夏
夏の世の 手がしこたまに打ち付ける 夜鳴き鶯 鼻血の滴り
気をやれば 血の灼けけぶるアスファルト 見つめる先の 天狗堂より
海が抱く 偽り者の母者人 白波歌う 馬のいななき
太陽の 垂直に降る熱視線 心は今も 上の空
不思議なことに梅雨は夜の内にその姿を隠します。朝になるといつの間にか夏が始まり、昼から夏が始まったり夕方から夏が始まることはありません。
喃語を文字にすることはできません。極めて喃語に近い音を文字に起こすことはできます。しかし喃語を文字にすることはできません。喃語は口から飛び出すことしかできません。喃語専門の話者である赤ん坊は字を書くことを知りません。
クーラーは保健室の温度をひんやりとさせます。二匹の老ねこは保健室でぐだりぐだりと寝そべります。僕は椅子に座ります。二匹の老ねこを見ます。
「高次の世界を覗くにはその場でできるだけ高く飛び跳ねよ」
「人間よ"輪"を大切にするべし」
いよいよ夏が始まっても僕は保健室にゆきます。
僕はただ家にいることをしません。家の中に空気が満ちて息が苦しくなると保健室にゆきます。保健室の空気は薄く息が苦しくなることはありません。二匹の老ねこが呼吸をして空気を薄くします。
太陽はその熱視線をほとんど真上から熱心に拡散して、また時に収縮させます。夏の間の太陽はひどくいやらしい顔をしています。麦わら帽子からは乾いた草の匂いがします。麦わら帽子のつばが太陽から僕を隠します。
僕はしゃがみこみます。赤く濁った血が左の鼻の穴から落ちてアスファルトの上に斑紋を描きます。アスファルトの上の鼻血の斑紋は夏休みの宿題の絵日記として姿を現します。灼けたアスファルトの上でぶすぶすと煙を上げる赤く濁った血は、絵日記を、ニャア、と締めくくります。斑紋は文字ではありません。斑紋は喃語をアスファルトに顕現させます。僕はそれを見ます。僕はそれを見つめます。七月二十八日の十時を少し経ちます。
保健室の二匹の老ねこの瞑想の世界は広く深く、十万億の土地に六階建て、三千部屋のマンションの一室に彼らは住んでいます。僕も十万億の土地に六階建て、三千部屋のマンションの一室に住んでいます。二匹の老ねこは瞑想をします。この世界を隅々まで見通します。僕がどんなにすみっこで、ニャア、と鳴いても、彼らはそれを見ます。
「跳べ跳べ飛べ。私はあなたであるのだから」
「人間よ短慮ならざるべし」
夏は、しかして人間を溶かしていきます。
僕は畳に住み着く虫です。い草の匂いを吸い込みます。僕は畳に寝ころび、い草の匂いを吸い込みます。縁側を越えてその先の庭の隅のこけむした灯籠を見ます。戸を大きく開けた縁側の空気は少し薄い。
氷と麦茶を入れたコップの汗がしたたります。氷と麦茶を入れたコップの汗はしたたり落ちて畳の目の隙間に入り込み、畳の目にせかるるコップの汗のわれても末に会わんとぞ思います。島流しにされた離れ島の天狗は達観します。
夜、虫が鳴きます。まだ空気はねっとりとした塊を空中のいたるところに置いてけぼりにしています。僕もまた置いてけぼりにされています。授業は僕を置いてけぼりにします。ねっとりとした空気の塊は風船のように割れることはありません。夜、虫が鳴きます。僕は、ニャア、と、鳴きます。