文学的なデジタル思考
部屋で正座をしながら、俺はことあらましを髙野宮さんに話した。彼女は俺の言葉を遮ることもせず、瞳を閉じ最後まで耳を傾けてくれた。
暫くの沈黙の後、髙野宮さんは口を開いた。
「事のあらましは、理解致しました」
「あー、えっと、その……」
髙野宮さんは、狼狽える俺を尻目に小さく溜め息を漏らす。情けないと思われている気がした。というか絶対に思われている。俺は更に縮こまった。いたたまれない。
常に冷静な彼女は、淡々とした表情を浮かべていた。タカ以外の人間には、割りとシビアなところが髙野宮さんらしい。こんな時に、そのシビアさを出さないでいただきたかった。
それで、と髙野宮さんは俺に視線を向ける。
「結局のところ、木村さんはどうされたいのかしら?」
「どう、とは……」
「そのままの意味ですが? 椿と関係を断のか。新たな関係を持つのか。どうされたいか、と私は木村さんにお伺いしているのです」
ーーーー思考停止。
「……っ、その選択肢、極端すぎませんかねっ!?」
「極端ではありません。むしろ、とても分かりやすいではありませんか。To be or not to be, that is the question」
「ええっと、トゥビィ ……?」
そんなことも知らないのか、と言うように髙野宮さんはこめかみに手を当て、小さくため息をついた。勘弁してくれ。俺は英語が苦手なんだ。日本語でお願いします。
「はぁ……木村さん、シェイクスピアの悲劇ハムレットはご存知かしら?」
「あー、名前だけなら」
「そう。先程の言葉は、ハムレットの劇中に出てくる有名な台詞よ。原文の翻訳について、いくつかの解釈があります。『すべきか、すべきではないか』あるいは『生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ』。……物語自体、私の好みから外れますが、この台詞だけは嫌いじゃないの。どんなことがあっても、自身の答えはいつだってふたつ。つまるところ、昔からこの世は0か1かで構成されているということでしょう?」
なんという文学的なデジタル思考。
相反する要素を混ぜ固めて、ぶん投げてくるところがいっそ清々しい。清々しくて、もはや冷たい。
「その、俺は、椿ちゃんのお兄ちゃんとして、いたいというか」
「無理です」
「即答」
「無理です」
「断言」
髙野宮さんは、呆れたように鼻を鳴らした。心底不愉快だ、と言わんばかりに目を細める。頬にかかった濡羽の髪を払って、彼女は嗤った。
「椿は木村さんの妹では、ありません。私の妹であり、貴弘さんの義妹よ」
「そうだけど、そうじゃなくて」
「事実よ」
「違うんだ、違う。俺は……ただ」
「何が違うというのかしら? 何も違わないでしょう。貴方は椿とこのままずっと、兄妹ごっこができるとでも思っているのですか。ああ、そうだとしたら、恥を知りなさい。虫酸が走ります」
ぐっ、と息がつまる。
その通りだった。俺は椿ちゃんに告白されて、それを断った。あんなに泣かせたんだ。今まで通の関係に戻れるはずがない。分かっていた。だからこそ、分かりたくなかった。俺はどうしようもない人間の屑だ。一番大切な女の子を傷付け、現実から目を反らし逃げているどうしようもない男だ。
「貴方が選択できないのなら、私が決めて差し上げます。これ以上椿に近づかないでください」
「……それは」
「私はこれでも、貴方が一方的に悪いなんて思っていないのですよ。だって、恋愛は本来そういうものでしょう? 叶う恋もあれば、叶わない恋もある。大切なことは過程ではなく選択よ。劇中のハムレットは選択し、復讐することを選んだ。それこそ命をかけて」
