高嶺の花な妹分は俺のことを摘みに来ます
家から出て、俺は真っ直ぐ二見川に向かった。根拠なんてないけれど、椿ちゃんはそこにいるのだと確信があった。
二見川の河川敷は、タカと髙野宮が初めて出会った場所だ。椿ちゃんは二見川を2人の聖地だと良く話していた。憧れの念を抱くように瞳を輝かせていた椿ちゃんの表情が、頭の中に残っていたのだ。
俺は二見川の河川敷を勢い良くスライドする。全速力で二見川橋の高架下に走る。
「あ、椿ちゃん、やっぱりここにいたか」
……膝を抱え体育座りをしている椿ちゃんを見つけた。ずっとここにいたのだろうか。いたんだろうな。
胸が痛む。
俺は浅く息を吸って、椿ちゃんに近づいた。
でも、声をかけようとして、尻込みをしてしまう。今さら、どんな顔で声をかければ良いのだろうか。いや、そんなこと考えずに話せ。真っ直ぐに、椿ちゃんと話すんだ。強く拳を握り、声を振り絞る。
「……椿ちゃん」
「――――っ」
椿ちゃんは、びくりと肩を震わせ、膝に顔を埋めた。それは明確な拒絶反応だった。
「その、椿ちゃん」
「私のことは、放っておいてくださいっ!」
威嚇するような大きな声。俺はそれを無視して椿ちゃんの隣に腰を下ろした。
「放っておけないんだ」
「貴方は私を振ったではないですか」
「うん」
そうだね。その通りだ。否定しない。俺は一度椿ちゃんを振ってしまっている。納得いかないのは当然だ。言い訳しようもない。
せめてもの償いのために、椿ちゃんの頭を優しく撫でる。振り払われるかと思ったが、椿ちゃんは無抵抗だった。
頭を撫でる。言葉は交わさない。交わせない。その無音を破ったのは、椿ちゃんの方だった。
椿ちゃんは膝から顔を上げ、俺の顔を見つめた。目元は赤く腫れている。睫毛がしっとりと濡れていた。ああ、泣いていたのだ。ひとりっきりで、膝を抱えここで泣いていたんだ。
「……妹じゃ我慢できないんです。もう、貴方をお兄ちゃんと呼べない、呼びたくないです。ごめんなさい。私は貴方の理想の妹になれないです。だって、好きなの。ずっとずっと、好きだったの。貴方が……圭一さんが好きです」
好きなんです、そう何度も呟く声は震えていた。それは身を切るような想いが込められた愛の告白だった。
ああ、と俺は頷いた。
ちくしょう。散々泣かせたくせに、悲しませたくせに、彼女の告白が嬉しいなんて最低だ。心がけ締め付けられる。
こんなにも切なく心が疼くことを人は恋と呼ぶのだろう。
何故、俺は今まで気づかなかったんだ。
「ありがとう。俺なんかを好きになってくれて。椿ちゃん、俺はタカのこと責められないくらい鈍感だった。泣かせて、ごめん」
「ふっ……うぇ、圭一さん」
ぼろぼろ、と涙が溢れる。椿ちゃんはその涙を何度も手の甲で拭った。
俺は椿ちゃんの両肩に手を置いて、ゆっくりと気持ちを伝える。
「良いんだ。理想の妹にならなくても、良いんだよ」
「えっ……それって、どういう」
「椿ちゃん、その、今更何を言うんだって、怒るのは当然だと思う。それでも俺は君を失いたくない」
「圭一、さん?」
「遅くなったけど、君と離れてやっと分かった。俺はありのままの椿ちゃんが欲しい。全部、欲しいんだ。妹としても女の子としても、君が欲しい」
一拍おいて、椿ちゃんの瞳を真っ直ぐ見つめる。
俺の気持ちを、君に伝えたい。
君の心に、届いて欲しい。
――――この想い、君に届け。
「椿ちゃん、大好きだ。俺の彼女になってください」
椿ちゃんは目をまるく見開いた。あ、えっ、と戸惑う声が口から洩れる。理解が追い付いていないよう。不謹慎にもその表情が可愛いと思った。
少しの間をおいて、彼女の涙が頬をつたう。今度は嬉し泣きだと信じたい。
「……ふぇ、ぐすっ。どんかん、とうへんぼく、ばか、圭一さんのばか」
「うぐっ」
胸を穿つ言葉。まさにダイレクトアタック。鈍感で唐変木な馬鹿野郎で、本当に申し訳ありませんっ!
