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第5章 歯を食いしばるほどじゃない選択

 修司は、自分が我慢強い人間だとは思っていない。

 むしろ逆で、しんどいことはできるだけ避けたい。


 朝、会社に向かう途中で、雨が降り出した。

 予報では曇りだったはずだが、そんなことはどうでもいい。


 駅の屋根の下で立ち止まり、修司は少しだけ迷った。

 今日は外回りがある。

 濡れるのは面倒だ。


 コンビニに戻って傘を買うこともできる。

 五分ほど遅れるが、許されないほどではない。


 修司は一度、踵を返しかけた。


 それから、止まった。


 理由は特にない。

 ただ、戻るほどでもない気がした。


 修司はそのまま歩き出した。

 雨は強くも弱くもならず、ただ淡々と降り続ける。


 会社に着いた頃には、靴下が少し湿っていた。

 不快だが、我慢できないほどではない。


 外回りの途中、修司は古いビルの前で立ち止まった。

 エントランスの段差に、年配の女性が荷物を置いて休んでいる。


 重そうな紙袋。

 雨に濡れた地面。


 修司は立ち止まったまま、数秒考えた。


 声をかければ、手伝うことになる。

 時間は少しかかる。


 かけなければ、そのまま通り過ぎられる。


 どちらも、大きな違いはない。

 だからこそ、迷う。


 修司は一歩近づき、少し距離を保ったまま言った。


 「……持ちますか?」


 女性は顔を上げ、少し驚いたように修司を見る。

 すぐに首を横に振った。


 「大丈夫よ。ありがとう」


 それで終わりだった。


 修司は軽く会釈をして、その場を離れた。

 手伝っていない。

 断られたのだから、それでいい。


 それでも、声をかけたという事実だけが、あとに残る。


 書類を届け終え、帰り道を歩く。

 雨はまだ降っている。


 修司はコンビニに寄り、タオルを一枚買った。

 濡れた靴を拭くためだ。


 余計な出費だが、後悔するほどではない。


 夜のシフトは、少しだけ忙しかった。

 レジに列ができ、商品が次々と流れていく。


 途中、若い男性が列の後ろで苛立った声を出した。

 前の客の会計が長い。


 修司は無言で作業を続ける。

 急げばいいわけではない。


 会計を終え、次の客を呼ぶとき、修司はいつもより少しだけはっきりと声を出した。


 「お待たせしました」


 それだけだ。


 苛立っていた男性は何も言わず、商品を置く。

 トラブルにはならない。


 修司は内心で、ほっとする。


 深夜、店を閉める準備をしながら、修司は思う。


 今日は、踏ん張ったわけじゃない。

 歯を食いしばるような場面もなかった。


 ただ、戻らなかった。

 ただ、声をかけた。

 ただ、少しだけ丁寧にやった。


 どれも、小さすぎて誇れない。

 でも、なかったことにもできない。


 店を出ると、雨は止んでいた。

 空気が澄んで、道路が光っている。


 修司は立ち止まり、背筋を伸ばす。


 今日の選択は、正しかったのか分からない。

 間違っていたとも思えない。


 それでいい。

 そういう日もある。


 修司は歩き出す。

 歯を食いしばらずに進める道を、選びながら。

ありがとうございました。

感想をいただけるとありがたいです。

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