ブランチェスカ皇帝記
北方大陸の覇とも呼ばれるブランチェスカ帝国では、4人の皇子による後継の座を賭けた争いが行われていた。
しかし4人に皇帝を継ぐ意志はない。
つまり4人は互いに皇帝の座を押し付け合っているのであった。
◇ ◆ ◇
久々に見た城は相変わらず豪華絢爛だった。通された応接間で、温かな紅茶を飲んでいると、部屋の扉が大きな音をたてて開く。
そこには上着も羽織らず、髪もぼさぼさな男性が立っていた。これもいつも通り。
「リリー!」
「シラルさま、お久しぶりです。お元気そうですわね」
相変わらずな姿に苦笑したが、シラルは気にする様子も見せなかった。さっさと空いた椅子に座り、侍女が淹れた紅茶に口を付ける。
「あー、やっと一息ついた」
「また近衛隊のところに顔を出したんですか?」
清々しい顔をしているシラルにリリーは呆れた視線を向けた。この皇子は暇を見つけると、すぐに剣を片手に城を飛び出す。自分が帝国の皇子という自覚が薄いのだ。
まぁ、それはシラルに限らないのだが。
他の兄弟方はどうしたのかしら、とリリーが考えたところで爆発音が響いた。音は遠い。
「また兄上が何かを爆発させたな」
朗らかに言うシラル。リリーにはすぐに消化部隊が離塔に向かって駆け抜けていくのが見えた。どうやら一番上の皇子が離塔で何かを爆発させたらしい。
「ご兄弟方はお元気ですか?」
「たぶん。上の兄上は相変わらず離塔に籠っているし、下の兄上は船を乗り回してるよ。弟は最近魔術に没頭しているらしい」
この間と特に変わらない回答に、リリーは小さく苦笑を漏らした。相変わらず4人の皇子たちは自由に、自分の好きなように生きているらしい。
ブランチェスカ帝国は、元は小さな都市国家であった。しかし周囲を侵略し次々と併呑すると、一気に国としての国力は上がった。その後も周辺地域と交戦してはその地域を属州化し、支配するようになる。建国してから800年が経った今となっては、大陸一の強大な国家へと変貌を遂げた。
そのブランチェスカ帝国には今、世継ぎが居ない。正確には後継者が決まっていないのだ。
皇帝には4人の皇子が居る。それぞれ性格は異なっているが、みんな優秀であり、誰が皇帝になっても帝国を正しく導くだろうと考えられていた。
しかし、4人はそれぞれが皇帝にはなりたくないと思っていた。それどころか、そんな面倒くさいものをやるくらいなら、いっそ国を出奔しようか、などと考えていた。それをしないのは、水面下で兄弟たちが激しい牽制をし合っているからにすぎない。
長男は学者肌で、城の離塔に籠っては怪しい実験を繰り返していた。ちなみに爆発も繰り返している。次男は世界に目を向けており、その興味はもっぱら異国の様々な物品にある。夢は冒険商人として世界中を回ることだとか。三男は建国史にその名を轟かせるブランチェスカ初代皇帝に憧れ、幼いころから剣を片手に修業をしていた。今でも剣闘士のようなことをして賞金を稼いでいたりする。末っ子は魔術の才能に恵まれ、高度な魔術の習得に励み、自分でも新しい魔術を編み出している。
つまり、それぞれがやりたいことがあり、皇帝になれば自由を制限されると分かっているからこそ、互いに押し付け合っているのだった。
リリーは目の前のシラルをじっくりと眺める。ブランチェスカ皇帝の第三子。その剣技は兄弟の中でも随一で、明るく闊達な性格は人望をたくさん集めていた。
皇子であるシラルと侯爵令嬢であるリリーは6歳差の幼馴染みである。シラルはリリーが0歳のころから知っているし、リリーも子供のころからシラルのことを慕っていた。
まるで兄弟のような関係。しかしそれも終わりが近づいている。
「実はシラルさまに報告がありますの」
「うん?」
「私、婚約が調ったんです」
シラルの目が丸くなった。リリーは冷静にシラルの反応を待つ。
お互いに無言で見つめ合うこと、三拍。ようやくシラルが小さく口を開いた。
