其の四
両者、宙を舞い、錫杖を掲げ衝突を繰り返していた。
その度に俺は心臓に悪い、と千尋を心配するんだが。
夜闇の中、千尋の片翼に光るものを見付けて俺は瞬いた。
あれ……?
「来るぜ」
「わわ!!」
鳴神の言葉に俺は体を屈ませた。
今、天狗町の上空全てが彼等の闘技場。気を抜けば俺達が吹き飛ばされてしまう。俺は夜の天狗町を行き来する人間達を見詰めた。
「町の人は、千尋達に気付かねぇの!!?」
素人の俺から見ても千尋の戦いは凄まじかった。
見惚れるような体捌き、錫杖を自由自在に扱う杖術。それ全て青年体型の相手の鴉天狗を凌駕する。
これ、巻き込まれるって言っても俺は見守ることしか出来ないわけで。千尋を守るなり、夜が来るたびに命を懸ける戦いを終わらせることも当然叶わなくて。
その時、ぎぃんと金属音が響き千尋の錫杖が大きく弾かれた。少し目を見開くと千尋は相手から間合いをとり、錫杖を上下に振った。それだけの行為だった。その瞬間。錫杖は一降りの刀へ変化する。俺が見た時は刀になっていた。
「おっと。得物を変えるか」
「待って下さい。今の……!!」
千尋の補佐に飛んで行くでも無い、千尋を守るわけでもない。今は傍観するだけの鳴神の言葉に俺は声を上げた。流石に驚くのにも疲れて来たぜ。俺は悪霊に憑かれただけの何も知らない人間なんだ。否、人間の大体がこんなものだろう。
「はは。律儀に驚くなよ。鴉天狗の術の一種さ。……先のお前の疑問に答えると町の人間に千尋達は視えねぇ。感じねぇ。俺は<隠しの術>を扱えるんでね」
鳴神は俺を心配させないように言い笑顔を見せると、じゃないと疲れるぜ? と続けるのだった。鳴神は補佐をしっかりしているのだった。
「な、鳴神さんも、怪異だったり……?」
俺の質問に鳴神は一瞬目を丸くすると、
「俺ぁ正真正銘の人間さぁ。しかしよ、人間じゃない千尋を椿木は恐れない」
「は、はぁ。当たり前でしょ! 千尋は千尋だ!!」
俺の答えに鳴神は笑顔になり、ああ、と視線を千尋達に移した。
「……」
千尋達は両者、得物を構えたまま相手の出方を待っているようだった。千尋が小さな吐息と共に左手の人差し指と中指を立たせ、
「<天狗分身の術>」
刹那――――。
白い煙が弾けるように湧き、千尋が二人になった。俺が絶句する間に二人が宙を走る。相手の鴉天狗が二人の千尋にじりじりと押され、
「こ、小癪なぁぁ!!」
断末魔のような声と本日何度目かの衝突が一際大きく響き渡った。
※
「……矢張り、<百鬼夜行>が勝ったか」
闇の中、魑魅魍魎達がひそひそと囁き合った。
ここは黄泉。
死者でも、生物でも無い者共が集うところ。
「百鬼夜行は格が違うよ。魑魅魍魎の主がいる。主様には敵わないよ」
ひひ、ひひひひ、魑魅魍魎は笑った。
「ぬらりひょん様か」
「ぬらりひょん様だ」
「しかし、大変なのだ。先の戦でぬらりひょん様の寿命が大分、削られたらしい」
闇の勢力争い、といったもの。
生きとし生けるものと同じくそれは怪異も同じ。
弱い怪異は消え、強い怪異だけが生き残る。強く新しい噂が人から人に伝わり、常に忘れ去られる噂があるように。
一大事だよ。一大事だね。闇の世界はこの噂で大騒ぎだと一体の魍魎が零すと、
「心配は無用さ。わしが訊いたところに寄れば百鬼夜行は例の人間を使って、寿命を延ばすらしい」
例の男。例の『禁忌の人間』?
