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夏だ!~スパザブ編⑤

 



 南国カフェを出て、俺は強い日差しに目を細める。先程まで涼しい空間にいたため、うだるような暑さに慣れるには少しずつ時間がかかりそうだ。頬を伝う汗を拭って、振り返り椿ちゃんの様子をうかがう。


 椿ちゃんは掌で日光を遮り、眩しそうに俺を見詰めていた。これはいかん。移動して椿ちゃんへ日差しが当たらないよう立ちふさがり影を作る。


「じゃあ、ほどほどにお腹も膨れたところで泳ぎにいきますか!」

「……は、はい。お兄ちゃん」


 椿ちゃんは緊張したように、ピンと背筋を伸ばした。その仕草が可愛らしくて思わず笑みがこぼれた。


「ん、じゃあ行こうか」


 俺は手を差し伸ばす。

 椿ちゃんは数秒戸惑った表情を浮かべ、その手を見詰める。浅く息を吐いてから、掌にそっと手を置いて控えめに俺の手を握った。


 確かめるように何度かぎゅっぎゅっと手を握る。そして、俺は改めてとても小さな手だと思った。精神的に大人びて見えても、彼女はまだこんなにも小さく幼い。


 毅然と佇み、常に前を見据えている子どもらしからぬその姿と口調。きっとそれは髙野宮家の子女として教育を受け、誰かに甘えることができない環境だったからなのだろう。なら、答えなんて決まっている。椿ちゃんは俺の妹だ。だったら――



 ――俺ひとりぐらい彼女を全力で甘やかしても良いだろう?



 椿ちゃんの頭をそっと撫でる。


「椿ちゃん。今日は一緒に沢山遊ぼうな」

「……うん、圭一お兄ちゃんっ!」


 それは夏の日差しより眩しい笑顔だった。




 ***




 流れない方のプールの前に仁王立ちをして、俺は椿ちゃんに語りかける。


「さて、椿ちゃん。泳ぐにあたって一番大切なことは何でしょう?」

「……ええっと、息継ぎでしょうか?」


 むむっ、と眉を下げる椿ちゃん。空前絶後の可愛いさ。答えは違うけど、もうこれが正解で良いのでは? 


 ……いや、ダメだ。頷きたくなる衝動を必死に抑え、指でばってんを作る。


「ぐう天使」

「えっ?」

「あっ、ごめん。今のなし。こほん……限りなく正解に近い不正解だ。……答えは、準備体操です」

「それ、全然答えに近くないと思いますが」

「そんなことない。ほぼ正解と言っても過言ではないぞ」

「そうでしょうか?」

「そうなのです」


 反論は一切受け付けません、と大きく頷いて胸を張る。


「じゃあ、準備体操しよっか。俺の準備体操は厳しいぞ。良し、付いて行きます、隊長!」

「ええっ、私が隊長なのですか!?」

「イエスマム!」

「ううっ、良く分かりませんが、お兄ちゃんがそう言うなら精一杯努めさせて頂きます」


 投げやり気味にそう言う椿ちゃん。案外ノリが良い。ふふっ、さすがである。


「では、お兄ちゃん。膝の屈伸から始めましょう。いち、に、さん、しー」


 律儀にかけ声を上げながら、体操に勤しむ椿ちゃん。俺もそれに続けて屈伸をする。その後、伸脚やジャンプ、手首足首を回旋したり、一通りの体操を済ませた。


「うん、準備万端だな!」

「あっ……」


 椿ちゃんはプールをじっと眺めている。その横顔があんまりにも真剣だったので、思わず声をかけてしまった。


「椿ちゃん、どったの?」

「はひっ!? ……にゃ、にゃんでもありませぬっ!」

「いや、なんでもありまくりだぞ。だいぶ面白おかしい口調になってるし」

「それはお兄ちゃんの気のせいです!」

「そっかー、気のせいかー」


 絶対気のせいじゃないと思います。


「まぁ、良いけどさ。じゃあ、さっそく泳ぎましょうか、隊長!」

「ら、らじゃー」


 俺が敬礼すると、椿ちゃんは辿々しく敬礼を返した。ふふっ、ノリが良い、さすがである(本日2回目)。


 プールの縁に座って、まず水の冷たさに身体を慣らす。うん、冷たくて気持ち良い。少し足をバタつかせてから、そのままプールに浸かる。プールの深さは俺の腰ぐらい。そこまで深くはないが、椿ちゃんの身長を考えるとこれで丁度良いくらい。


「椿ちゃんも早くおいで、冷たくて気持ち良いよ」

「うっ、はい」


 椿ちゃんはぎこちなく、首を上下に振って身体を動かした。カクカクと両手足を同時に出し、身体を震わせた。


 あれ? 

 何か様子がおかしいぞ。椿ちゃんのその姿は、まるで生まれたての小鹿のよう……ま、まさか椿ちゃん。


 バチャン、と水飛沫が上がる。


「ちょ、椿ちゃんッ!?」


 椿ちゃんはバタバタと身体を派手に動かしている。しかし、一向に進まないし、息継ぎもしていない。これ完全に溺れてますよねっ!?