「婚約……?」
「そうです。婚約することになりました」
「なんで!?」
「シラルさま、私、先月で18歳になったんです」
リリーの言葉に、シラルは怪訝そうな顔をした。シラルにはリリーの言いたいことは分からなかったらしい。
一般に、貴族の女性の結婚は早い。というのも、婚約するのが早いからだ。爵位が高ければ高いほど、婚約は早くなる傾向にある。中には生まれた時に決まっている場合もあるのだ。
その中で18歳になっても、婚約していないというのは異例であった。リリーの父親が長い歴史を持つ侯爵家であることを考えれば、ますます不思議なことである。
「私も18歳になり、結婚の適齢期を迎えましたわ。それなのに婚約もまだでした。父は年内に婚約式を済ませ、19歳の誕生日が来る前に結婚式を挙げる、と考えているのです」
淡々と告げられた内容にシラルは呆然とする。シラルにとってはまさに寝耳に水な内容だった。
そして唐突に気がついた。目の前に立つ女の子が、もう子供扱いできる年ではなくなっていたことに。
シラルにとってリリーはいつまでも年下の女の子で、守るべき女の子であった。シラルが剣を片手にあちこちを飛び回っているのも、リリーの一言がきっかけだった。
リリーがシラルの乳母が語る冒険物語に目をキラキラと輝かせ、物語に出てくる勇者を絶賛したのだ。それを見て、シラルは強くなることを決めた。あのキラキラした笑顔を一人占めしたくて。
無条件に信じていたのだ。シラルはリリーと一緒に居られると。ずっとリリーは自分の側に居るのだと。――それがとんでもない誤解だと、ようやく気がついたのだが。
「あ、相手は誰?」
シラルは喘ぐように聞いた。呼吸が急に苦しくなった。リリーの答えを初めて怖い、とシラルは強く思った。
「グローヴァ伯爵のご嫡男ですわ」
「グローヴァ伯爵……」
シラルの脳裏に貴族年鑑が凄まじい勢いで展開される。確か、リリーの実家と同じくらい古い歴史を持つ伯爵家だ。爵位こそ、侯爵家には劣るが、身分の釣り合いが取れないことはない。
なにより、グローヴァ伯爵の嫡男は好青年だとして、社交界でも評判である。ずっと隣国の留学していたので、社交界デビューこそ遅かったが、概ね多くの人間に受け入れられているようだ。
歳は22歳。リリーとも釣り合いが取れるだろう。シラルにとっては不愉快極まりない事実だが。
「この間、舞踏会でお会いしたのですが、とても感じの良い素敵な方でした」
「舞踏会?」
「シラルさまがちょうど北部の森で人食い熊を退治していた時ですわ」
リリーの何気ない一言に、シラルは舌打ちしたくなった。肝心な時に限って何をやっていたのだろうか。いつもはリリーのエスコートはシラルの役目だったのに。
シラルの居ない間に、リリーの手をグローヴァ伯爵の息子が取っていたのかと思うと、シラルは一気に不機嫌になる自分を自覚した。
顔にはっきりと面白くない、と書いてあるシラルに、リリーは苦笑する。突然で驚いたのだろう。そんな素振りを見せたこともなかったから、きっと余計に。
リリーはそんなシラルの表情を見て、秘密を明かしたくなった。それは純粋な好奇心から。それを聞いたシラルがどんな表情をするのか知りたくて。
「シラルさま、」
「…………うん?」
「実は私、皇太子妃として育てられていたらしんですの」
「は?」
リリーの唐突な爆弾発言に、シラルの目が大きく見開かれる。それを見て、リリーはいたずらっ子のように笑った。
「それってどういうこと?」
「なんでも私が生まれた時、おじい様と皇帝陛下の間で密約が交わされたそうですの」
リリーが生まれた時、リリーの祖父はそれはそれはその誕生を喜んだらしい。そして皇帝陛下に毎日のように孫娘自慢をしたのだとか。それを聞いた皇帝陛下は、そんなに言うなら息子たちの嫁にくれ、と言ったらしい。
