其の一
「千尋……!?」
俺は目の前の千尋を見て、愕然と零していた。
小さな千尋の体が闇に包まれ、ざわざわと変貌して行く。
人の体から「鴉天狗」の体に!!
俺は、隣にいる鳴神に情けない声を上げた。自分でも驚くほどびびった声で。
「な、な、鳴神さん。俺、俺ぇ、今、ぶっとんだ夢ぇ見てます! 千尋が、千尋が……、」
しかし、鳴神本人は、
「悪ぃが全て現実だ。これが千尋の本性。本当の姿さ。『決闘』の邪魔だぁ! 鴉共!!」
「決闘って……!?」
鳴神は錫杖を振り、見るも勇ましく八咫烏を名乗った鴉天狗の眷属。鴉の群れを薙ぎはらった。
鴉のけたたましい鳴き声が闇夜に響きわたる。
千尋の男子と見紛う黒い短髪が闇に伸び、美しくなびいた。
両のアメジストの瞳が危険な光を宿し、黒い鴉の右側の片翼がばさりと開く。一方、左側の翼は機械仕込み。造られた、義翼。
千尋は今、戦っている。この町を奪われない為に。
「……椿木は、兄ぃは、」
山伏の装束を纏い金の錫杖を構え、深夜の町の上空に降臨した一人の鴉天狗、千尋。
千尋は、怪異と共存する、天狗町をバックに咆え猛った。
「この町は、僕が守る!!」
千尋は宙を舞った。
「わ、ちょっ、待てええええええええ!?」
俺は次々と迫り来る千尋とその相手の生む衝突のびりびりとした衝撃波に目を見開き悲鳴を上げた。
情けない? 結構だ!!
――ぃ、いいん。
「!?」
瞬間。俺の脳の中に暗褐色の映像が半強制的に再生され始める。
痛ってぇな、畜生!!
見えて来たのは片翼の小さな鴉天狗の少女だった。
あれは、千尋?
(譲れない)
千尋の言葉が、想いが、俺に流れ込む。
(譲れないんだ。この決闘の勝利は。ここは、この町は、)
「……千尋?」
(片翼の僕に笑ってくれた人の居場所だからさ!!!!)
千尋の凛とした思いが、清々しくも響いた。
これが、変な能力を持つ悪霊に憑かれちまった俺。
猩々院 椿木と、不思議な奴等の物語――――。
※
時を遡り、
俺は一人、寂びれた駅で空を見上げていた。
俺は、人混みが嫌いだ。人間の群れが嫌いだ。……俺に憑いた『奴』が喜び、喚くから。
慣れない電車を乗り継ぎ、昨夜なんとか隣町のビジネスホテルに一泊して、今日一番の電車に乗り、この山々に囲まれる絶景を拝める町。
「……」
天狗町にたどり着いたのだ。
俺に憑いちまった、厄介な悪霊を祓う為に。
悪霊が憑く原因になったのは、誰の所為でもない。俺の所為だ。
『椿木、椿木。訊いたぁ?』
事の始まりは、同級生の女子達の持ち込んだ噂だった。
人から人に流れる、摩訶不思議な噂。語られるは嘘か、真か。
『……で、その幽霊が出て言うのよぉぉ。子供の幽霊が悲しい声で、涙流してさー。 「ねぇ。ねぇ、××頂戴~~」って。嘘臭ッ。嘘臭いッ。何それ、何の冗談!!?』
『笑えるわぁ。けれど、誰かがホントウに死ねばもっと面白いのにねぇぇ?』
「「きゃっはっはは!!」」
品の無い、下衆な噂話。女子達の下衆な毒を孕んだ噂話が、俺を侵して行った。
その時俺は、それに気付かずに、
『……面白ぇじゃん。その噂の真偽。真夜中に確かめようぜ!!』
それを、軽んじた。
ああ。
あの時の俺を、正直ぶん殴りたい。
噂の真偽の検証の結果は最悪。友達の二、三人を巻き込み、高校生のくせに恐怖で泣き喚いて――――。
俺は『悪霊憑き』になった。
人成らざるもの、怪異は俺の体を、脳に巣食っちまったわけで。
一応、俺は、この真実を隠し通した。が、状況は悪化を辿る一方だった。けれど、遂に俺は人成らざるものを、怪異を瞳に映せるようになる。
正直。その光景は『地獄』だった。
俺、地獄が視える。
苦しむ亡霊が、血塗れの殺された亡霊が、魑魅魍魎が俺に嘆き、訴えて来る。
俺、このまま死ぬのか?
