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俺の彼女が二人になった

作者: 福山陽士

短編連作です。

前作までをお読みになっていない方には意味不明な内容かと思われますので、よろしければ先に前作をご覧ください。

「これは一体、どういうことだ……」


『それ』を目前に、俺は掠れた声を出すのが精一杯だった。

 いつものように護衛の仕事でティアラの部屋に向かった俺。迎えてくれたのは、愛しい彼女。そこまではいつも通り、何の問題もなかった。問題が発覚したのはその後だ。

 その問題とは……。

 部屋の中に、もう一人ティアラがいたのだ。顔も服装も、寸分違わず全く同じ。双子でもここまでそっくりにはならないだろう。

 俺は最初、自分がまだ寝惚けているのだと思った。これは夢の延長、幻覚の一種だと。そう思いながら二人の頭に触れてみたところ、ちゃんと二人とも実体を伴ってそこに『いた』。つまり夢でも幻でもなかったわけだ。

 二人のティアラの前で呆然とする俺に、タニヤが横から申し訳なさそうな顔をしつつ話し掛けてきた。


「えーとね、マティウス君。これには海の底よりも深ーい理由(ワケ)があって……」

「要するにお前が元凶ということでいいんだな?」

「何よう。勝手に決めつけないでよ」


 頬をリスのように膨らませながらタニヤは俺に抗議する。


「……いや、すまん。さすがに今回ばかりはお前のせいじゃなさそうだな」

「まぁ、厳密に言えば私のせいなんだけど」

「おいいいいぃぃっっ!?」


 合ってんじゃねーか! 謝って損した!


「今実家がとある薬を作っててね、その実験を依頼されちゃったの……。それで小物で試してみようとしたんだけど、そこでタイミング良く私のドジっ子属性が発動しちゃって。(つまず)いた瞬間、あら大変、薬が誤って姫様にかかってしまったのよ」

「あら大変、じゃねーよ。お前はいつからそんな属性が付いたんだ? っつーかお前の実家怪しすぎるだろ!?」

「仕方ないじゃない。今日()傷薬と毒消し薬だけじゃ、薬屋もやっていけないのよ!」


 タニヤの実家は薬屋らしいが、確かにこの国は平和な方だしな……。怪我人が少なければ薬屋も儲からないのも当然か。だからといって胡散臭い薬を作ろうとするのもどうかと思うのだが。


「で、具体的にはどういう薬だったんだ?」

「全く同じ物質を作り出してしまう増殖薬」

「それもう魔法の域じゃん」


 何それ怖い。こいつの実家が怖い。


「まぁその件については今は置いといて」


 置いてはいけないような……いや、やっぱり置いておこう。


「それでね、どっちが本物の姫様かわからなくなってしまったのだけど……」

「もしかしたらお前にはわかるかもしれないと思って、待っていたんだ」


 タニヤとアレクは交互に言い終えると、俺を期待の眼差しで見つめてくる。

 よし、そういうことなら俺に任せろ。ティアラのことを世界で一番愛しているこの俺にッ!

 俺は自信満々に、二人のティアラに一歩近付いた。


「マティウス……」

「私が、本物だよ」

「ち、違うよ。私だよ」


 二人とも琥珀色の瞳をウルウルとさせながら俺に訴えてくる。

 薄くてみずみずしい唇、控え目な胸、細くて白い足――。俺は上から下まで彼女らに視線を這わせ、しばらくの間二人のティアラを見比べ続けた。

 ………………。

 うん、わからん!

 だってどっちも可愛い。超可愛い! どちらかのティアラを選ぶなんて俺にはできないッ!

