第3話 婚約者VS側近
私は彼が来るまですっかり忘れていた。華京院エリカに深く関わるもう一人の攻略対象の存在を。
何故忘れていたかってそれは蘇芳葵というヤンデレ攻略対象のインパクトが強かったせいである。
それに彼以外のルートでは制裁されるものの、死ぬことはない。私が一番危険視しなければならないのは蘇芳葵、ただ一人。
年々私に対して酷い執着っぷりを見せる彼。私の女友達にまで嫉妬するってどういうことだ……。
おかげで今のところ凄く親しいと言える女友達はいません。悲しすぎるっ。……取り巻きならいるんだけど。
中等部に上がってまだ数週間ではあるが、やたら増えた。私の数歩後ろを歩く彼女達。これぞ悪役令嬢って感じだ。別に悪い子達ではない。皆素直で美人だし、可愛いし。
しかしながら何故私に崇拝の目を向けてくる? そして葵君が私の方へ近付いてくるのに気が付くと即座に撤退するのはやめて頂きたい。
「さあ、皆さん! お二人の逢瀬をお邪魔してしまってはいけないわ。邪魔者は退散しますわよ! ……それでは蘇芳様、エリカ様。ごゆっくり」
そう取り巻きのリーダーは手をぱんぱんと叩いて指揮を取り、私に向かって深く丁寧にお辞儀をし、皆を引き連れて撤退してしまうのだ。
その後いつも物陰から私達を見ているのを私は知っている。
オペラグラス越しに私達を見るってどうよ……。全く…… 何を期待しているのやら。
噂では『蘇芳葵様の恋を応援し隊』や『蘇芳夫妻親衛隊』なんてものがあるらしい。
前者はともかく後者は何なんだ。結婚していないし、する気もない。むしろ婚約破棄したいのだ。
他にも『蘇芳葵様の恋を見守り隊』、『蘇芳葵様と華京院エリカ様を幸せにし隊』等があり、私が耳にしただけで片手を超える親衛隊の数だ。一体いくつ作れば気が済むのだろう。
しかもその殆どが葵君を擁護している。『蘇芳葵と華京院エリカの婚約を破棄し隊』とかないの?
私の味方部隊は? 敵の布陣が明らかに強過ぎる。
何だか葵君にどんどん外堀を埋められているような……。気のせいであって欲しい。
「エリカお嬢様? どうかしましたか?」
「……いえ、なんでもないです。ちょっと感傷に浸っていて……。茅、紅茶を用意して貰ってもいい?ああ、勿論茅の分もね。一緒にお茶をしましょう!」
「畏まりました」
寸分の狂いもなく洗練されたお辞儀をしたのは名を朝霧茅と言う。私より3つ年上の美少年だ。
イギリス人の母親から受け継いだブロンドの髪にサファイアのように綺麗な蒼眼。透き通った肌。
母親の遺伝子を強く受け継いでいるが、優しげな目元や口元、微笑んだ時の顔は日本人の父親譲りだ。
肩にかかるブロンドの髪は黒いリボンで軽く結わいている。白無地のシャツに黒ネクタイとグレーのベストを着用して、黒のピークドラペルのジャケットをきちんとボタンを止めて羽織り、下は同じく黒のスラックスにエナメルの黒靴を履いている。
これがまた葵君に負けず劣らず美形だから立ってるだけで絵になるのだ。
私的に彼は黒を基調とした正装より白を基調とした正装のが似合うと思うのだが、当の本人が白は汚れが目立つからと言って着たがらないのだ。綺麗好きか軽度の潔癖症なのかもしれない。
そんな彼こそ私がすっかり忘れていた華京院エリカに深く関わるもう一人の攻略対象である。
朝霧家は代々華京院に仕えている家系で、原作でも私ことエリカの側近だった。我儘なエリカが元から好きではなく、嫌々従っていた筈。最終的にはヒロインと駆け落ちしていた。
要はエリカさんは見放されてしまうわけである。
