夏だ!~スパザブ編③
俺とタカは数秒固まり、お互い目配せをする。
(タカ、お前が先に振り向けよ)
(絶対な嫌だ。圭一が先に振り向けよ)
(まぁ、遠慮せずに)
(圭一こそ、ほら)
(そこはタカが)
(いやいや、お前に譲るよ)
(それはこっちの台詞だ)
「……ねえ、貴弘さん。いい加減お顔を見せて下さい。聞こえているのでしょう?」
永久凍土を思わせる声音。
思わず背筋が伸びる。心も身体も氷像になった気分だ。
「うふふ、あまり待たせないで下さいね。私、耐えることは得意ですが、貴弘さんに関しては我慢しないと決めているの。貴方たち……四の五の言わずに振り向きなさい」
「「はい」」
声を揃えて、返事をする。
両手を上げ降参のポーズをとりながら、俺たちは酷く漫然とした動作で振り向いた。死地に赴くような気持ちである。
覚悟を決め視線を向けると、白いタートルネックビキニを着た髙野宮さんが目に飛び込んできた。かなり大胆な水着だが、青い花柄のパレオを合わせることによって、清楚で落ち着いた雰囲気を醸し出している。ポニーテールに纏められた濡羽の長髪が、さらりと風に靡く。それをぼんやり目で追いながら、相変わらず美人だなと思った。
「……ご機嫌よう」
髙野宮さんは、優雅に一礼。
頭を上げると、微かに目を細めた。
それを見たタカは「まずい。撫子、ガチでキレてるぞ」と俺にアイコンタクト。俺は下手くそな笑みを浮かべ、「何とかしろ」と指で合図。頷くタカに向けて、本当に俺の意図は伝わったか、と少し首を傾ける。
(……ユーコピー?)
自信ありげに口角を上げ、タカは俺に対して視線を送った。
(アイコピー!)
一抹の不安を覚えながらも、俺はタカに全ての命運を預けることを決めた。タカ、頼むぞ!
「おお……き、奇遇だな、撫子。お前もここに来てたのか」
「そうですね。奇遇だわ。ええ、本当に」
「あ、あはは、そっか。……ところで、撫子。今日はひとりでスパザブに来たのか?」
「……当初、とある方と共に来ようと思っていました。不本意ながらそれができなくなりまして、今回は椿とふたりで参りました」
「へー、そりゃツイてなかったな」
「ふふふっ。ええ、でも良くあることですから」
右手で両目を覆う。こいつ俺の命運を速効でゴミ箱にダンクシュート決めやがった。止めろ、俺は燃えるゴミじゃない!
タカの空気の読まない発言に、髙野宮さんは微笑んだ。目が笑っていなかった。どうしてお前は地雷の上でタップダンスをするが如き発言をするんだ。一周して天才、もとい天災か。
俺は生きて故郷の土を踏めるのか。ああ、もし戦場で倒れたら、見事な散りようだったと母さんに伝えてくれ。心の中で遺書を書き始める。
「……はぁ、良くありませんが、もう良いです。それよりも、先程聞き捨てならない会話が聞こえてきたのですが。それに関してご説明していただけるかしら?」
こてん、と可愛らしく首をかしげる髙野宮さん。その瞳孔が開いた瞳はまるで肉食動物のよう。駄目だ、食い殺される未来しか浮かばない。
「あー、まあ、俺たちも年頃の男な訳で。そういうのに興味があるんだよ。誰にも迷惑かけて無いんだから、それぐらい別に良いだろ?」
「――あっ、タカ! おま、また何てことを言ってんだよ!?」
タカは自殺願望でもあるのだろうか。
激しく困惑し、汗が滝のように流れる。
「ふふ、うふふ、あはっ」
頬にかかる髪を払って、髙野宮さんはどこまでも綺麗に嗤った。
「……貴方は本当にいけない人ね。私、ここまでとは思いませんでした。端から理解する気がない人に、いくら言葉を重ねても意味がなかったわ。この上なく不毛な行為でした。貴弘さんには、少々違うベクトルでお灸を据えなければいけないようです」
そう言って、髙野宮さんはタカの手を取った。
「木村さん、貴方にお願いがあるのですが、南国カフェに居る妹のお相手をして頂けませんでしょうか? 私は貴弘さんに躾、もとい、お話したいことがありますので。よろしいですね」
疑問系ではなく、断定系だった。選択の余地すらない。いや、椿ちゃんの相手なら喜んでしますけども!
