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心霊内科医 神宿明察

掲載日:2026/10/12

登場人物紹介


神宿(かみやど) 明察(めいさつ)


古びたアパートの一室で「心霊内科」を営む、年齢不詳の医師。


物腰は柔らかく、常に飄々とした態度を崩さない。鋭い洞察力を持つ一方、酒好きで私生活は少々だらしない。


怪異を否定も肯定もせず、患者の抱える問題に独自の方法で向き合う。


彼にとって重要なのは、幽霊が実在するかどうかではなく、問題が「解決」したかどうかである。


常世(とこよ) 千景(ちかげ)


神宿の助手を務める、中性的な容姿の人物。


外見は十六、七歳ほどだが、実年齢や素性は不明。


礼儀正しく気配り上手で、訪れる患者にも丁寧に接する。だらしない神宿の世話を焼きつつ、その言動に呆れることもしばしば。


神宿の考え方を理解している数少ない人物だが、彼の導き出す「解決」には、ときに複雑な表情を見せる。

 その医院を初めて訪れる者は、たいてい二度住所を確認することになる。


 駅から徒歩十五分。商店街を抜け、住宅街の細い路地を進んだ先に、その建物はあった。


 築何年になるのかも分からない、古びた二階建てのアパートである。


 外壁はところどころ塗装が剥がれ、鉄製の階段には赤錆が浮いていた。雨樋は途中で外れ、建物の隅には雑草が生い茂っている。


 およそ医療機関が入っているとは思えない外観だった。


 しかし、一階の最も奥にある部屋の扉には、小さな真鍮製の表札が取り付けられていた。


『心霊内科 神宿明察』


 表札の文字だけは、妙に新しかった。


 その前で、一組の母娘が立ち尽くしていた。


「……本当に、ここなの?」


 母親の高瀬由美子が不安そうに呟く。


 隣に立つ娘の美咲は何も答えなかった。


 中学三年生になる少女だった。首には白い包帯が巻かれ、顔色は悪い。母親に付き添われているというより、連れてこられたという表現の方が正しいように見えた。


 由美子は紹介状に書かれた住所をもう一度確認した。


 間違いない。


 意を決して、扉の横にある呼び鈴を押した。


 しばらくして、扉が開いた。


「はい。お待ちしておりました」


 現れたのは、十六、七歳ほどに見える人物だった。


 整った顔立ちに、落ち着いた声。少年とも少女とも取れる容姿で、白いシャツの上に黒いカーディガンを羽織っている。


「こちら、神宿先生の医院で間違いありませんか?」


「ええ。どうぞ、お入りください」


 常世千景は、二人を室内へ招き入れた。


 由美子は玄関を跨いだところで、思わず足を止めた。


 外観からは想像もできないほど、室内が綺麗だったからだ。


 白い壁。磨かれた床。整然と並んだ椅子。小さな観葉植物まで置かれている。


 病院特有の消毒液の匂いはなく、代わりにほのかなお茶の香りが漂っていた。


「こちらへどうぞ。先生をお呼びしますので」


 千景に促され、母娘は椅子に腰掛けた。


 美咲は相変わらず俯いたままだった。


 ほどなくして、奥の扉が開いた。


「お待たせしました」


 現れた男は、柔和な笑みを浮かべていた。


 年齢は四十前後だろうか。清潔な白衣を着ているものの、どこか普通の医者とは違う雰囲気を纏っている。


「神宿明察と申します。どうぞ、よろしく」


 男は二人の向かいに腰を下ろした。


「さて、紹介状は拝見しましたが、まずはお母様からお話を伺いましょうか」


 由美子は膝の上で両手を握り締めた。


「……今朝のことなんです」


 話し始めた声は、わずかに震えていた。


 美咲がいつまで経っても起きてこなかった。


 普段なら、自分で起きて朝食を済ませ、学校へ行く準備をしている時間だった。


 不審に思って部屋を訪ねたが、返事がない。


 扉を開けると、美咲が床に倒れていた。


 首から血を流し、傍らにはカッターナイフが落ちていたという。


「もう……何が何だか分からなくて……」


 由美子は目元を押さえた。


「すぐに病院へ連れて行きました。幸い、命に別状はないと言われたんですけど……自分で傷つけたみたいだって……」


 傷の処置を受けた後、精神面の診察も勧められた。


 そこで美咲が語った内容を聞いた医師が、この医院を紹介したのだという。


