第三話 コモドラゴンのテールステーキ2
「ライラさん?!」
シロは絶叫すると同時にライラの腕を強く引き寄せ後ろに飛びのいた。コモドラゴンの背にまたがるローゼとの間にわずかに距離ができる。
ローゼは煙を上げるキャノン砲を肩に抱えながら目をすがめた。
「ちょ、ライラさん、ライラさん!!」
倒れこんだライラを揺さぶる。
キャノン砲が直撃した顔面からは白い煙が上がっている。
「ライラさ――」
「びっくりした……」
顔面から煙を立ち上らせたまま、ライラが起き上がった。
あっけにとられるシロを横目にワンピースについた砂埃を払うと、片手を顔の前でぶんぶんと振り煙を払う。
「油跳ね対策の防御魔法。さっきまで揚げ物してたから」
「そんな基礎料理魔法でキャノン砲が防げてたまるかっ!!」
ローゼが叫び手にしていた獲物を放り投げる。あの小さな体のどこから取り出すのか、次の瞬間には腕いっぱいに手榴弾を抱えていた。薄桃色の小さな口で器用にピンを抜く。
「まずい!ライラさん逃げ――」
言いつつ振り向いた先にライラはいない。
「おい、走れシロ。あれはまずい」
箒に横座りになったライラが上空から声をかける。風になびく銀色の長髪を優雅にかき上げているが既にシロの前方数メートル先を低空飛行している。
「ちょ、待ってくださいよライラさん!!」
慌てて駆け出すシロ。数秒でライラに追いつき並走する。
「シロは足が速いんだな」
「そんなこと言ってる場合じゃないですって!どうするんですかあれ!」
シロが指さす先には、猛然と土煙をあげるコモドラゴンにまたがり追いかけてくるローゼの姿。困ったな、と全く困ったようには見えない顔でライラが頬に手をあてる。
「魔女狩りはしつこくてかなわん」
魔女狩り――。シロは一瞬ひるんだように表情をこわばらせた。その様子を横目で認めたライラはしかしそのままふいと前を向く。
「魔女狩りって、そんなまさか! 大戦後の条約で禁止されたはずです!」
依頼を受けて動く魔女専門の殺し屋、通称魔女狩りが暗黙の了解として公的に認可されていたのは終戦までの間だ。今では取り締まりの対象になっている。
「条約なんてものは形ばかりだ。戦争が終わっても恨みは消えない。魔女の存在を憎む者たちがいる限り魔女狩りは生き続ける」
正論だ――、シロは唇を噛んだ。個人か、あるいは団体か、ライラを憎み、魔女狩りにその抹殺を依頼した者がいるということは先ほどから投げ込まれる手榴弾や銃声が証明している。
「ライラさんも、大戦に加わっていたんですか」
ライラは答えなかった。まるで凍てついた湖面のような瞳がシロを見つめる。シロはそのときはじめてライラを畏怖した。強大で、永く、絶対的な何かがライラとシロを隔てているような気がしてシロは口を噤んだ。
「ちょっとあんたたち!! 何目の前で見せつけてくれちゃってんのよ!!」
後方から銃弾の雨と共にローゼの甲高い声が突き刺さる。シロは慌ててスピードを上げた。
「どうするんですかこれ!!」
「ううん、どうしようか」
悠長に首をかしげるライラ。
(ラルファンを一撃で倒したといってもライラさんは料理魔女。魔女狩りを相手にするのはさすがに厳しいか……)
シロは走りつつ考える。飛んでくる爆撃を紙一重でよけているため負傷はないが、このままただ逃げ続けるばかりでは少々分が悪い。
(せめて一人になれれば……)
ちらりと箒の上のライラを見上げるが、シロを置いていく気はないらしく攻撃と共に起こる爆風に巻き上げられる髪を片手で押さえつつ箒を走らせている。
「あのコモドラゴンさえ足止めできれば逃げきれそうなんですけどね」
「コモドラゴン――?」
シロのつぶやきにライラが反応した。赤い瞳が星を散らしたように輝く。
「あれ、コモドラゴンなの?」
「え、はい、そうですけど――」
シロが言い終わる前にライラは動いた。と言っても目視できたのは彼女の箒が一瞬停止したところまでで、次の瞬間にはライラの身体ははるか後方、ローゼの鼻の先にあった。
「え――」
一瞬で眼前に現れた獲物の顔に、ローゼは目を見開く。
まず、い――。
ローゼは慌てて手に持った小銃を向けようとするが、間に合わないことは火を見るより明らかだった。
ライラは大きく息を吸い込んだ。赤い瞳が煌めく。
「ばあっ!!」
攻撃を予期していたローゼはライラの怒声に驚き、そして、同様に硬直してしまったコモドラゴンの背中から転がり落ちた。
「はあっ、はあっ、急に何してるんですかライラさん!」
シロがライラの元にたどり着くとライラはなんだかうれしそうにびくびくと動く塊を腕に抱えていた。彼女の足元にはローゼが倒れている。コモドラゴンは主人を振り落して逃げたのか、姿が見えない。シロはひざまずくとローゼの息を確認した。呼吸はある。気絶しているだけのようだ。
「当たり前だろう。そいつは食材じゃない。殺してどうする」
ライラの言葉にシロは苦笑した。ライラが彼女と戦わなかったのは魔女狩りを恐れてのことではなかったらしい。実際に途中で身を翻した彼女の速度はシロの目で追うことのできないほどであったし、むしろシロのスピードにあわせて逃げてくれていたのだろう。本当に、料理魔女とは思えない魔力に身体能力だ――、そこまで考えてシロは改めてライラが抱える物体に気が付いた。
「それ――なんですか?」
緑色のうろこでおおわれたそれは柔らかくしなる円錐の形をしていて、時折ライラの腕の中で大きく動く。
「コモドラゴンのしっぽだ」
思い切り顔をしかめたシロにライラはほくほくとしてつづけた。
「あれは驚くと尻尾を残して逃げる。切れたて新鮮なのが手に入ることは珍しい」
そういうとびくびくと震えるコモドラゴンのしっぽを腕に抱えたまま箒で飛び上がった。頭上からシロに声をかける。
「その子どもも連れてきてやれ。コモドラゴンを届けてくれたお礼に馳走しよう」
今夜はステーキだ、と付け加えるとライラはそのまま森の中央に向かって消えてしまった。
シロは気絶したローゼを見下ろす。転げ落ちたときに擦りむいたのか、むき出しの細い手足には細かい傷ができていた。
「折れたりしてないよな……」
確かめるように腕をとると、傷はそれだけではないことに気が付いた。比較的新しい青あざから古い打撲の跡、何針か縫ったであろう大きな切り傷などあらゆる傷が彼女のまだ幼く白い肌を覆っていた。
シロは眉を顰めると多少躊躇してからたっぷりとフリルのあしらわれたパフスリーブをずらした。薄い肩が露わになる。
「これは――」
シロは少し考えこむと彼女の服と髪を整え、抱き上げた。背中に背負ったままの食糧袋を背負い直し、森の中央へと足を進める。
彼女の小さな肩には王室の紋章が彫り込まれていた。