日に日に迫って来る。さ、触れるようになってる。
俺、あ、あいつら亡者みたく、苦しんで、死んじゃうのかよぉ!!?
俺は恐怖のどん底に叩き落された。
そんな俺を、別の噂が救ってくれた。
それは神聖な山々の中の、美しい自然の溢れる町。
『あのね? その町には正真正銘の霊媒師が居て、不思議と一緒に住んでるんだって……』
俺は希望を見付けた。
居るかも知れない。
今まで幾つものお寺、神社、お祓いを巡り、結局、何も出来なかった俺の悪霊を何とか出来る人が。
誰かが……!!
「おっす」
「っきゃあああああああああああああああああああ!!?」
大分歩いた。
清々しい空気の中で俺は深呼吸。
すると、いきなり声が投げられたのだ。一人、黙々と自分の考えに浸かって俺は、情けなくも悲鳴を上げていた。
我ながら、きゃあは無いわ。何だよ。きゃあって。
俺は涙目になり声の主を振り返る。
あのなぁ、マジでびびったぞ。俺、怖いもんがトラウマなんだから……! 自業自得だけどな!!
俺の視界に映ったのは茶色のランドセルを背負った小さな子供だった。パッと見、小学六年生。もうすぐ中学生ってところか?
俺はちょっと驚いた。宝石のように美しい、垂れ気味の大きなアメジストの瞳に。
「お、お、驚くだろ。ボウズ!」
俺はばくばくと悲鳴を上げる心臓の音を訊きながら、悲鳴のように文句を吐いた。
我ながら大人気無いわ。
しかし、目の前の子供はじぃぃっと俺の瞳を見詰めて来るだけ。
俺は戸惑った。子供は黒のショートに、黒い無地のパーカーとジーンズ。ランドセルの色で性別の識別は無理そうだし。けど、男の子、だよな?
「坊主……」
子供は自分の髪型を気にして小首を傾げている。
少し間の抜けた子供だぜ。
「髪型じゃない。お前のことだ。お前!」
「僕。女だよ?」
「おん……ッ」
すみません。ボウズじゃなく、お嬢ちゃんでした。
これが俺と千尋の出逢い。
千尋は俺を見上げると、
「僕、黒鵺。黒鵺千尋。天狗町の小学校の五年生」
「あ、ああ」
千尋に礼儀正しくお辞儀をされて、俺も同じくお辞儀を返した。すると、千尋は俺の背中の何かに気付くと違和感を覚えたように小首を傾げている。
千尋、お前『視えてる』?
「天狗町に来たの初めて?」
千尋の言葉に俺は我に返った。そうだ。のほほんと挨拶している場合じゃない。挨拶は大事だけどな!? 千尋は天狗町の住人=勿論、天狗町に詳しいはず! 天狗町の本物の霊媒師を訪ねる絶好の好機!!
「ああ。初めてだ。俺は、猩々院。猩々院 椿木。仲よくしようぜ!」
「……!」
千尋は俺の自己紹介に何故か目を丸くした。それを大事だと思わず俺は続けた。しかし、問題発生。霊媒師を訪ねて来ました、って相当胡散臭い。怪しい人間に見えないか、俺? 急に防犯ブザー鳴らされたりしないよな?
ええいッ。俺の平穏なる日常の為だ。俺は勇気を絞り出し、
「俺、天狗町のれ、れ、霊媒師に逢いに来たんだけど」
「へぇ」
間髪入れずに返答される。
俺の勇気、無駄だったわ。
千尋の答えは簡潔だった。無機質な瞳はハナから驚きも疑いも、何も無い。無感情な奴と言うか、何と言うか。しかし、俺の緊張も解れた。
「そ、そんなわけで、住所とか詳しいことを知っていたらぜひ教えて欲しいんだが」
「霊媒師」
「い、いるのか、本物の霊媒師!?」
千尋はこくん、と頷いた。
俺の胸が期待にふくらんだ。ここに、俺を救ってくれる誰かがいる。噂を信じてここまで来た苦労も報われる! しかし、俺を待っていた千鶴の言葉は俺の予想を遥かに上回って返された。
「……椿木。天狗町の霊媒師は『十一人』いるけど。椿木は誰に逢いに来たの?」
「は」
俺は凍り付いた。
訊き間違いだと祈りたい、が、千尋は無情に両手の人差し指を立てて繰り返した。
「十一、人」
「十一人んんんん!!?」
天狗町の夕日は絶景だ。
西の山に落ち真っ赤に燃える太陽に照らされる天狗町の中を、俺は一人走っていた。正に夕日に向かって、だ。目的は『天狗町小学校』。
きぃんこぉ――ん。かぁんこぉ――ん、と鳴り響く下校のチャイムを訊き俺は焦った。
下校時間!? 間に合えッ!!