 ――じゃねーや。そういうことを決めるのではなく、本物がどちらか見極めるんだった。ふぅ、思わず目的を取り違えるところだった。しかし困ったな。頭から爪の先まで、冗談無しに二人とも見た目は完全に同じだぞ。

 いや、待てよ? もしかすると……。


「よし。それじゃあ俺が今からどっちが本物か確認する」

「お、マティウス君、何か方法を思い付いたのね?」

「あぁ、任せてくれ。実はティアラの左の太ももの内側にはほくろがむッ!?」


 二人のティアラが顔を真っ赤にしながら同時に俺の口を押さえてきた。小さくてぷにゅっとした手の感触が気持ち良い。何この幸せな状況。

 しかしこの反応を見るに、どちらにもほくろは存在しているらしい。ていうか全く同じ物質を作り出すとか言ってたし、そういう細かいところも再現しているのは当たり前か……。


「……あれ? ちょっと待て。タニヤ、薬がティアラにかかったんだよな?」

「そうだけど、それがどうかした?」

「だったら放っておいたらそのうち元に戻るんじゃねーの?」


 以前のネコ化する薬の時も、確か勝手に元に戻ったはず。それなら今回もしばらく待っておけば元に戻りそうだし、問題なさそうな気もするのだが。


「マティウス君、ちょいとこちらへ」


 タニヤはおいでおいでと手招きをすると、部屋の隅の方へ俺を誘導する。アレクとティアラ×2は、そんな俺達に(いぶか)しげな視線を送ってきていた。


「何だよ? あいつの見ている前で堂々と内緒話すんな」

「仕方ないじゃない。あの時のネコ化薬のことは二人とも知らないんだし。それともばれてもいいの?」


 そういえばそうだった……。あの時は惚れ薬だと思ってお茶の中に入れたんだっけ。俺が惚れ薬を使って気を引こうとしていたなんて、そんなことティアラに知られたくない。俺に対する好感度が一気に下がってしまうことは確実だ。

 …………ん? 確かあの時――。


「その顔、どうやら気付いたようね。そう、あの時私がお茶の中に入れた薬はほんの『一滴』。でもね、今回姫様にかかってしまった量は『ほぼ全部』なの」


 そう言いつつタニヤはエプロンのポケットから小瓶を取り出した。彼女の言葉通り、小瓶には透明な液体が底の方に僅かに残っているだけだった。


「それじゃあ自然放置だと何日もこのまま、という可能性があるわけか……」

「そういうこと。前のはうちの実家製じゃなかったし効果も全く違う物だったけど、本質的にはそんなに変わらないと思うのよね」

「ふむ……」

「で、仮に長期間姫様が二人のままでも、本物の姫様がわかっていたら、複製の方を隠すなりなんなりして対処はできると思うの」

「なるほど。しかし肝心の本物がどっちかわからない、と」

「うん……。マティウス君でもわからなかった?」

「今のところ無理。見た目は完全に同じだからな。判断できん」


 こうなるとじっくりと二人の行動を観察して見極めるしかなさそうだが……。

 顎に手をやり悩む俺に、アレクがさらに胡乱(うろん)げな視線を送ってきていた。


「お前達、何こそこそとしているんだ。怪しいぞ」


 アレクの言葉を受け、俺は慌ててタニヤの側から離れる。確かに二人で顔を寄せ合って内緒話とか怪しすぎる。ティアラにこいつとの仲を誤解されてしまうような事態だけは、絶対に避けたい。

 しかし時既に遅し――。ティアラ達は「実は二人はそういう仲だったんだね……」と声を洩らしつつ、悲痛な面持ちを俺に向けていたのだ。目にはちょっと涙も滲んでいる。最悪な事態発生! 大ピンチだ!


「ち、違う! 俺が愛しているのはティアラだけだし! っつーかこんなトラブルメーカーこっちから願い下げだ!」

「何よう、失礼ね。私だって噂されるならもっと良い男がいいわよ!」

「良い男じゃなくて悪かったな!?」

「お前ら、それ痴話喧嘩にしか見えんぞ」

「頼むから事態をややこしくするようなことを言わないでくれ!」


 タニヤとアレク、左右交互にツッコミを入れた後、俺は二人のティアラの前までツカツカと勢い良く歩み寄る。ティアラ達は俺のその勢いに驚いたのか、ビクリと肩を震わせ、互いに手を握り合った。