「私、全然気づいてあげられなくて……」


「ママ、もういいってば」


 それまで黙っていた美咲が口を開いた。


「私、大丈夫だから」


「でも、あなた……」


「だから、大丈夫だって」


 美咲は苛立ったように顔を背けた。


 神宿は二人のやり取りを静かに見つめていた。


「なるほど」


 やがて、穏やかな声で言った。


「お母様。少しだけ、お嬢さんと二人でお話をしてもよろしいでしょうか」


「え……?」


「親御さんがいらっしゃると、話しにくいこともあるでしょうから」


 由美子は美咲を見た。


 美咲は何も言わなかった。


「……分かりました。よろしくお願いします」


「千景さん。お母様にお茶を」


「はい、先生」


 千景が由美子を待合室へ案内する。


 神宿は美咲に向き直った。


「では、こちらへ」


 奥の診察室へ通された美咲は、勧められるまま椅子に座った。


 神宿は机を挟んで向かいに腰掛ける。


「さて」


 神宿はカルテを開いた。


「首の傷について、お話しいただけますか?」


 美咲は包帯に手を当てた。


「……信じてもらえないと思います」


「それは、お話を伺ってから判断しましょう」


 美咲はしばらく黙っていた。


 やがて、小さな声で話し始めた。


「最初は、本当に小さかったんです」


 数週間前のことだった。


 陸上部の練習中、首筋にちくりとした痛みを感じた。


 虫にでも刺されたのだろうと思い、そのときは気にしなかった。


 しかし、練習後にシャワーを浴びようとして鏡を見ると、首に小さなできものがあった。


 翌日には少し大きくなっていた。


 さらに翌日も。


 そして数日が経った頃、美咲は奇妙なことに気づいた。


 できものが、人間の顔に似ているのだ。


「最初は……気のせいだと思ったんです」


 美咲は震える指で包帯に触れた。


「でも、だんだんはっきりしてきて……目とか、鼻とか……」


 美咲は言葉を詰まらせた。


「大会があるんです。中学最後の大会が。だから、こんなのがあったら出られなくなると思って……」


 そこで声が途切れた。


 神宿は急かさなかった。


「それで、今朝……自分で取ろうとしたんです」


「なるほど」


「でも……」


 美咲の顔が青ざめた。


「病院で処置してもらった後、鏡を見たら……また、あったんです」


「顔が?」


 美咲は小さく頷いた。


「……はい」


 神宿はカルテに何かを書き込んだ。


 そして、何気ない調子で尋ねた。


「その顔に、心当たりはありませんか?」


 美咲の肩が跳ねた。


 神宿はペンを置いた。


「どなたかに似ている、とか」


 長い沈黙があった。


 美咲は俯いたまま、膝の上で拳を握り締めている。


「……友達です」


「お友達?」


「……藤原紗奈っていう、死んだ友達に似てるんです」


 神宿は静かに頷いた。


「よろしければ、その方のお話を聞かせてください」


 美咲は目を伏せた。


 そして、ぽつりぽつりと語り始めた。


 紗奈とは、保育園の頃からずっと一緒だった。


 家も近く、親同士も親しかった。


 休日には互いの家を行き来し、夕食を一緒に食べることも珍しくなかった。


 小学生の頃のことだ。


「ねえ、今日うちでご飯食べていきなよ!」


「いいの?」


「うん! ママに聞いてみる!」


 美咲は台所へ駆け込んだ。


「ママー! 今日、紗奈も一緒にご飯食べていい?」


「いいわよ。ちゃんとお家に連絡しておきなさいね」


「やった!」


 美咲が振り返ると、紗奈は嬉しそうに笑っていた。


「じゃあ、私、お母さんに電話してくる!」


「パパが帰ってきたら、ゲームしようよ!」


「うん!」


 二人は何をするにも一緒だった。


 美咲は走るのが得意だった。


 小学校の運動会ではいつも上位に入り、リレーの選手に選ばれることも多かった。


 紗奈は、そんな美咲をいつも応援していた。


 中学校に入学すると、美咲は迷わず陸上部に入った。


 すると、紗奈も同じ部に入部した。


「私も一緒に走りたい!」


 美咲は嬉しかった。


 練習の仕方を教え、フォームを見てやり、走り終えた後には二人でタイムを比べた。


