物語を始めよう
この小説は「高嶺の花なご令嬢は自ら俺に摘まれに来ます」のスピンオフです。初めての方は、それを読み頂いてからの方が楽しめるかもしれません。
何から話したものか。
俺の膝に座る娘を見ながら思案する。お利口に俺の言葉を待つ娘の瞳はキラキラと輝いていた。その愛らしい様子に自然と笑みが漏れる。やはり女の子は、惚れた腫れたの恋話が好きなのだ。それが例え、親の話であっても。
娘の頭を優しく撫でる。
「父さんが母さんと出会ったのは丁度、父さんがお前くらいの年で……」
――――さあ、俺たちの物語を話そう。
***
「おーい、圭一!」
後ろから名前を呼ばれて振り帰る。
道路の向かい側で、手をブンブンと振る見慣れた少年が見えた。信号が青へと変わると、こちらに向かって軽快に走ってくる。
「……そんなに急いで、どうしたんだよ、タカ」
俺、木村圭一は幼稚園からの友達であるタカ、日野貴弘に声をかける。タカは乱れる短い黒髪を払って、ニッコリ笑った。あっ、この顔絶対何か悪いことを考えてるな。
「おい、圭一。お前、今日ひまか? ひまだよな? ひまって言え!」
「ええっ!?」
とんだ三段活用だった。
逃がさないとでも言うように、腕をがっちり捕まれる。
「よし、いくぞ!」
「いくぞって、どこにだよ?」
恐る恐る聞いてみる。
「撫子ん家」
無言で手を払い駆け出そうとして、後ろから羽交い締めにされた。ふんぬぅ! 力の限り抵抗する。
タカが言った撫子という人物は、髙野宮撫子さんという俺たちと同じ小学1年生の女の子だ。彼女は俺でさえ知っているほど有名な髙野宮グループ会長の娘さん。つまるところ、本物のお嬢様である。
どう言う訳か、タカは髙野宮さんと知り合い友だちになったらしい。俺が思うに、髙野宮さんがタカに向ける視線は、友だちとかそんな生易しいものでない気がする。うまく言えないが、獲物を狙う肉食獣のような目付きなのだ。思い出して、ブルッと来た。
「はなせ! はなせよっ!」
「ともだちを助けると思って、ついてきてくれよ!」
必死にすがり付いてくるタカ。力を入れ、引きずるようにして歩く。俺は髙野宮さんと相性が悪いのだ。彼女は俺とタカが仲良しなのが気に入らないらしく、俺のことを常に牽制してくる。というか、一方的に敵視されている。それもこれも、全部タカのせいだ。
「ムリだって! 髙野宮さん俺をみる目こわいもん。タカは好かれてるんだから、ひとりでも行けるだろ!」
「ばか野郎! 俺だって、行くのやだよ! あの家、広すぎて前行ったとき迷子になったんだぞ。それに撫子のかーちゃん、俺に会うごとに『髙野宮の女からは逃げられませんよ』って、良くわからん怖いこと言ってくるんだぜ!」
「じゃあ、行かなかったら良いじゃん!」
「行かなかったら、行かなかったで、撫子が泣きながら家まで電話してくるんだよ!」
ああ、一度遊びに誘われて、行かなかったことあるんだな。その時、泣かれたんで困ったと。いや、自業自得じゃん。
タカから絶対に離さない。そんな気概が伝わってくる。あー、面倒臭い。俺は深く溜め息を吐いて、素直に敗けを認めることにした。
「はぁ、分かった。分かったよ。ついていくから」
「……おお、心の友よ!」
……お前はどこぞのガキ大将か。二重の意味でげんなりした。
***
俺たちは、大きな唐門の前に立っている。
タカが目一杯背伸びをして、ドアホンを鳴らした。数秒して、「お入り下さい」という声がマイクから聞こえてくる。ぎぃ、と音をたてて、門が開いた。
門を潜ると、大きな日本庭園が視界に広がる。
相変わらず規模が違う。荘厳とした雰囲気に圧倒される。タカはスタスタとしっかりとした足取りで、前に進んでいる。俺は慌ててそれに続く。
「貴弘坊っちゃん、お待ちしておりました」
屋敷の玄関に着くと、老年の女性が深々とお辞儀をした。タカは頭を掻いて、困った表情。
「……山郷さん、ぼっちゃんは止めてくれよ」
「坊っちゃんは、坊っちゃんですので。今日は、木村さんもご一緒なのですね。どうぞ、御上がり下さい」
この人は山郷さん。下の名前は知らない。
無表情でいつも何を考えているか分からないけど、口調は優しいし、帰りに「秘密ですよ」と言って、お菓子をくれたりする。おばあちゃんみたいで、俺は大好きだ。
「むー、だから、ぼっちゃんじゃないっての」
「えっと、その、お邪魔します」
タカは不満げに文句を漏らしながら、玄関に入る。
俺も恐る恐るその後に続いた。
靴を脱いでいると、廊下からバタバタと走る音が聞こえてくる。
顔を上げると、薄桃色の着物を纏った少女が息を切らして立っていた。ほんのり赤く染まった頬。つり目勝ちな瞳は、長い睫毛に縁取られている。簡単に言うと、めちゃくちゃ可愛い。
「撫子お嬢様。廊下を走るなど、はしたのうございます」
「ごめんなさい。でも、待ちきれなくて」
山郷さんにたしなめられ、髙野宮さんは軽く目を伏せた。山郷さんは苦笑して、よろしいと頷く。
許しを得てすぐに、髙野宮さんはタカの方を向いた。切り替えが早いな。走ってきたために乱れた腰まである黒髪を手で軽くといから、タカに話しかける。
「貴弘さん、お待ちしていました!」
嬉しくて嬉しくて嬉しくて、堪らない。
髙野宮さんの気持ちがこちらまで届いてくる。甘すぎる空気。一体、砂糖を何杯ぶちまけたらこうなるんだろう。
タカもその勢いに押されて、しどろもどろ。
「お、おう、撫子」
「さあ、早く御上がりになって。私、貴弘さんのために、色々用意したのよ。読みたがってらっしゃった本や貴弘さんが好きなお菓子、それにアニメのDVDも。まだまだ沢山ある……の」
そこまで言って、髙野宮さんは俺に気付いた。
「あら……木村さんもいらっしゃったのね」
「ああ、ほら人数多い方が楽しいだろ!」
「……私は貴弘さんとふたりでも十分楽しいわ」
「なあ、撫子。そんなこと言わずに……3人で遊ぼうぜ」
そう言って髙野宮さんの頭を優しく撫でるタカ。
髙野宮さんは顔を真っ赤にして、目を泳がせる。それから恥ずかしげに肩を揺らして、こくこくと小さく頷いた。
「貴弘さんが、そうおっしゃるなら。……木村さんもどうぞ」
「えっと、ああ、うん」
もう、なんでもいいから早く終わってほしい。
タカめ、後で埋め合わせしろよ。心の中で俺はそう吐き捨てた。