――でも、と椿ちゃんは瞳を細めた。
「そんな圭一さんがすき。だいすき」
涙で濡れた頬がほんのり桃色に染まっていた。上目遣い、甘い声、優しい表情のフルコンボ。カンカンカン、敗北のベルが脳内に鳴り響いた。
心臓が大きく鼓動し、もう死んでしまいそう。それでも、もう一歩踏み込む。
「もう一度言うよ。椿ちゃん、俺の彼女になって欲しい」
椿ちゃんは、ふにゃりと笑った。
「はい。私を圭一さんの彼女にしてください」
「うおおっ、よっしゃ!!」
思わず大声を上げ、ガッツポーズ。
「……恋人になったのですから、これから椿と呼びつけで呼んでください。それは、それとして、圭一さん。先ほど、恋人としても……妹としても、とおっしゃっていましたが」
「あー、その、やっぱり駄目かな。理想の妹じゃなくても良い。それは本当。でも、妹の椿ちゃん、いや、椿も好きなんだ。節操なくて本当にごめん」
「ふふっ、欲張りさんですね。でも、圭一さんらしいです。ん……では、こういたしましょう。結婚するまで、圭一さんのこと、お兄ちゃんって呼んで差し上あげます」
「うん。ありがとう。……ん? んん? け、結婚? 今、結婚って言った?」
「はい、言いました。でも、当然ですよね。髙野宮の女という花を摘んで、恋人にするのですもの。結婚するのは、決定事項です。ねぇ、圭一お兄ちゃん?」
こてん。首を傾げる椿。にっこり笑う。でも、目は笑っていない。本気と書いてマジと読むタイプの笑みだ。
「ははっ、ははは。もちろんだよ」
思わず乾いた笑い声が出た。髙野宮の女ってこえぇ。
「圭一お兄ちゃん、これから末長くお願いしますね」
「ああ、こちらこそ、よろしく……むぐっ」
口が強引に塞がれる。
柔らかく、瑞々しい唇の感触。
「んっ……えへへ。大好き、圭一お兄ちゃんっ!」
唇を手で覆う。顔が燃えるように熱い。なんてことだ。くそ、油断した。
「……俺のファーストキス、椿に奪われちゃった」
「はい、奪っちゃいました!」
ぐうかわ。
さすが髙野宮さんの妹、肉食系だった。そんなところも可愛いと思う俺は末期だ。
23歳と17歳。この歳の差の隔たりは大きい。俺は既に社会人で、彼女はまだ学生。立場上、これからすれ違うことだって沢山あるだろう。それでも、椿と手を取り合って乗り越えていける、そう思えた。
(……とりあえず、椿のご両親に挨拶にいかないとなぁ。椿は、ちょっと、いや、かなり押しが強いところがあるから、間違いが起こらないとは言いきれない。そうなると、社会的に終わってまう。その前に、こ両親に認めてもらわないと。……タカ、今なら分かるよ。摘まれたのは、俺の方だったんだ)
俺は心の中で親友に謝らざるを得なかった。
たぶん、一番の難関はご両親ではなく、髙野宮さんなんだろうな。
これからのことを考えると、胃が痛くなった。
***
「――以上が俺とお母さんの物語だ。何か感想はあるか?」
椿に似た娘の頭を優しく撫でながら、感想を聞いてみる。くりくりとした大きな瞳を瞬かせ、娘はため息を吐いた。
「ほえぇ、お父様がとってもヘタレだってことが分かりました」
ぐさり。
娘の言葉が胸に突き刺さる。
「……我が娘ながら、とても痛いところをついてくるな」
「私もお父様とお母様みたいな恋がしたいですっ!」
俺の悲痛な言葉を無視し、娘は瞳をキラキラと輝かせ、興奮気味に鼻を鳴らした。
「お父さん、そういうのは、まだちょっと早いと思うな~。具体的には、後10年くらい」
止めて、お父さん寂しくて死んじゃう。まだ、俺の側にいて欲しい。むしろ、結婚しなくて良いから。嫁に行かず、ずっと家にいて良いから!