 最初の頃、紗奈は美咲にまったく追いつけなかった。


 それでも諦めず、毎日練習を続けていた。


 美咲は、そんな紗奈が好きだった。


 自分の後ろを一生懸命追いかけてくる姿が、少し誇らしくもあった。


 だが、中学二年生になった頃から、少しずつ何かが変わり始めた。


 紗奈のタイムが急激に伸び始めたのだ。


 最初は数秒あった差が、徐々に縮まっていく。


 ある日の練習で、二人はほぼ同時にゴールした。


「やった! 初めて追いつけた!」


 紗奈は息を弾ませながら笑った。


「……すごいじゃん」


 美咲も笑った。


 けれど、胸の奥に小さな棘が刺さったような感覚があった。


 それから数週間後。


 初めて、紗奈に負けた。


 顧問は驚いたようにストップウォッチを見つめた。


「すごいな。まだまだ伸びるぞ」


 周囲の部員たちが紗奈を取り囲む。


「めっちゃ速くなってるじゃん!」


「次の大会、期待できるんじゃない?」


 紗奈は照れくさそうに笑っていた。


 美咲も一緒に笑った。


 ただ、その日の帰り道、いつもより口数が少なかった。


 努力が足りないのだと思った。


 だから練習量を増やした。


 朝も走った。休日も走った。


 しかし、差は縮まらなかった。


 むしろ、少しずつ広がっていった。


 以前は自分に向けられていた顧問の期待が、紗奈に向けられるようになった。


 部員たちも、紗奈の記録について話すことが増えた。


 それでも紗奈は、以前と変わらなかった。


「ここまで速くなれたの、全部美咲のおかげだよ!」


 そう言って笑う。


 美咲も笑い返す。


 けれど、その言葉を聞くたびに、胸の奥がひどくざわついた。


 そして、中学三年生。


 最後の大会の代表選手に選ばれたのは、紗奈だった。


 美咲は補欠となった。


 さらに紗奈には、陸上の強豪高校からスポーツ推薦の話が舞い込んだ。


 ある日の帰り道。


「ねえ、美咲は志望校どうするか決めた?」


「……まだ」


「えー、もう決めないとじゃん」


「分かってるよ」


「私の行く高校、受けてみない?」


 美咲は足を止めた。


「……え?」


「私、推薦で行けるからさ。美咲は一般入試で受けてよ! 勉強頑張って!」


 紗奈は屈託なく笑った。


「高校でも、ずっと一緒に走ろうね!」


 美咲は何も答えられなかった。


 かつて自分の後ろを走っていた少女が、今ではずっと先を走っている。


 それなのに、当の本人はまだ二人が並んで走っていると思っている。


「……うん」


 美咲は笑った。


「そうだね」


 その笑顔が、どんなものだったのか。


 今となっては、自分でも思い出せなかった。


「……それで?」


 神宿の声が、美咲を現実に引き戻した。


「紗奈さんは、どうされたんですか?」


 美咲は唇を噛んだ。


「……事故で、死にました」


「事故?」


「学校の帰り道に……階段から落ちて……」


「あなたも、その場に?」


「……はい」


「目の前で?」


「……はい」


 神宿は静かに頷いた。


「それは、お辛かったでしょう」


 美咲は何も答えなかった。


 しばらく、時計の針が進む音だけが聞こえた。


 やがて神宿が口を開いた。


「ところで」


 美咲が顔を上げる。


「本当に、お話はそれだけですか?」


「……え?」


「何か、お忘れになっていることはありませんか?」


 美咲の表情が強張った。


「……何が、ですか」


「紗奈さんは、本当に足を踏み外したのでしょうか?」


 美咲は目を見開いた。


「……どういう意味ですか」


「あなたは、紗奈さんが羨ましかったのではありませんか?」


「……違う」


「走ることを教えたのはあなたなのに、いつの間にか追い抜かれてしまった」


「違います」


「周囲の期待も、最後の大会の代表も、そして高校への推薦も」


「違う!」


 美咲の声が大きくなった。


 神宿は表情を変えなかった。


「妬ましかったのでしょう?」


「違うって言ってるでしょ!」


「だから、あの日」


 神宿は美咲の目を見つめた。


「階段で、紗奈さんの背中を押した」


「違う!!」


 美咲は椅子から立ち上がった。