魑魅魍魎たちの噂は耐えない。闇の中を走り闇に消えて行くのだ。
「昔々、黄泉の牢獄に繋がれた人間」
※
決闘の相手だった鴉天狗は釘を咥え、黒鵺屋敷の屋根の修繕に励んでいた。
俺はそんな名前を知らない相手を庭から呆然と見上げたている。さっきまで千尋と殺し合いをしていたと言うのに。
今夜の決闘の結果は千尋の勝利だった。
あの衝突の後俺が見たものは、この鴉天狗の喉元に刀の切っ先を突き付ける千尋のぼろぼろの雄姿だったのだ。
何より無事でよかった。
「……欠片憑きの人の子よ。何か御用か?」
相手の言葉に眉を寄せ、
「いいや。随分と律儀な怪異だよ思ってさ。それと、欠片って言ってか? 俺に憑いてるのは悪霊じゃないのか?」
青年の鴉天狗は暫く考えると両翼を羽ばたかせ、俺の前に降り立った。目の前に来ると解かるが俺より背の丈は大きく、体格もしっかりしていた。
「怪異は約束を守る。下級の者はそれを軽んじるが人間の怪談にあるだろう。お化けとの約束事を軽く見て痛い目を見る。今の人間は闇を軽んじ過ぎるのだ」
闇を軽んじた、か。何だか俺のことを言われているようで胸がずきずき痛むんだが。
それと、と鴉天狗は続け、
「貴殿に巣食っているのは怪異ではない。鳴神殿に言われなかったか?」
俺が驚き、口を開こうとしたとたん。
「八柳。八柳」
千尋の声が俺の言葉を遮った。人間に戻った千尋が俺と鴉天狗の青年、八柳の服の裾を引っ張ると、
「お茶にしよ?」
「……おかしい」
俺は居間で寛ぐ、千尋、鳴神、八柳を見るとぼそりと零した。
「千尋殿。先の戦いお見事」
八柳は腕を組むと、うんうんと千尋の成長を我が子のように喜び、
「兄ぃと訓練した。ああ、今日の学校の小テストね、百点とった」
千尋は八柳にテスト用紙を並べて見せ、これまた八柳は、 「何! なれば明日は赤飯を持参する!!」などと満面の笑顔だ。
……何、この状況。
繰り返すが、先刻は斬り合い、戦った決闘者の八柳と黒鵺兄妹はお茶を啜り、世間話に花を咲かせる驚きの図が出来ていた。
「千尋。怪我にこれ塗っとけ」
「よければ天狗の秘薬もどうぞ」
「……」
驚くのに疲れた俺は眉間を揉んだ。これは天狗町を守る決闘者の日常なのだ。一々、あれもこれもと驚いていたら疲れ果ててしまう。けど、質問したいこともあるので俺は千尋に声を投げた。
「千尋。千尋はさ。……鴉天狗だって言っても、小学生だろ? 何で、決闘なんか」
千尋はじっと俺を見据えると、次に鳴神に確認をとるように見た。ああ、と鳴神はお茶を一口含むと、
「昔さ。この天狗町は黄泉の住人。怪異の存在の所有物だったんだ。……が、人間達の人口は増え続け、
一人の偉い霊能力者が鴉天狗の組織『八咫烏』を纏める天狗町の主。慈宮天狗様と契約を交わした」
鳴神は解り易く纏めて喋ってくれた。
何かスケールが大き過ぎて感覚が麻痺して来るような気がする。構うものか。俺はこの人達のことを知りたいんだ。
「契約?」
「厄介な契約でよ。……人間よ。一時、この天狗の地をくれてやる。しかし、鴉天狗が怪異の時間帯にこの地を奪いに決闘を申し込みに来るだろう。何十年、何百年。この先ずっと。この地が欲しければ守り続けて見せろ、ってな」
愕然としてしまった。千尋はこの先ずっと人間の為に戦い続けるのだ。怪異の時間帯。夜が来る度、ずっとずっと――――。