「……あら、そんなことはありませんよ。あなたに恋をしたのは、私がちょうど6歳。この子と同じ年齢だったではありませんか」
振り向くと背中まで伸ばした黒髪を揺らし、俺の奥さんこと、椿が立っていた。ちなみに椿は俺の家に嫁入りしたので、苗字が髙野宮ではなくなっている。
――木村椿。
それが今の彼女の名前だった。
たれ目がちな瞳にすっと通った鼻筋、淡い桃色の唇、全てが美しい。何よりも清楚な若妻といったいで立ちが良い。すごく良い。
……あー、若妻と言うと、俺はもう30歳だが、椿はまだ24歳だ。
そして、娘は6歳。
はい、単純計算です。24-6の答えはいくつになるでしょうか。
……うん、そうだね。18だね。
高校卒業間近に椿の妊娠が発覚、そのまま俺達は結婚した。所謂、授かり婚だった。
当時、椿が成人していたとは言え、正直色んな意味でヤッてしまった感は否めなかった。そりゃ、妊娠の時期を逆算すると椿はまだ……いや、この話はこれ以上やめよう。俺だって、お縄につきたくない。
でも、逆だと声を大にして言いたい。俺が椿を襲ったんじゃなくて、俺が椿に襲われたんだ。
仕事終わり同僚の女性とお酒を呑んで帰った後、家にいた椿に押し倒され、そのままずるずると爛れた関係に……うっ、頭が!
椿曰く、年齢が6歳も離れているため、大人の女性と浮気されるかもしれない。あの頃は本当に焦っていました、若気のいたりですね、とのこと。娘には椿の積極性が遺伝しないことを祈るばかりだ。
ちなみに、妊娠が発覚した時、「本当に信じられないわっ! 最低、最低っ!」と、髙野宮さんから何度も何度も本気でビンタされました。全力で土下座したよね。途中、タカが止めに入ってくれなかったら、どうなっていたことやら。あの時は、本当に死ぬかと思った。
「……椿、そうは言ってもな。寂しいもんは、寂しいんだ。娘は嫁にやらん!」
「もうっ、寂しがらないでください。あなたには私がいるでしょう?」
ちゅ、と優しくキスをされた。
娘の前で、止めて欲しい。恥ずかしい。何より教育に悪い。正直、今更なところはあるが、それはそれである。
「……むぅ、またお父様とお母様ラブラブしてます」
なんか、すいません。頭を搔いて、娘に謝る俺を見ながら椿はくすくすと笑みを溢した。
「ふふっ。ええ、そうです。お父様とお母様はこの先もずっとラブラブです。でも、大丈夫。貴女もすぐ見つかります。だって、貴女は私の娘であり、髙野宮の女ですもの」
――ねぇ、圭一お兄ちゃん。
椿は俺にだけ聞こえる声でそう囁いて、自信満々に微笑んだ。
***
この物語にタイトルをつけるなら、俺は迷わずこう書くだろう。
『高嶺の花な妹分は俺のことを摘みに来ます』
それは、これからも続いていく、椿と俺の物語だ。
完結しました!
本当に長かった! 応援していただいた皆様本当にありがとうごございました!!!




