……か、可愛いだなんて。えへへ、椿は嬉しいです。ありがとうございますっ。それと……お兄ちゃん、私はひとりでここを訪ねてきたわけではないのですよ?」
そう言って、椿ちゃんは後ろを振り向いた。俺もそれに合わせて視線を滑らす。
校門の柱に沿うようにして凛と佇む黒髪の綺麗な少女が目に入った。
「げぇっ、髙野宮さん」
「……人を美髯公のように呼ばないで頂けますか?」
目を細め、冷涼とした表情で睨まれる。思わず肩がすくんだ。というか、そのネタ通じるんだな。
「た、髙野宮さんは、どうしてここに?」
「愚問ね」
髙野宮さんは短くそう言って、髪を後ろに払った。ご令嬢らしく気品を感じる動作に、気後れする。
「貴弘さんに会いに参りました。それ以外に、私がここを訪れる理由があるとでも?」
「ですよねー」
白々しく頷く。
そりゃ、この平凡な市立中学校に、髙野宮のお嬢様が好んで来る訳ないよね。頭をかいて、ため息をつく。何とはなしに視線を下げると、髙野宮さんがクラシカルな革鞄とは別に紙袋を持っていることに気が付いた。
「髙野宮さん、それって――」
「圭一お兄ちゃんっ!」
椿ちゃんの声に言葉を遮られ、目を丸くする。お淑やかな椿ちゃんには珍しい行動だ。控えめに手を引かれる。
「お兄ちゃん、撫子姉様は貴弘兄様がいらっしゃるまで、ここを梃子でも動きません。邪魔をしてしまうと申し訳ないので、先に参りましょう」
「そうだな。じゃあ、髙野宮さん先に帰らせてもらうよ」
「ええ、ではご機嫌よう」
髙野宮さんは、綺麗に礼をしてくれた。俺も慌てて頭を下げる。常日頃から、タカを巡って俺のことを何故かライバル視してくる彼女だが、一応礼は尽くしてくれる。そういうきめ細やかさと優しさをもっと俺にも発揮して欲しい。
椿ちゃんの小さな手を握り直して、ゆっくりと足を進めた。
更新が遅くなりすいません。
なんとか年内に更新できて良かったです!