「イエス、マム!」
タカを問答無用で引っ張っていく髙野宮さんへ、敬礼。タカ、お前のことは10秒くらい忘れない。骨は拾ってやらんこともないので、大人しく成仏してくれよ。南無三。
俺はタカと髙野宮さんの後ろ姿を見送って、深い溜め息をついた。
こいつらはいつだって、俺を散々振り回して走り去って行く。まさに台風のような存在だ。だが、台風が去った空がどこまでも澄んで綺麗なように、彼らの後ろ姿を見ることはそう悪いものではない。そんなことを考えている自分は、どうしようもなく毒されているのだろう。
***
そんなこんなで、南国カフェに到着。
名前の通り南国ムードたっぷりのトロピカルな内装。ハワイアンな音楽が流れていて、全体的に可愛らしく女の子が好きそうな雰囲気だ。
テーブルに視線を巡らせ椿ちゃんを探す。すると、すぐに窓側にひとり座っている椿ちゃんの姿が目に入った。
「おーい、椿ちゃん」
「あっ、圭一お兄ちゃんっ!」
名前を呼ぶと椿ちゃんは、振り向いて満面の笑みを浮かべた。俺は軽く手を振って、椿ちゃんの元に向かう。
「こんにちは、椿ちゃん。ここ座ってもいいかな?」
「お兄ちゃん、こんにちは。どうぞお掛けになって下さい」
椿ちゃんは珍しく髪をアップして、小さな花柄のワンピース型の水着を着ていた。落ち着いたスモーキーブルーの水着がとても良く似合っている。素晴らしい。
「うん、ありがとう。それと、突然ごめんね。さっき髙野宮さんがすごい勢いでタカを連れていっちゃってさ」
「大丈夫です。お姉様は貴弘兄様のことになると我慢ができない人なので。それにこうなると分かっていながら、お姉様に付いて行きたいとお願いしたのは椿なのです。だから、お気になさらないで下さい」
「――椿ちゃんは本当に良い娘だなぁ」
しみじみ頷く。
こんなできた娘はそういない。いてたまるか。何度も頷く俺を椿ちゃんは見つめて、くすりと笑った。それから、少し首を傾けて目を細めた。
「……私、お兄ちゃんに会いたくてここまで来ました。その……お兄ちゃんさえ良かったら、一緒に遊んで欲しい、です」
「――マジ尊い。椿ちゃんはまさに地上に舞い降りた天使」
「……えっと、お兄ちゃん?」
きょとん、と瞳を瞬かせる椿ちゃん。しまった。本音が漏れた。
「いいや、何でもない。勿論、喜んで」
「嬉しいです!」
両手で小さくガッツポーズを決める椿ちゃん。その可愛らしいリアクションに癒される。
「椿ちゃんはもうお昼ご飯は食べた?」
「いいえ、まだです」
「じゃあ、まずここで一緒に食べようか」
「はいっ!」
「良い返事だ。ああ、それと―――その水着、椿ちゃんにすごく似合っているよ。とっても可愛い」
一拍おいて、椿ちゃんの頬っぺたがリンゴみたい真っ赤に染まった。それから椿ちゃんは、あー、うーと、口をもごもごさせ、こくんと頷く。
「……お兄ちゃん、ありがとうございます」
そう言って、ふにゃりと微笑んだ。