 ……何そのちょっと良い世界。このまま二人の禁断の世界を見てみたい気もするが、とりあえず今は我慢。

 俺は握り合っている二人の手を強引に引き剥がした後、右手にティアラの左手、左手にもう一人のティアラの右手を握る。ややこしいとか言うな。俺だってややこしい。


「何してるんだ」

「いや、これぞ本当の『両手に花』。なんつって」

「…………」


 しん、と静まる空気。冷ややかな目を向けてくるアレクとタニヤ。ポカンと口を開けたまま俺を見上げるティアラ×2。

 これは……完全にアウェイだ。ヤバイぞ俺。ちょっとお茶目な冗談を言って強引に空気を変えようとしただけなのに! 何とかしてこの状況からの打破を――。


 その時、ピキーンと俺の脳に電流が走る。

 な、何てことだ……。この状況……。俺は気付いてしまった。とんでもないことに気付いてしまったぞ。

 これはもしかしなくても、ティアラだけで夢の3――!?


「……すまない。お前らちょっと席を外してもらえねーか? そうだな、二時間くらい」

「え? どうしたのよいきなり」

「それは言えない」


 俺はさっきから無言のままの二人のティアラを伴って寝室へ――と行きかけたところで、アレクが跳躍からの回し蹴りを俺に放ってきた! 何だよその重力を無視した動き!? ティアラ達の手を握っていた俺は成すすべもなく、その蹴りをまともに顔でくらってしまう。

 うぐおおおおぉぉ!? 痛い痛い! すっげーイタイんですけど! 頬の骨にヒビ入ったかも!

 思わず頬に手を当てて床にうずくまる俺。


「い、いきなり何しやがる!?」

「お前が年齢制限が必要になりそうな展開を繰り広げそうだったから阻止した」

「いや、でもお前ら、この前俺に協力してくれるって言ったじゃん!?」

「状況を考えなさいよ。姫様はもうすぐ隣国のお客様と面会があるのよ。それまでに何とかしないと面倒な事態になりそうでしょ」


 正論すぎて何も言い返せない。くそっ、夢の3○が!?

 しかし本当に困ったな……。いくら見た目が同じとはいえ、どちらかが本物のティアラであることは間違いないのだが。区別する良い方法が全く思い浮かばないぞ。


「「あ……」」


 突然、二人のティアラが同時に声をあげた。


「どうした?」

「「そろそろ勉強しなくちゃ……」」


 またしても同時に同じことを呟いたあと、互いに顔を見合わせる。どうやら思考や行動パターンまで同じらしい。

 それにしてもこの二重音声は究極に癒されるな。……と顔の筋肉を緩めている場合ではない。これでは行動を観察して見極める、ということができねーじゃん。

 うずくまった状態のまま、俺は何とか知恵を振り絞る。とりあえず一人ずつ話でもして探ってみるか? 思いつく限りのことはやってみないとな。

 俺は床から立ち上がりつつ彼女の名を呼ぶ。


「ティアラ」

「「なぁに?」」


 二人のティアラが同時に俺に振り返った。

 ……うん、まぁ当然だよな。両方ティアラなんだし。でもどう分けて呼べばいいのかわからん。ティアラA、ティアラB、だと雑魚敵っぽい雰囲気になってしまうから何か嫌だし、何より本物に対して失礼すぎる。


「えっと……じゃあ本物のティアラ」

「「はい」」


 二人のティアラはまたしても同時に返事をすると、互いに顔を見合わせる。その顔はちょっとムッとしたものになっていた。

 うーん、咄嗟に思いついたにしては良い考えだと思ったんだけどダメか。でもそのちょっと怒った顔も可愛いな。


「このままではややこしすぎるから、とりあえずこっちの姫様に着替えてもらうことにするわ」


 タニヤはそう言うと一人のティアラの手を取り、寝室へと入って行ってしまった。確かに着ている服で呼び分けるしか、今のところ方法はないか……。


「何やら騒がしいな」


 二人が入って行った寝室に視線を送りながら、アレクが無表情のままポツリと呟いた。アレクの言うとおり寝室の中からは「やぁっ!?」やら「えぇ!?」やらとティアラの声が響いてくる。着替えているだけじゃないのか? タニヤの奴、一体ティアラに何をしているんだ?