「私じゃない! あれは事故だったの! 紗奈が勝手に……!」


 言いかけて、口を閉じた。


 神宿は何も言わなかった。


 ただ、美咲が落ち着くのを待っていた。


 やがて、静かに尋ねた。


「ところで、その顔はあなたに何と言っています?」


 美咲の身体が硬直した。


「……え?」


「首にある、その顔ですよ」


 美咲はゆっくりと首に手を当てた。


 包帯がわずかに緩んだ。


 鏡などない。


 それなのに、美咲には分かった。


 そこに、いる。


 ずっと、自分を見ている。


「……どうして」


 小さな声がした。


 美咲は息を呑んだ。


「どうして、殺したの?」


「……やめて」


「ずっと一緒って、言ったのに」


「やめて……!」


 美咲は首を押さえた。


「やめてよ!!」


 神宿は何も言わなかった。


 ただ、静かに美咲を見つめていた。


     *


「……そうだったんですね」


 待合室で、千景は由美子の話に耳を傾けていた。


「本当に仲の良い二人だったんです。小さい頃から、いつも一緒で……」


 由美子は膝の上で手を握り締めた。


「紗奈ちゃんが亡くなってから、美咲もずっと元気がなくて……。でも、まさかこんなことになるなんて……」


「お母様も、ご心配でしょう」


「ええ……」


 そのとき、奥の扉が開いた。


 神宿に続いて、美咲が姿を現した。


 由美子は思わず立ち上がった。


 娘の表情が、来院したときとはまるで違っていたからだ。


 青ざめ、俯いていた美咲が、今は穏やかに微笑んでいる。


「美咲、大丈夫なの……?」


 由美子が駆け寄る。


 美咲は小さく頷いた。


「うん。もう大丈夫」


 そして、母親を見つめて微笑んだ。


「心配かけてごめんなさい、お母さん」


「……よかった」


 由美子は娘を抱きしめた。


 美咲も静かにその背中に腕を回した。


 神宿は二人を見つめ、穏やかに微笑んでいた。


「もう心配はいらないでしょう」


 由美子は何度も頭を下げた。


「本当に、ありがとうございました……!」


「いえいえ。お大事になさってください」


 母娘は医院を後にした。


 美咲は最後まで、穏やかな笑みを浮かべていた。


     *


「……それで、先生」


 千景は紅茶の入ったティーカップを神宿の前に置いた。


「結局、解決したんですか?」


「ええ」


 神宿はカップを手に取り、立ち上る湯気を眺めた。


「おや、紅茶ですか。ブランデーの方がよかったですねえ」


「まだ昼ですよ、先生。それで我慢してください」


「少しくらい構わないでしょうに」


「駄目です」


「まったく、融通が利きませんねえ」


 神宿は諦めたように紅茶を一口飲んだ。


「あれで満足でしょう。これでずっと一緒なんですから」


 千景は少し考えた。


「……つまり、人面瘡に身体を乗っ取られた、ということですか?」


「さあ?」


 神宿は肩をすくめた。


「罪の意識から、自分が幼馴染になったと思い込んでいるだけかもしれませんよ」


「……そういえば」


 千景は思い出したように言った。


「お母様から伺ったんですが、美咲さんが顔のできものがあると言い張っていた場所には、何もなかったそうですよ」


「ほう」


「傷を負う前も、普通の綺麗な肌だったそうです」


 神宿は特に驚いた様子も見せなかった。


「なるほど」


 そして、また紅茶を一口飲んだ。


「まあ、解決したんです。それでいいじゃありませんか」


 千景は呆れたようにため息をついた。


「……まったく、この人は」


 神宿は何食わぬ顔で、空になったティーカップを差し出した。


「千景さん。おかわりをいただけますか?」


「ご自分でどうぞ」


「おや、冷たいですねえ」


 窓の外では、いつもと変わらない街の日常が続いていた。


 神宿はしばらく空のカップを眺めていたが、やがて諦めたように立ち上がった。


 そして、自分で紅茶を淹れに向かった。

この作品も昔から頭の中にあったものでしたがチャッピーが上手く文章にしてくれました。さすチャピ。

この作品を最後まで読んでいただきありがとうございました。

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