もちろん孫娘を目に入れても痛くないほど可愛がっている祖父は、はっきりきっぱりと断ったらしいが、皇帝陛下は言葉巧みに祖父を説得したのだ。そして最後には祖父も折れた。ただし、条件を付けて。
「おじいさまは皇太子となる皇子の元に嫁がせるとおっしゃったそうですの」
固唾を呑んで聞いていたシラルは、話の内容に目を丸くさせたままだ。リリーも初めて聞いたとき、同じ表情で父を見ていたのだろう。
皇太子妃となればきっと苦労することもないし、皇帝陛下の御子だから変な人間にも育たないだろう、と祖父は考えたようなのだ。しかし誤算だったのは4人にいる皇子全員が、皇太子になることを嫌がったのだ。結局、皇太子が決まらないのでリリーの婚約も整うこともなく、今日まで至ったのである。
「今日こちらに窺ったのは、最後に確認するためでしたの」
「確認?」
「皇太子は未だ決まる様子もないですし、陛下がお許し下さったんですわ。世継ぎが決まらないことで嫁ぎ遅れるのは申し訳ない、とおっしゃって」
リリーも正直、親しい友人たちが婚約者と結婚していくのを見て、羨ましいと思っているところもあった。幸い、縁があって婚約者となるグローヴァ伯爵令息は良い人で、良い関係が築けそうだとも思っている。
人妻となれば、こんな風に気安く王城に来ることもできなくなるだろう。そう思って、リリーは今回挨拶に来たのだ。
シラルはリリーの話を聞いてから、動いていない。それどころか顔は恐ろしいほど真剣で、そのことにリリーは首を傾げた。
「シラルさま?」
「…………リリーは皇太子に嫁ぐって言ったか?」
「え? えぇ、言いましたわ。それがどうし――」
常にないシラルの様子を訝しげに見上げていたら、急にシラルが立ち上がった。シラルがリリーの方に詰め寄ってくる。その気迫にリリーは慄いた。
「――皇太子になる」
「はい?」
「俺、皇太子になる。今すぐ父上に言ってくる」
それだけ言ってシラルは猛然と部屋を出て行った。あとには呆気にとられたリリーが残される。
今、シラルはなんと言ったのだろうか。
「皇太子……?」
皇太子になると言っていた気がする。……本当に?
あんなに嫌がっていたのに、なんでいきなり皇太子になろうと思ったのだろうか。リリーはティーカップを片手に首を傾げる。
しばらく待っていたが、シラルが戻ってくる気配はなかった。まぁ、目的は果たしたし、そろそろ帰ろうかしら。そう思って、リリーは王城を後にする。
リリーは清々しい気持ちで家路へと着いた。唯一、心の心残りがあるとすれば、シラルから祝福の言葉が聞けなかったことかもしれなかった。
◇ ◆ ◇
果たして、シラルは皇太子となった。もちろん反対されることもなく、むしろ兄弟たちには大歓迎された。リリーはシラルが皇太子となった次の日には、彼の婚約者となっていた。
二人は婚約者同士として、いつか向かいあってお茶を飲んだ部屋に居た。
「シラルさま、」
「うん?」
「本当に皇太子になったんですのね」
「そうだよ」
あんなに嫌がっていたのに、シラルの顔は晴れやかで、本当に嬉しそうだ。
その理由が分からないリリーは首を傾げるばかり。
「シラルさま、」
「うん?」
「なんで皇太子になろうと思いましたの?」
シラルはリリーの率直な疑問に目を丸くし、それから柔らかく微笑した。それからゆっくりと立ち上がってリリーに近づく。
「それはね、」
シラルの答えは、リリーへの口づけで返されたのだった。
―END―
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
これは唐突に思いついた話でした。
後継者になりたくて争う人たちが居るのならば後継者になりたくなくて争う人たちもいて良いのでは? と思ったのがきっかけです。
結局、あんまり押し付け合っているシーンは書けませんでしたが……。
これも色々な設定ができてしまいました。また、機会があれば書きたいな、と思っています。
何かありました遠慮なく書き込んでくださいませ。
*藤咲慈雨*