 嫌な予感がじわりと俺の胸に広がった直後、寝室の扉が勢い良く開かれた。


「お待たせー!」


 やけにイキイキとした声と表情で、まずはタニヤが出てきた。何でそんなに肌がツヤツヤしてんだよお前!? この短時間で何があった。ていうか俺のティアラに何しやがった!?

 そうタニヤに詰め寄ろうとしたその時、寝室からそそっとティアラが顔をだけを出す。その顔は耳まで真っ赤だ。も、もしかして、タニヤに(はずかし)められちゃったりしたのか!? おのれ金髪侍女め! と拳を握りしめたその時、ティアラはようやく寝室から出てくる。その彼女の全身が視界に入った瞬間、俺の心拍数は一気に上昇してしまった。


「タニヤ……」


 お前……。ティアラに何て物を着せてんだよ……。超グッジョブじゃねーかこのヤロー! と俺は心の中で金髪侍女に惜しみない賛辞を送った。ティアラが着ていたのは、何とタニヤとお揃いの侍女用の服だったのだっ。

 見慣れた侍女用の服も、ティアラが着るだけで5割増し、いや、8割増しに可愛く見えてしまう不思議! むしろ金髪侍女なんていらんかったんや! と思わず言いかけてしまったが、言ってしまったら間違いなく俺の魂はこの世から切り離されてしまうだろうから、何とかググッと呑み込む。

 しかし侍女用の服か……。良いな。凄く良いものだな。これからその格好で俺に色々とご奉仕してくれるわけなんだな! 夢が広がりんぐ!

 ティアラは頬を朱に染めながら、恥ずかしそうにもじもじと指を(いじ)り続けている。

 ……さっきの訂正。むしろ俺に色々とご奉仕させてクダサイッ! 欲しがりませんカツまでは!

 そんなちょっとイケナイことを考えている俺に向かって、アレクが若干呆れながら呟く。


「お前、すぐ顔に出るからわかりやすいな」

「いや、だって仕方ねーじゃん。可愛いんだもん」

「語尾を上げる『もん』はやめろ」

「マティウス君、姫様が可愛いのは私も同意だけど――いいの?」

「何が?」


 あれ、あれ、とタニヤは顎で俺の斜め後ろを差す。そちらに目線を移すと、着替えなかった方のティアラが床にうずくまり、指先で絨毯の毛をグリグリと弄くっていた。


「え、えーと、ティアラ?」


 俺の呼びかけにも応じず、ひたすら絨毯に丸を描き続ける着替えなかった方のティアラ。

 こ、これはもしかして、いじけている……のか?


「も、もしもーし? ティアラさん? ティアラちゃん? ティアラたん?」

「呼び方がどんどん気持ち悪くなっているわよ、マティウス君」


 タニヤがジト目で俺に言ってくるが、今のは俺も無自覚だったのでほっといてほしい。

 恐る恐るティアラに近付いてみる。その彼女の涙でいっぱいになった目元が視界に入った瞬間、俺の心臓の動きが一気に加速した。


「わ、私だって、着替えたら、同じなのに……」


 うん。確かにそうだな……。同じだ。全く同じだ。


「それなのに、あんなに嬉しそうな顔を、しないでも……」


 スミマセンスミマセン! でも本気で可愛いんだし、そこは仕方がないというか――。


「私が……」


 ん? もしかして「私が本物なのに」と言おうとしているのか? こっちが本物のティアラなのか? 俺はうずくまる彼女の視線に合わせるためにしゃがみ込んだ。しかしティアラは俺の方を見てくれない。

 ティアラは絨毯に丸を描き続けながら、少し涙で濡れた声でポツリと呟いた。


「私がマティウスの、彼女なのに……」


 俺の心の中に最大クラスの爆破魔法が発動&炸裂! 何この究極の可愛さ! そしてそれ以上に嬉しい! すげー嬉しい! まさかティアラがこんなことを言ってくれるなんて! つまり俺にヤキモチを焼いていたと! 可愛すぎるだろおおぉぉッ!

