いつかきっと
ホワイトデーの当日、学校が終わるとタカと一緒に髙野宮邸を訪ねた。髙野宮さんはまだ帰宅してないようだった。その時点でタカは一度帰宅しようとしたが、山郷さんにストップをかけられた。そして、半ば強引に髙野宮さんの部屋で待つようにと連れていかれたのであった。南無。
しかし、取り残された俺はどうしたらいいのだろうか。取り敢えず、縁側に座って一息つくことにする。
髙野宮邸の庭は白砂を敷き詰めた見事な枯山水の平庭だ。俺にはあまり理解できないが、わびさびというやつだろうか。ただボーッと、庭を眺める。
「……圭一お兄ちゃん!」
後ろから、声をかけられ首だけ振り向く。そこには、丸い白襟が付いた黒いワンピースにボレロという聖深学院の制服を着た椿ちゃんが立っていた。
「やあ、こんにちは。椿ちゃん、お邪魔しているよ」
「ご機嫌よう、お兄ちゃん。会えて嬉しいですっ!」
椿ちゃんはキラキラと瞳を輝かせて笑った。寒いからか、頬が桃色に染まっている。大変可愛らしい。心の中でこれみよがしに褒め称えておく。
「お兄ちゃんがいらしていると言うことは、貴弘兄様もご一緒ですか?」
「あー、うん。たった今、山郷さんに髙野宮さんの部屋へ連行された」
「……そうですか。山郷さんも撫子姉様に甘いですから、姉様が不在で帰ろうとした兄様を強引に引き留めたのですね」
うわっ、すごい。これだけの情報で的確に推測してきた。うむ。さすが俺の妹分、素晴らしい洞察力だ。
「それはそれとして、こんなところにお待たせして申し訳ありませんでした。お兄ちゃん、お寒かったでしょう?」
「いや、そんなに待ってなかったから大丈夫だよ」
「ふふっ、お兄ちゃんは本当に優しいですね。さぁ、どうぞこちらへ」
手をそっと握られて、控えめに引かれる。俺はそれに抵抗せず、付いていく。椿ちゃんは、少し歩いたところにある客室に案内してくれた。部屋は暖房が効いていて、とても暖かい。
「お兄ちゃん、こちらでごゆるりとお寛ぎ下さい。すぐに熱いお茶とお茶請けをご用意しますね。椿は着替えて参りますので、少しの間失礼致します」
「……ああ、ありがとう」
椿ちゃんは深々と頭を下げて、部屋を後にした。本当に礼儀正しい。こういうところを見るとやっぱりお嬢様なんだな、と思う。そんな取り纏めのないことを考えていると、障子の外に人の気配を感じた。
「……圭一ちゃん。ばあやでございます。お茶をお持ち致しました」
聞きなれた声に俺は、どうぞとすぐに返事をした。すると、障子を引いて、老年の女性が軽くお辞儀をした。俺も頭を下げる。
淡い緑の落ち着いた着物を着た女性は、ばあやさん。髙野宮さんのお世話係である山郷さんの実妹である。山郷さんはクールでしっかりとしたイメージだが、ばあやさんはお茶目でほんわかした雰囲気を持っている。
彼女は椿ちゃんのお世話を担っており、苗字が同じ山郷なので、椿ちゃんは『ばあや』と呼んでおり、俺もそれに習って、ばあやさんと呼ばせてもらっているのだ。
ばあやさんは、机にお茶とお茶請けの羊羮をそっと置いてくれた。
「ここに急須も置いておきます。ご自由にお飲み下さいね」
「ばあやさん、ありがとうございます。急に来てすいません」
「いえいえ。うふふっ、圭一ちゃんがいらっしゃると椿お嬢様がとても喜びます。むしろもっといらして下さってもよろしいのですよ?」
ぱちり、とウィンクをするばあやさん。俺は頭を掻いて、苦笑する。ばあやさんには勝てる気がしない。というか、髙野宮に関わる女性たち全員が強すぎてはじめから勝負にならない、そんな気がする。
***
「お兄ちゃん、お待たせ致しました」
障子をそっと開けて、椿ちゃんが部屋に入ってきた。聖深学院の制服から、赤い着物に着替えていた。姿勢良く側まで歩いてきて、俺の横にちょこんと正座した。その小動物のような仕草に癒される。
「貴弘兄様と一緒に遊びに来てくださったのですよね? 撫子姉様がお帰りになられたら、椿もご一緒してよろしいでしょうか」
「えっと、今日は違うんだ。実は椿ちゃんに渡したい物があって……」
「私に、ですか?」
俺は頷いて、ポケットに入れていたプレゼントを取り出した。それを椿ちゃんに差し出す。
「ほら、今日はホワイトデーだろ? これ、お返しのプレゼント。その、気に入ってくれたら嬉しい」
椿ちゃんはプレゼントを受け取って、肩を震わせた。我慢できない、と言うように俺の顔を見詰めた。
「お兄ちゃん、この場で開けても宜しいでしょうか?」
「ああ、勿論」
俺の了解を得て、椿ちゃんは包装を開封した。
「クラダリング……」
掌に指輪を乗せて、椿ちゃんはポツリと呟いた。それ、正式名クラダリングって言うんだ。全然知らなかった。
「最初はさ。クッキーとかにしようと思ったんだけど、どうせなら形の残るものの方がいいと思って」
「お兄ちゃん、嬉しいです! ありがとうございます。このクラダリング大切にしますっ!」
指輪を大切そうに胸に抱いて、きらきらと瞳を輝かせる椿ちゃんを見て俺の方も嬉しくなる。こんなに喜んでくれたら、プレゼントしたかいがあったってもんだ。
「お兄ちゃん、あの……もし、よろしければ椿に指輪を付けて下さいませんか?」
上目遣い。控えめな主張は椿ちゃんらしい。俺は笑って頷いた。
どこに付けていいか分からなかったが、取り敢えず右手の薬指に指輪を通した。
「右手の薬指に逆さまに付ける、ですか……」
「あっ、ごめん。俺、何か間違った?」
「いいえ。ふふっ、今はこれで良いです。でも、いつかきっと……」
椿ちゃんは右手を上げて、眩しそうに指輪を眺めた。
いつも誤字、脱字の訂正ありがとうございます。そして、大変お待たせしました。