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絶食の魔女ライラのスープ  作者: 佐原律
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第一話 ライラのスープ

「はッ!はッ――!」

シロはルドルフの森の中を全力で駆けていた。倒れた枝葉や小石がむき出しの脚を容赦なく傷つける。背後では鳥型の化け物、ラルファンの雄たけびが木々を揺らしている。

――ッ!

倒木につまずき、シロは体勢を崩した。

そのまま前のめりに倒れこむ。

シロはやっとの思いで体を回転させるとあお向けになった。

重い腕をなんとか持ち上げ顔にのせる。

はは、と乾いた笑いが口から漏れた。ラルファンの羽音が近づいてくる。

それだけではない。近くの草むらからもこちらが弱るのを待つように並走していた黒狼が絶好の好機を得て待機している。

頭上には狼たちの食べのこしを狙うグランイーグルが無数に集まってきていた。

ふさわしい最後だ。

シロは自嘲気味に思う。

もう起き上がる気力はない。

ここまで逃げていたのが不思議なくらいだ。

獣どもに食い散らかされて死ぬ、こんな死にざま、僕にぴったりじゃないか。

――!!

ひときわ大きな雄たけびと共にラルファンがその姿を現した。

全長10メートルはあろうかという巨大な怪鳥。獲物を殺さぬようじっくりといたぶり食う悪趣味な化物だ。ラルファンに食われた人間の最後は悲惨だ。生きたまま体を食われる激痛から顔はゆがみ、無意識のうちに舌を噛み切るものも多いという。

シロは投げやりな目でラルファンを見上げた。

目と鼻の先に大きく開く怪鳥の咽頭。途方もない暗闇がシロの視界を覆ったその時だった。

――ッ!!!!!

けたたましい鳴き声と共に目の前の闇がゆっくりとはがれた。

地面を揺らしてラルファンの巨体が倒れる。

「え――?」

砂埃の向こう、シロの目に映ったのは一人の少女だった。

年の頃は14~5歳といったところか。地面に届きそうなほどたっぷりとした白銀の長髪、人形のように長いまつげに覆われた瞳はザクロのような赤色をしている。少女はシロのもとへ歩み寄ると口を開いた。

「おまえ、はらは減っているのか」

感情のよめない、平坦な声だ。

この少女が、ラルファンを――?

シロは警戒から身を固くした。先ほどまで集まっていた動物たちの気配がない。

少女はシロをぐいと覗き込む。シロのまぶたに触れそうなほどに少女の薄い唇が近づく。

甘く小さな吐息が鼻先をくすぐり、シロは思わず息を飲んだ。

ぐううう。

緊張を破ったのはシロの腹の鳴る音だった。

「うちに来い、なにか食わせてやる」

シロは両手で顔を覆い、赤面した。



「師匠。いま帰ったぞ」

少女に肩を支えられ連れてこられた先はツリーハウスだった。

シロはここまでの道のりを思い出し青ざめる。

少女の身体能力は常人のそれを逸していた。

少女よりもずっと大きいシロの身体を楽々担ぎ上げると、獣や怪物を避けつつルドルフの森を中心に向かって直進し――邪魔な木々はなぎ倒して進んでいた――巨大な肉食魚が溢れる「主の泉」に浮かんだ浮草の上を渡り、森で一番高いツゥエルクの大樹にかけられた縄梯子をやすやすと昇り、その枝の一つに建てられたツリーハウスまで一時間もかからずに来てしまったのだから。

「おうおう随分手間取ったじゃねえか!って、なんだあそいつは!」

「――?!」

甲高い声と共に部屋の奥から姿を現したものを見とがめてシロは声を上げた。薄桃色の体躯に良く動く長い鼻、まさしくしゃべる豚である。

「豚が!しゃべった!!」

「んだとこの野郎!てめえの脳みそには八丁味噌でも詰まってんのか!しゃべる豚くらい世界中にごまんといらあ!」

「師匠、口悪い。お客人だよ」

少女はシロを椅子に腰かけさせると豚をいさめた。豚は鼻から荒い息を吐く。

「あの、助けてくれてありがとうございました。僕はシロって言います」

「助けたつもりはない。食材調達に行ったらたまたまお前が倒れてただけだ」

少女は無表情に答える。

「私はライラ。こっちはペギー」

豚――ペギーは鼻から盛大に息を吐きだした。

「師匠、シロのことよろしくね。ラルファン、置いてきちゃったからとってくる」

「けっ!なんで俺様が!」

ライラはそれには答えず、扉を開けると出て行ってしまった。

ツリーハウスにはペギーとシロだけが取り残される。

シロは改めて室内を見渡した。

外から見たときはあまり大きいとは思わなかったのだが、いまシロたちがいる部屋を中心としていくつか他の部屋があるようだ。色や形の違う扉が間隔をあけていくつか並んでいる。この部屋はリビングのようなものなのだろう。中央には一枚板でできた四人がけの大きなテーブルが置かれている。毛足の短い赤いじゅうたんが中央にだけ敷かれ、壁には複雑な柄のタペストリーが飾られている。そのほかにもよくわからない粉末の入ったたくさんの小瓶や、乾燥させた植物や木の実のようなものが、無造作に棚に並べられていた。