「って、結局。俺は黒鵺 千尋を探すのかよぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」
俺は夕日に向かって絶叫した。
……結局あの後。俺は天狗町の霊媒師十一人を全員巡り、全員にお願いした。自分に巣食う悪霊を|祓って欲しい、と。
『ああ。そしてボクが十一人目ですか!』
十一人目の霊媒師、通称『猫月』は椿木の事情を訊くと何故か嬉しそうに畳のいい薫りの客間に通してくれた。椿木は品のいい座布団に正座した。
猫月はその名の通り、妙にリアルな猫のお面を被る変人。否。天狗町の霊媒師に普通の人間はいなかった。正直。俺、疲れたわ。
一人は黒色に執拗に固執する黒ずくめだし。一人は二重人格だし。一人は極度の潔癖症だし。一人は、 『くく。終焉たるラグナロクの訪れか。漆黒の欠片に憑かれし泡沫の人間よ!!』
とかのたまう中二病だし。
『まぁ、皆さん個性的で驚いたでしょ? けれど、大丈夫。天狗町に偽物の霊媒師などいませんとも!』
向かいの座布団に座った猫月は胸を張ると、早速俺を調べ出した。調べると言っても霊障を訊かれたり、不思議な呪文を唱えて俺の反応を見たり。俺にはわけが解らなかったが。
しかし。
三十分を過ぎた頃、猫月はうんうんと唸り、先の天狗町の霊媒師十人と同じことを繰り返した。申しわけないが、自分には荷が重過ぎる、と。
俺は絶望に蒼ざめた。
訊けば、この悪霊。俺の心の奥の奥まで巣食い、下手に執念深い為に霊媒師の片腕なら余裕であの世に持って行く真似も出来るのだと言う。
『これは驚きました。ボクの腕はいいとしても貴方の魂が酷く傷付き、無事じゃすみません』
『そんな……!』
俺は無意識に拳を握り締めた。
俺、何の為にここに来たんだよ!? 俺、やっぱ死んじゃうのか?
しかし、猫月はお面の奥の瞳を光らせ、仕方ない、と口を開いた。
『これはね。もう、霊媒師の役目じゃない。貴方を救うには憑きものを祓うんじゃない。滅するしかありません。神羅万象に。大いなる自然に還すのです』
『そ、そんなこと……、出来るんですか?』
そんな方法があるなら、何故、先の十人は俺に黙ってたんだよ!?
俺の不満が伝わったのか猫月は多分やれやれ、って顔で笑ったんだと思う。
『貴方は、もう十分懲りたでしょう?』
『!』
俺はその言葉の意味を理解すると何度も、何度も何度も頷いた。
俺は、人成らざるものの領域を犯し、穢したのだ。
その時、猫月は縁側の外を見ると微笑んだ。
『……今日は雨が来る』
俺は猫月の視線を追い、驚愕した。
『は!?』
空に無数の魚が泳いでいたからだ。
『嘘……、』
太陽の光を浴び、川の中のように空中を進み、時折飛びはねる。その絶景が不思議と俺の心の沁み込んだ。そんな俺を見ると、猫月は満足そうな雰囲気で一人語り出す。
『天狗町七不思議。
一、人魚沼に人魚が出た翌日は釣りをしてはいけない。
一、空に無数の魚が泳ぐ時は雨が降る。
一、夜の学校の屋上で、西の山に質問をすると木霊が応えてくれるかも知れない。
一、子供の夜泣きが酷い時、稀に子守り灯が子供を寝かし付けてくれる。
一、悪い子は、鴉天狗にお仕置きされる。
七番目は今ありませんが、皆いい子たちですよ。ここは天狗町。不思議な怪異と共存する町』
『共存、か』
俺は無意識に繰り返した。七不思議って殺すだの何だの、脅迫的な物が多いだろ? この町の怪異は、人と共に歩んで行くような何処か優しい気がしたんだ。
『さぁ、本題です。天狗町の黒鵺 鳴神殿なら貴方の憑きものを滅せるでしょう』
『黒、鵺』
俺は訊き覚えのある名字に瞬いた。早朝に出逢った一人の子供、千尋の瞳が脳裏に甦る。