……つらい。自業自得なんだけども。
嫌なことがあれば見えないところに痣が出来るくらい彼を殴って暴力を振るったり、ヒロインに嫌がらせをするよう命じたりとやりたい放題だ。
見えないところを殴ったのは顔がイケメンだからだろう。葵君と一緒に彼も自分のものとか勘違いして侍らせていたに違いない。
勿論私は虐待なんてしてない。兄のように慕っている。彼も私のことを妹のように可愛がってくれていると思う。私を褒める時なんて頭を撫でてくるのだ。
一応主従という関係であるから流石に両親の前では自重しているけれど。
彼が私の側近となったのは数週間前。つまりは私が中等部に上がると同時にお父様が私に彼を寄越したのだ。そこで私は彼の存在を思い出したわけだ。冒頭でも言ったが、忘れていたのは葵君のせいである。
こんな優しい私の癒し的存在を忘れていたとかほんと葵君めっ。
そして休日の私の楽しみでもある茅とのブレイクタイムを邪魔するのも葵君だ。
「エリカ、邪魔するよ」
噂をすれば影がさすとはこういうことだ。
休みの日まで何故か私に会いに家にやってくる葵君。家族と仲が悪いから家に居たくないのは分かるけど、ブレイクタイムには来ないでもらいたい。ほんと邪魔している。
初等部の後半から私を呼び捨てで呼ぶようになった。一人称も僕から俺に変わった。
私が一人称が俺の人って男らしくてカッコイイと恋愛ドラマを見ていた時につい言ってしまったのだ。それを鵜呑みにした葵君の一人称はめでたく俺になった。
ちなみに原作での一人称は僕だ。となるともうこれは完璧に私のせいである。
ヒロインが僕っ子好きだったら土下座しなければならない。
「エリカお嬢様、お待たせしました。紅茶とシフォンケーキもお持ちしまし──。……やれやれ。また来たのですか、三男坊」
「何? 俺が来ちゃ何か不都合でもあるのかな? 下僕。その二つある紅茶とシフォンケーキは勿論俺とエリカのだよね?」
「野暮な事を聞きますね。貴方が来ると不愉快です。それにこれはエリカお嬢様の分と私の分です。最初から貴方の分なんてありませんので。どうぞお引き取り下さい。ハウスですよ、狂犬」
「は? 下僕の癖に喧嘩売ってんの? 表出ろ」
「躾のなってない犬ですね。やはり私が調教しましょう」
……また始まった。
2人が顔を合わせるとすぐ口喧嘩が始まる。
そして今日は口喧嘩では留まらず何やら不穏な雰囲気だ。
そう思っていた矢先、茅は長い鞭を葵君に向けて構え、対する葵君はペーパーナイフを茅に向けた。
……おいおい。茅の鞭はともかく、葵君はナイフって……。危ない。なんて物を持ち歩いているのだ。それは茅にも言える事だけど。
何故だ。原作での彼等はお互いエリカを嫌っている者同士、息が合って仲が良かった筈なのに。私が悪役令嬢の役を全うしてないからこうなったのか。
喧嘩は止めて欲しい。私が悪いみたいで嫌だ。もうどうしていいか分からないから泣いた。そしたら二人してギョッとした目で私を見てきた。
焦っているのか、茅は私を抱き上げて赤子のように高い高いした後、頭を優しく撫でてくる。葵君は若干茅のその行動にムッとしつつも、フォークにシフォンケーキを1口サイズ刺して、私の口に入れてきた。
私がもぐもぐと咀嚼するのを終えると、あーんとシフォンケーキをまた寄越してくる。
──この状況は何だ。私は手の掛かる子供か。泣きながらもシフォンケーキ食べるとか、食い意地張ってる。
二人の喧嘩を止められたからまぁ良しとしよう。この勝負、どうやら私の勝ちのようだ。取り敢えずシフォンケーキのおかわり下さい。