シロは目の端で出口の位置を確認した。

「お前、どんだけ飯食ってねえんだよ」

ペギーが声をあげ、シロは驚いたようにペギーを見つめた。

「どうしてわかったんですか」

「そりゃ匂いだよ匂い!俺様の鼻にかかればその日食ったもんから体調までまるっとつるっとお見通しってわけよ!」

ペギーは誇らしげに前足を踏み鳴らす。

シロは困ったように苦笑した。実際、ここ一週間ろくなものを口にしていなかった。

何も答えないシロにペギーは器用にも舌打ちして見せると丸いおしりを向けてうずくまってしまった。

「師匠、シロ困らせちゃダメ」

「うわあ!」

いつの間にか帰ってきたライラの声が背後で聞こえ、シロは飛び上がった。

振り向くと大樹の葉に包んだ大きな肉片を抱えたライラが立っていた。つややかな桜色の生肉は先ほどまでラルファンだったものだろう。

ペギーは慣れっこなのか片耳を上げて応じる。

「ごはん、作るから。ここで待ってて」

ライラはそれだけ言うと赤い扉の向こうに消えていった。


「無理だと思うぜ」

寝ていると思っていたペギーに声を掛けられ、シロはぎくりと立ち止まった。玄関の扉にかけていた手を放しそっと振り返る。ペギーはピンク色の丸い背中を向けたままだ。

「出ていこうってんだろ、でもそいつは無理だ。常人にはあの縄梯子は扱えねえし、奇跡的に降りられたとしても泉に潜む主たちに食われてお終いよ」

眠たげな声でそう告げるとペギーは大きな耳をぱたぱた言わせた。

「安心しろよ、飯食わせるだけだ。お前みたいな無一文から泥棒するような馬鹿はいねえよ」

シロは観念したように席に着く。それはそうなのだろうけれど。改めて自分の身体を見てシロは苦笑した。何日も森をさまよっていた為か服はぼろぼろ、もちろん金になりそうなものなど何も持っていない。おまけにろくに物をたべていないせいか体はすっかり痩せてしまっていた。

「ま、あきらめて飯ができるのを待つんだな」

ペギーはそう言うと大きく一つあくびをして丸くなった。唐突に疲れを自覚し、シロは机に頬をつけた。しっとりと冷たい木肌が乾いた頬に心地いい。

こんな穏やかな心地はいつぶりだろう――。

シロは疲れたように目を閉じた。


「飯だ、シロ」

無表情だがどこか温かい声にシロは目を覚ました。

慌てて体を起こす。こんな風に眠りこけるなんて初めてのことだった。

「すみません、おれ――」

言いかけて途中でシロは息を飲んだ。

ことり、と音を立てて目の前に置かれた木の椀。

一抱えもあるようなその器の中にはとろりとした黄金のスープが湯気を立てている。

大きめに切られた野菜は様々で、中央には拳ほどもある肉団子がひとつ、スープに絡まりきらきらと光っていた。

「うわ、あ」

肉と野菜の複雑な香りが鼻腔をくすぐり、シロは思わず声をもらした。

ペギーの前にも椀を置くと、ライラは椅子をひきシロの正面に座った。

「さあ、食らうがいいさ」

シロは逡巡したのち、こらえきれないというようにスプーンをひたした。ゆらゆらと光を反射するその液体を少しすくい、乾いた唇によせる。

――するり。

シロはスープを飲み下すと眼を見開いた。口の中で複雑な香りが一気に広がる。

シロは何も言わずに椀を両手で持ち上げるとごくごくとのどを鳴らした。

その様子をじっと見つめていたライラが小さく微笑む。

「私の料理はうまいだろう」

「まあまあだな!俺様にはまだ到底及ばんがな!」

ふがふがと鼻を鳴らしながらスープを食べていたペギーが代わりに応える。

「師匠には聞いてないよ」

ライラが冷たく返す。

シロは一心不乱に肉団子にかぶりつく。ついさっきまで、自分を食らおうとしていた怪鳥を今は自分が食らっている、シロはあふれ出る肉汁を飲み下しながら思った。

「ブイヨンにはラルファンの骨、内臓、泉の主の浮袋と目玉を使っている。すべて私が仕留めたものだ」

静かな口調でライラが言う。

「殺したものに、生かされる。それが料理だ。見ろ」

ライラが身を乗り出し、シロの胸に細い指先をあてがった。薄い布の下で心臓が跳ねるのを感じる。シロはライラを見つめた。

「お前の身体はこんなに生きたがっている」

シロはあっという間に空になった椀を机に置いた。ライラに指さされた部分から熱い血液が身体中に回り始めるのを感じる。

――お見通しってわけか。

シロは自嘲気味にほほ笑んだ。なんてあさましいのだろう。どんなに腹をくくったと思ったところで、体がこれではお笑いだ。

「あなたは一体、何者なんですか」

シロは改めて尋ねる。ライラはシロを真っすぐに見つめたまま答えた。

「私は《絶食》の魔女ライラ。ただの料理人だ」

ちょうどスープを食べ終わったペギーがピンと耳を立て、鼻を鳴らした。


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