第三話 壷の魔神の物語 後編
夜も更け、子供達が床に着く頃合いとなっていた。
心優しい妻も、事が子供達に関する限り口煩い。要らぬ事で、言い争いをするのも気が引けた。
「緋色も眠そうにしている事だし、今夜は此処迄にして置こう」
けれど、それを聞いた子供達が激しく憤った。
「私はまだ眠くなどありませぬ!」
「中途半端は困ります。続きが気になって、却って眠れなくなってしまうではないですか」
「ならば、布団を敷いて床に着くのなら、続きを話してあげよう」
そうして男の昔話は、寝物語となっていた。
子供達を寝かし付けながら男が微笑む。
魔神と呼ばれ、戦しか知らぬ自分が、こんな幸せを持てるなどと思いもしなかった。
これも全て妻のお陰だった。
妻の願いが、自分を戦いの日々から救い出してくれたのだ。
◇ ◇ ◇
「美咲さまの病気は日に日に良くなって行った。鬱いでおられた美咲さまが、美しさを取り戻し明るくなって行く様は、見ていて気持ちの良い物だったよ」
「それで父上は、祝言を挙げる事にされたのですね」
男は笑って言った。
「それは流石に気が早いな。私は美咲さまの願いを叶えた後、天上界に戻る積もりだった。魔神を壷に閉じ込めた者達に、復讐をしなければならなかったからね」
「ならお父様は、お母様に対して特別な気持ちをお持ちではなかったのですか?」
娘の容赦ない質問に、男が苦笑する。
「いや、どうだろうね。お前達も知っているように、私は普通の人間では無い。何十万年も生きて来たし、心と体がそれに耐えられるよう遺伝子がデザインされている。私が他人を好ましく思うことが、他の人間と同じ感情であるのか自信がないのだ」
娘が布団から手を出し、そっと男の手を取った。
「確かにお父様は普通の人とは違いますわ。だって、誰よりもお優しいですもの」
男は慌てて咳払いをすると、話を逸らすようにして言った。
「いや、だから私は、予後を見定める必要もあって、その後も美咲さまの元に御厄介になっていた訳だ」
「願いの件はどうなったのですか?」
息子が訊ねる。
「何もせず、ただ世話になる訳にもいかず、この辺を開墾したり、温泉を引いたりして過ごしていたのだが、勿論そんな事を願いに数える訳には行かない。そうしているうちに一年が過ぎ、私はもう一度美咲さまに願いを言って欲しいとお願いしたのだ」
「でも、母上は父上にこの地に留まる様には願われなかったのですよね」
「うん。私も内心では、美咲さまが願ってくれるのならば、このままこの地で暮らしても良いのでは無いかと思うようになっていた。だが美咲さまは、私に復讐を止め、私が幸せになる事を願われたのだ」
「母上の願いは、父上が幸せになる事だったのですね」
男は頷いた。
「美咲さまは、ご自分では無く、私の幸せを望まれた。だが、そんな願いがあり得るだろうか? 私は、遺伝子をデザインされた、造られた人類なのだ。そもそも自らの幸せなど考えた事も無い。でも、何か別の願いにするようにとの忠告は受け入れられなかった。魔神に、その考えを覆させるのだから、これは特別な願いであるのだと、そう仰るのだ」
「それで、お父様はどうされたのですか?」
男は笑って言った。
「途方に暮れたよ。無敵の魔神が逃げ出す事さえ考えた。でも、美咲さまの本気のお顔を拝見して、取り敢えず彼女の言う幸せとは何なのかを考えてみる事にしたのさ」
「母上の言う幸せとは何だったのですか?」
話を急ぐ息子に、男が笑い掛ける。
「緋色は、幸せとは何だと思うね?」
「私は、皆で美味しいご飯を食べる事だと思います」
「莫迦、そんな筈が無いじゃない!」
娘が弟を叱る。
「待ちなさい。私も家族で団欒を構う事は、幸せな事だと思うよ。なら、美帆にとって幸せとは何なのかね?」
男の問いに、娘は悩む事無しに即答した。
「家族が健やかで仲良く暮らす事です」
男は微笑むと、優しく娘の頭を撫でた。
「それも又、素敵な答だ。けれど、その時の私は、家族の特別な絆の事を知らなかった。そこで美咲さまは、私に天上界で戦っていた時は幸せだったかと尋ねられたのだ」
「天上界での長きに渡る戦いは、辛い事の連続だった。私は戦を好まない。けれど、それにも関わらず、私は戦っていた時の事を不幸とは感じなかった」
男は過去を思い返すように言った。
「裏切られ、この星に流された事を、実際の所、私は余り恨みには思っていなかった。それ所か、戦いの日々から解放された事を喜んでさえいたのだ。でも、それにも関わらず、星空を見上げ、あそこに最早自分の居場所は無いのだと考えると、私は自分を不幸に感じるのだ。人とは何と矛盾に満ちた存在だろう。私は、自分の幸、不幸さえ満足に答える事が出来なかったのだ」
そう言って溜息を吐いた。
「でも、美咲さまは、私の感じた事には何の矛盾も無いのだと仰って下さった。そして、人とは他人から必要とされる事を、幸福を感じる生き物である事を教えて下さったのだ」
「遙かな昔、天上には私の居場所があって、沢山の者達に必要とされている事が私の幸せだった。裏切られ、そこに必要としてくれる者が居なくなった事が私の不幸だったのだ。それは正に目の覚める思いだったよ。そして私は、その時の自分がそんなにも不幸では無い事に気が付き、美咲さまにお尋ねしたのだ」
子供達の視線が期待に輝いている。
男は苦笑しながら、話の結末を告げていた。
「自分は必要とされているだろうかと。美咲さまは笑って、この世界の誰よりも私を必要としていると仰られた。そうして私は、美咲様の願いによって幸せになったのだ」
子供達が布団から飛び出し、男にしがみついた。
「あたくしもです。あたくしもお父様を必要としています」
「僕も父上の事が必要です」
男は笑って言った。
「勿論、私もだ。互いに思い合い、必要としているからこそ、家族の絆とはこんなにも特別で、一緒にいる事が幸せなのだ。私はそれを美咲さまから教わった。その事が私が今この世界にいる理由の全てなのだ」
5/31に章立てを変更しました。内容の変更は有りません。