 人目も(はばか)らず、気付いたら俺は彼女の頭を自分の胸に沈めていた。


「ぴゃ!?」

「うん。ティアラは俺の可愛い彼女だよ」


 鳥の雛みたいな声を上げたティアラの頭を、俺はよしよしと撫でて慰める。こっちのティアラが本物な気がする。いや、この髪から漂ってくる甘い匂いは、間違いなくティアラだ。自分の直感を信じるぞ俺はっ。

 だが横から突き刺さる視線に、瞬時に俺の全身から冷や汗が滲み出る。

 この視線は間違いない、着替えたもう一人のティアラだ……。

 錆びた歯車を回すようにギギギ……と首を回すと、予想通り彼女は真っ直ぐとこちらを見据えていた。その光を映さない瞳を見た瞬間、ゾクゾクっと悪寒が背中を走り抜ける。

 あ、あれはもしかして、(ちまた)で噂のヤンデレ目というやつでは!? 何てことだ。嫉妬でティアラがヤンデレに!?

 いや……。でもその光の無い目もクセになってしまいそうだな。あぁ、もっとその目で俺を見てくれ――って違う! 危ない性癖に目覚めている場合じゃねぇ!

 先ほど胸の内に生まれたばかりの自信が揺らぐ。もし今俺が抱き締めているティアラが複製の方だった場合、本物のティアラの心は傷付いてしまっているわけで。でもこっちのティアラが本物だった場合、既に泣くほど傷付いちゃってるわけで……。

 うがああああっ! もうわけわかんねー! どうすりゃいいんだよ!?


「お楽しみのところ悪いけど、そろそろお客様との面会時間なんだけど……」

「えっ!?」


 タニヤの言葉に俺は慌ててティアラを解放する。そういえば面会があるってことすっかり忘れてた……。


「どうするんだ? このまま二人共連れて行くわけにもいかねぇし……」

「時間がないから、こちらの着替えなかった方の姫様に行ってもらうというのはどうだろうか」


 その瞬間、侍女用の服のティアラが何か言いたげな顔になったが、すぐに俯いてしまった。アレクはそんなティアラの前まで歩み寄ると、頭を深く下げる。


「お客様との一連の会話は、帰ったらオレがきちんと伝えます。ですからここは、申し訳ございません姫様……」

「私が本物だから行かせてって言っても、無理だよね……」

「わ、私が本物だから、私が行けば大丈夫だよ……」


 着替えなかった方のティアラが、侍女服のティアラにそう言った。このまま二人が言い争いを始めてしまうのも時間の問題か? そう懸念した俺だったが、侍女服のティアラは諦めたように小さく息を吐いただけだった。


「状況がややこしくなるだけだから、私が待つよ……。お客様をお待たせしてもいけないし……。あの、よろしくね、アレク」

「はい」


 アレクは侍女服のティアラに深く一礼した後、俺の方へと振り返り淡々と告げる。


「お前はここに残ってろ」

「え?」

「こちらの姫様の身に何かあったらいけないからな。その代わりこっちの姫様はオレに任せろ」


 そう言うとアレクは、着替えなかった方のティアラの肩に手を置く。確かにどちらが本物かわからない状態の今、そうするのが一番か。


「わかった。もし俺の不在を突っ込まれたら、適当に誤魔化しておいてくれ」

「言われるまでもない」


 アレクは口の端に小さな笑みを作ると、着替えなかった方のティアラと共に部屋を出て行った。


「あの、マティウスは……どっちが本物だと思う?」


 二人が出て行った扉から視線を外さず、部屋に残った侍女服のティアラが小さな声で俺に問う。


「正直に言うと、わからん。ごめんな。俺、彼氏失格だよな……」


 俺は硬い髪を掻きながら、彼女にただ謝ることしかできなかった。


「ううん。謝らなくていいよ。マティウスは何も悪くないんだし……」


 確かに俺は何も悪いことはしていない。ていうか、そもそもこんな状況になったのもタニヤのせいだ。つまり全てタニヤが悪い。俺は何も悪くないッ。

 と俺がタニヤに全ての責任を擦り付けて心の安寧(あんねい)を求めていると、ティアラは窓の外へと視線をやりながら、どこか自嘲気味に小さく呟いた。


「でもまさか、自分に嫉妬しちゃう日がくるなんて、思ってもいなかったな……」

「…………」


 俺は彼女に静かに歩み寄り、無言のまま桃色の髪に手を伸ばす。そして先ほどあっちのティアラにしたように、よしよしと頭を優しく撫でた。これで彼女の気持ちが晴れるとは思わないが、いても立ってもいられなくなったのだ。