「尚。今、決闘者に選ばれたのが千尋殿。補佐役に鳴神殿を決めたのだ」
「そんな!!」
声を上げてしまう俺。千尋は無言でそんな俺を見詰めると、不服そうに眉を寄せた。
「椿木。僕のこと……」
ぼ――ん。ぼ――ん。ぼ――ん。
居間の大時計が午前零時が告げ、
「!!!?」
目の前の三人が凍り付いた。俺はそれを見て戸惑ってしまう。そんな俺に腕を伸ばしたのは鳴神だった。
「は、 ……!!?」
「来い。椿木ぃ!」
千尋が硝子を粉砕し、八柳と外に飛び出した。次に俺、鳴神。俺は一体、何に巻き込まれてるんだ。
千尋は庭に出ると瞬時に鴉天狗になり、八柳と共に錫杖を構えた。二人はびりびりと殺気立ち、俺が見ても解る臨戦態勢だった。
唯一、余裕を見せるのは俺の隣の鳴神のみ。
「おいおい。八柳ぃ」
「……解ってる。しかし、俺は決闘者だ。黄泉の事情には詳しくない」
何。何、何なの!?
俺の体がぶるるっと震えた。どくん、どくん、と俺に憑く欠片が歓喜している。
俺は吐き気に両膝を付き、言葉を失った。
「来た」
「ひ、ぃ」
俺はそれを見ると言葉を漏らした。
それは月光を浴び、上空を降りる巨大な行列。巨大な人骨が、巨大な鬼の首、顔の付いた木の車輪が、顔の無い巨人が十、二十、……丁度百体の怪異が行列を作り、火を噴き、俺達のいるところ。黒鵺家の庭に降臨した。
これって、俗に訊く……、
「百鬼夜行!」
そうだ。百鬼夜行。
待てよ。百鬼夜行の先導者は妖怪の総大将と謳われる<ぬらりひょん>!! 俺は行列の先の老人を見ると俺は無意識に口を塞いだ。
き、危険だ。
八柳は驚きを湛え、千尋が拳をぎりぎりと握った。千尋は鳴神の前に進み出ると一人、錫杖を構えた。
その時、ぬらりひょんの後ろ。行列の二番目に控えていた赤い鴉天狗の瞳が千尋と合った。何を思ったのか、赤い鴉天狗が刀を抜き千尋に襲いかかった。
「那谷!?」
これには百鬼夜行の連中も予想外だったようで、行列の怪異達が声を上げた。千尋は錫杖を一振りし、刀に変えると二振りの刀が火花を散らした。千尋と那谷は凄まじく宙を舞い、衝突し、百鬼夜行の数十体を吹き飛ばす!
「止めろ那谷! 今は禁忌の人間。鳴神に用があるのだ!!」
「!?」
真っ青な肌の怪異が憤り、那谷に声を上げる。千尋が瞬時に鳴神を守るように退くと那谷は渋々と従った。俺は吐き気と恐怖でまともに口も利けない状態だ。
百鬼夜行って実在したのかとか。俺は一体何に巻き込まれてるんだとか。その前に。
「黙れよ。青大将……!」
青大将、と言われた真っ青な怪異は声を張り上げた。
「用件は解るな、鳴神よ。我等、百鬼夜行は先日、抗争の為に総大将の寿命を犠牲にせざるを得なかった。総大将の寿命の為に貴様の能力が必要だ。禁忌の人間よ!!」
禁忌の人間。鳴神はただの怪異を滅する人間じゃないのか? 鳴神さんって一体何なんだ?
一方、禁忌の人間本人の鳴神は、言うまでもないと鼻を鳴らした。しかし、それも百鬼夜行の計算の内だったのだろう。青大将が卑しく笑い、千尋を見ると、
「! 止め……、」
刹那、那谷の刀が小さな千尋の体を見事に貫いたのだった。
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