「つ、椿ちゃん、早く俺につかまって!」

「ぷはっ、けほ、けほっ……」


 椿ちゃんは俺の首に手を回して、すがり付いてくる。その小さな身体を持ち上げ、プールの縁に腰掛けさせる。水を少し飲んでしまったのか、小さく咳を繰り返す椿ちゃんの背中を優しく擦る。


「あー、椿ちゃん、大丈夫か?」

「は、はい、大丈夫です」

「そっか。良かった」


 椿ちゃんのはっきりとした受け答えに、取りあえず胸を撫で下ろした。安心して微笑みそうになる顔を引き締め、意識して眉を吊り上げる。


「でも駄目だぞ、椿ちゃん。泳げないなら、泳げないって早く言ってくれないと」

「うぅ……ごめんなさい。でも、お兄ちゃんをがっかりさせたくなくて」


 しょんぼり、俯く椿ちゃん。そんな姿を見たらこれ以上は無理だった。椿ちゃんの頭を撫でる。


「がっかりなんてするもんか。泳げないなら、泳げるようになれば良い。こう見えても俺、結構水泳得意なんだぜ?」

「……お兄ちゃん」


 パチリ、とウィンクを決める。自分でもクサイ仕草だと思ったが、椿ちゃんの笑顔を見るとそんなことどうでも良くなった。


「俺の訓練は厳しいぞ。今度は俺が隊長だ。付いてこられるかな?」

「はい、どこまでも付いて行きます!」

「むしろ、追い抜かすぐらいの勢いでかかってこい。というわけで、まず顔をつける練習から始めようか。大丈夫、俺がちゃんと見てるから」

「さーいえっさー、圭一お兄ちゃん隊長、よろしくお願いします!」


 ふふっ、やはりノリが良い。さすがである(本日3回目)。俺は椿ちゃんの手を握る。椿ちゃんも俺の手を握り返してくれた。



 ――そうやって、1日が過ぎていく。




 ***




 俺たちはスパザブの前で、タカと髙野宮さんと合流した。タカは少し見ない間にげっそりしている。


「はぁー、マジ疲れた!」

「大丈夫か、タカ? 体力お化けのお前がそんなになるなんて一体何があったんだ」

「誰が体力お化けか。俺が疲れてんのは、こいつのせいだ」


 後ろに立つ髙野宮さんに向け、指をさす。


「貴弘さん、人に指をさすなんて下品だわ」

「うるせー、大体お前が悪いんだろ!」

「そんなことありません。そもそも貴弘さんが、負けず嫌いを拗らせたのがいけないのよ。私に25m水泳を負けたからといって、意地になり1000mも泳ぐからです」

「ぐっ、俺はまだ負けてないっ!」

「全く、そういうところよ。ふふっ、本当にいけない人ね」


 吼えるタカに怖じけづくどころか、笑っていなしている髙野宮さん。


「何がいけない人だ。お前だって、いちいち男を引っかけてただろ!」

「なっ!? ひ、引っかけてなどいません! 勝手に向こうから寄って来るだけで、好きで呼び寄せている訳ではありません!」

「お前が自分の可愛いさを自覚して、行動すればいい話だろ! 隙だらけだからそうなるんだ! 毎回追い払う俺の苦労を考えろ!」

「かわっ!?」


 可愛いというワードに、顔を真っ赤にして萎む髙野宮さん。そっか、髙野宮さんタカに対してのみ目茶苦茶弱いんだった。

 タカもタカで、差し込む夕陽に紛れて髙野宮さんの上気した頬に気付いていない。ふたりして、めんどくさい。早くくっついてしまえ。


「まあ、楽しそうでなによりだ」

「そうですね、お兄ちゃん」


 俺と椿ちゃんは、無自覚にイチャつくふたりを置いて歩き始めた。アスファルトに残る暑さを感じながら、俺は空を見上げる。黄金色に染まる空を眺め、夏だなぁと当たり前の感想を抱いた。


「お兄ちゃん」


 呼ばれて、椿ちゃんに視線を向ける。


「今日、お兄ちゃんのおかげで少し泳げるようになりました」

「椿ちゃんが頑張ったからだよ」

「いいえ、お兄ちゃんのおかげです」


 椿ちゃんは祈るように胸の前で両手を握って、真っ直ぐ俺を見詰めてくる。


「あの、お兄ちゃん、私がちゃんと泳げるようになったら、またここに連れて来てくださいますか? ……その、今度はふたりで」

「ああ、勿論」


 俺は迷わず頷いた。

 そして、椿ちゃんに問いかける。


「――椿ちゃん、今日は楽しかったか?」

「はいっ、とても楽しかったです!」


 椿ちゃんは笑った。





スパザブ編これにて終了。

この後、また時間が進みます。

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