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第2章 余計な一歩

 修司は、自分が調子に乗りやすい人間だということを知っている。

 ほんの小さな手応えがあると、それを過大評価してしまう。


 昨夜のことを、布団の中で何度か思い返していた。

 泣いていた子ども。

 静かになった店内。

 母親の短い「ありがとうございました」。


 胸の奥が、ほんのり温かくなる。


 ——ああいうのだ。

 たぶん、ああいうのを、続ければいい。


 翌朝、修司は少し早めに家を出た。

 特に理由はない。

 ただ、何かが起きても対応できるような気がした。


 駅前の交差点で、足を止める人がいた。

 スーツ姿の若い男性で、スマートフォンを何度も見返し、周囲をきょろきょろしている。


 迷っている。

 たぶん。


 修司は一瞬だけ躊躇してから、背筋を伸ばした。


 「……あの、何か探してます?」


 声は思ったより普通に出た。

 男性は少し驚いた顔をしてから、ほっとしたように息を吐く。


 「はい。取引先のビルが分からなくて」


 スマートフォンの画面を見せられ、修司は地図を覗き込んだ。

 知っている場所だった。

 以前、配達で行ったことがある。


 「ここですね。たぶん、こっちの通りを——」


 修司は説明しながら歩き出し、男性もついてくる。

 言葉は途切れず、調子は悪くない。


 しかし、途中で修司は気づいた。

 記憶していた道と、微妙に景色が違う。


 「……あれ?」


 言葉に出した瞬間、嫌な予感がした。

 案の定、角を曲がった先に目的のビルはなかった。


 男性が立ち止まる。


 「……本当に、こっちですか?」


 修司の喉が鳴る。

 分からない、とは言いづらかった。


 「たぶん……もう少し先に……」


 結果的に、二人は五分ほど無駄に歩いた。

 正しい道は、最初に渡らなかった横断歩道の向こうだった。


 男性は時計を見て、少しだけ眉をひそめた。

 怒ってはいない。

 でも、焦っているのは明らかだった。


 「すみません……余計なことを」


 修司は頭を下げた。

 男性は「いえ」と言って走り去る。


 一人取り残された歩道で、修司は深く息を吐いた。


 やってしまった。

 助けたつもりで、時間を奪った。


 胸の奥の温かさは、どこかへ消えていた。


 会社に着いても、気分は晴れなかった。

 コピーを取りながら、修司は何度も朝の場面を思い返す。


 声をかけなければよかったのか。

 最初から、駅員に聞くよう勧めればよかったのか。


 正解は分からない。


 昼休み、窓際で弁当を食べながら、修司は自分の手を見た。

 何かをつかめる手でも、押し返せる手でもない。


 「……難しいな」


 誰に聞かせるでもなく呟く。


 夜のシフトでは、レジ前で常連の老人が小銭をばらまいた。

 床に散らばる硬貨。


 修司は反射的にしゃがみ込み、拾い始めた。

 老人は「いい、いい」と言ったが、修司は手を止めなかった。


 全部拾い終えると、老人は小さく笑った。


 「若いのに、変わってるな」


 褒めているのか、呆れているのか分からない声だった。


 「そうですか?」


 「みんな、面倒くさがるからな」


 老人はそう言って、ゆっくり店を出ていった。


 修司はしばらく、その場に立っていた。

 朝の失敗が、頭をよぎる。


 やらなければよかったこと。

 やってよかったこと。


 その境目は、思っていたよりずっと曖昧だった。


 閉店後、店の外に出ると、空気が少し冷たかった。

 修司は立ち止まり、背筋を伸ばす。


 完璧じゃない。

 むしろ、今日は失敗の方が多い。


 それでも、声をかけたこと自体を、全部なかったことにはできなかった。


 修司は歩き出す。

 昨日より、ほんの少しだけ慎重に。

 それでも、下を向かずに。

ありがとうございました。

感想をいただけるとありがたいです。

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