 瞬時にティアラの顔に赤みが射す。この反応を見ると、こっちのティアラが本物のような気もしてくる。

 ……あぁもう、自分が嫌になってきた。何が世界で一番愛してるだよ。どうして本物を見分けることができないんだよ。


「本当に、わからなくて、ごめん……」


 彼女の頭を撫でていた俺の手は、自然に彼女の頬へと移動していた。少し潤んだ琥珀色の瞳が、俺の心に突き刺さる。俺は彼女の目の端に浮かんでいた小さな水滴を指で拭うと、そのまま腰を落とし――。

 刹那、俺の視界の端に映ったのは、ニヤけた顔をこちらに向けている金髪侍女。


「…………」

「あぁ。私には構わず続けて続けて」


 満面の笑顔でパタパタを手を横に振るタニヤ。こいつの存在を素で忘れていた……。

 ていうか無理だって。そんなガン見されているのを自覚しつつ続けるのは無理だって。まるで子供がダンゴムシを観察する時の如く爛々(らんらん)とした目で見られているのに続けるのは無理だって!

 お約束のように、ティアラの頭からぷしゅーっと湯気が出始める。

 ……うん、まぁこうなるわな。っつーか多分俺の顔も負けず劣らず赤いと思う。何なのこの恥ずかしい空気感。

 しかし次の瞬間、その空気は一変した。いきなり部屋の扉が乱暴に開かれたからだ。突然の大きな音に思わず肩を震わせる俺達三人。顔をそちらに向けると、そこには大きく息を切らすアレクの姿があった。

 アレクはティアラに向かって一直線に駆け寄り、侍女用の服を乱暴に脱がし始める。その手の動きには一切の迷いも感じられない。


「やっ――!? ちょっ――!? ア、アレク!?」

「お前いきなり何してんだ! そういうのは俺にやらせろ! ……じゃなくて、何でここに――」

「消えたんだ!」


 俺の言葉を遮り、珍しくアレクは焦りを顔に滲ませながら叫んだ。そして尚もティアラの服を剥ぎ取りながらアレクは続ける。


「オレと同行していた姫様が、いきなり煙のように消えてしまったんだ! ……お客様の前でな!」

「なっ――!?」


 アレクの返答に思わず絶句する俺達。

 消えた、だと!?


「つまりこっちが本物の姫様ということだ。今応接間は軽くパニック状態になってしまっている。だから早く着替えて戻っていただかないと――!」

「事情はわかったから落ち着いてアレク。着替えは私に任せて」


 横から手を伸ばしたタニヤは落ち着き払った態度でアレクを制すると、そのまま俺の方を振り返った。


「あ、マティウス君は外に出るか寝室に閉じこもっておいて」

「何でだよ!?」

「いくら彼氏でもレディの着替えを観察するなんて趣味悪いわよ」

「…………」


 俺は無言のまま部屋の外へ出るしかなかった。





 扉に背中を預けたまま腕を組み、俺はティアラの着替えが終わるのを廊下で待ち呆けていた。

 しかし侍女服を着たティアラが本物だったとは……。つまりティアラにはヤンデレの素質があるというこぷぎゅるッ!?