恋愛事に復讐話を持ち出さないで欲しい。そう思いつつ、髙野宮さんの言葉を反芻する。
「大切なことは過程ではなく、選択……」
そうです、と髙野宮さんは頷いた。
「自覚しなさい、木村圭一。貴方は、椿の想いを選択しなかった。その癖、未練がましく離れる選択ができないでいる。だからこそ、私は貴方に言います。恥を知りなさい」
離れるか。離れないか。
たったふたつの選択肢。きっとそれは俺の人生の岐路なのだ。椿ちゃんを選択しなかったことでうまれたその先の選択を俺は今迫られている。
俺にとって椿ちゃんは妹的な存在だ。
妹か恋人か。
俺は前者を選んだ。
でも、それでもーーーー
「離れたくないんだ」
「……身勝手ですね」
「分かってる。分かってるさ。でも、椿ちゃんは、俺にとって誰よりも大切な女の子だ。だから、一緒にいたいんだ」
「木村さん。そうであるならば、選びなさい。もう一度、今、この場所で」
髙野宮さんは、凛と言葉を発した。
椿ちゃんとの思い出が、走馬灯のように駆け巡る。
俺と手を繋ぐ椿ちゃん。
恥ずかしげにチョコレートを差し出す椿ちゃん。
俺の無神経さに怒った椿ちゃん。
俺の汗を拭いてくれた椿ちゃん。
桜の下で幸せそうに微笑えんだ椿ちゃん。
彼女との思い出。
その全てには、俺がいた。
でも、これからは側にいれない。ああ、くそったれ。そんなこと耐えられない。俺はずっと側にいたい。側にいて欲しい。
何故って――――
ここまで考えて、俺はようやく気が付いた。
俺は椿ちゃんのことが、妹としても女の子として好きなんだ。椿ちゃんと話すと胸が高鳴ったのは、至極簡単な理由だった。
俺は6歳も年下な女の子に、どうしようもなく惚れていたんだ。
「俺は……好きだ。妹な椿ちゃんも、ひとりの女の子な椿ちゃんも、ひっくるめて大好きだ!」
自分がびっくりするくらい大声が出た。
「はぁ、選べと言いましたが、両方を選ぶなんて無茶苦茶だわ」
「そもそも両方選んじゃいけないなんて、そんなルールないじゃないか」
「椿も貴弘さんも何故こんな人が良いのかしら。……やはり、私は貴方が嫌いだわ」
「はは、相変わらず手厳しいな」
「黙りなさい」
黙った。
「髙野宮さん。俺、椿ちゃんに会いに行くよ」
「そう」
髙野宮さんは、短く答えた。その不器用な返答は、どこかタカに似ていた。
「ああ、その、色々ありがとうございます」
「嫌々ながら、その言葉を受け取っておきます。本当に嫌々ながら」
形の良い眉をひそめ、髙野宮さんは本当に嫌そうな顔した。
「あはは、そうしてください。……じゃあ、俺行ってきます。鍵はそこの棚にあるんで、部屋を出るときは鍵を閉めて、鍵はポストに入れておいてください!」
そう伝えて慌ただしく玄関に向かう俺の背中に、髙野宮さんは言葉を投げ掛けた。どこか楽しそうな声音だった。
「木村さん、私が何故ハムレットを好んでいないと申し上げた理由をお伝えしておきます」
「えっ?」
「単純な話です。……私は悲劇が嫌いなの。どうせ見るのであれば、喜劇が良い。それも、とびっきり明るい幕引きが見たい。こう見えて、私ハッピーエンド主義者ですので」
やっぱり髙野宮さんは文学的なデジタル思考だ。でも、たまに0か1では説明できないそんな想いを言葉にのせる。アナログ思考も使いこなすとは、まったくもって恐れ入った。
「うん、頑張るよ」
「それならいいの。早く行ってください」
ひらひらと手を振られる。淑女らしからぬ投げやりな仕草。髙野宮さんなりの照れ隠しだろう。それに気が付かないふりをして、俺はドアノブを掴んだ。ガチャりと、鈍い音とともにドアが開く。
俺は選択をした。
一歩を踏み出す選択をした。
更新遅れてすいませんー。