 バン! と勢い良く開かれた扉に押された俺の全身は、サンドイッチの具のように容赦なく壁と扉の間に挟まれてしまっていた。

 注意一秒怪我一生! 人が居るのがわかっている時はもっと扉は静かに開けやがれ! 指差し確認を(おこな)っても良いくらいだぞ! と文句を言おうと振り返ると、そこには着替えたティアラを抱え、目にも止まらぬ速さで廊下を駆け抜けて行くアレクの後ろ姿が。

 あ、あれ……。俺、もしかしなくても置いていかれた? 強打した鼻を押さえながら、俺は目を点にすることしかできない。


「ま、ここはアレクに任せて留守番しときましょ」


 扉からひょこっと顔を出したタニヤが、小さく笑いながら俺にそう言ってくる。まぁ、どうせ最初に俺の不在の理由を説明してくれているだろうし、大人しく待っとくか……。一抹の不安を覚えつつも、俺はタニヤの言うがまま部屋の中へと戻るのだった。




「さて……」


 部屋に入って間も無く放った俺のその一言に、ピクリとタニヤが肩を震わせ顔を引き攣らせる。既に今から俺が何を言わんとしているのかはわかっているらしい。お前のその期待に応えてやろう。


「あの薬、本質的にはネコ化薬と同じじゃなかったのかナー? 薬屋の娘さん?」

「う、うるさいわね。わ、私にだって見誤る時くらいあるわよ……」


 ピピピピピと小さな汗を散らしつつ言い訳するタニヤ。

 ……こいつのこんな態度はなかなか見れるもんじゃない。面白い。


「かなり自信有りげに仰っておいででしたが?」


 やべぇ。口元が勝手に緩んでしまう。楽しい。


「し、仕方ないじゃない。確かに私は薬屋の娘だけど、今はか弱い姫様の侍女なんだから!」

「誰がか弱い――」


 ……少し調子に乗りすぎた。こちらを睨むタニヤの形相と漂ってくるオーラがえらいことになってしまっている。それはまるで世界の滅びを望む邪神の如し。俺の脳内ですぐさま討伐隊が結成されてしまうほどだ。


「ナンデモアリマセン」


 俺は邪神――もとい、金髪侍女にカタコトでそう言い返すのが精一杯になってしまった。

 タニヤを面白おかしく責めてやろう作戦、失敗に終わるの巻――。








 穏やかでけだるくて少しだけ熱い、午後の日差しが部屋に射し込んでくる。窓に近い場所に設置された木製の丸いテーブルを囲んで、俺達四人は紅茶で一服をしていた。


「疲れたな……」


 誰に話すでもなく、アレクが天を仰ぎながら小さく呟いた。アレクのその言葉に、無言で首を縦に振る残りの三人。いや、タニヤ。お前は同意するな。そもそも今回の騒動はお前の不注意のせいだろうが。

 あの後アレクが何とか上手く誤魔化したらしく、面会は無事に終えることができたらしい。……何て言うか、ご苦労さん。俺、留守番で良かったかもしれん。

 心の中でアレクを労いつつ、俺は横目でチラリとティアラを見る。

 それにしても侍女用の服、可愛かったな……。また今度お願いして着てもらおうかな。


「あぁ、そうだ」


 アレクは何かを思い出したようにポン、と手を鳴らすと、いつもの無表情を俺に向けてきた。


「陛下にお前はどうした? と聞かれたので、拾い食いをして腹を壊した、とちゃんと説明しておいたからな」

「勝手に俺を意地汚い奴にするなぁッ!?」


 不在の理由としては最悪な類じゃねーか! むしろそれでクビになりそうな気もするんだが!?

 思わず椅子から立ち上がりアレクに詰め寄る俺。

 しかしアレクはそんな俺の態度など全く気にするそぶりを見せず、今度はその無表情をタニヤへと向けた。


「ちなみに消えた姫様はタニヤのイタズラだった、と説明してきた」

「いやああああぁぁっ!?」


 頭を抱えて涙目で絶叫するタニヤ。それについてはよくやったアレク。たまにはこういうおしおきもこいつには良い薬だろう。薬屋の娘なだけに。

 俺は再度椅子に腰掛けつつ、心の中でアレクに親指を立てたのだった。

 ……うん、茶が美味い。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 本当にいつも楽しいですね! [一言] この四人の掛け合いが本当に大好きなので、新作短編を読めて嬉しかったです! 福山さんのコメディはテンポや情景描写に加えて、心理描写も楽しいので、いつも…
2013/07/23 14:22 退会済み
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