ミア、布師バーチェと出会う
朝の冷気が小屋の隙間から吹き込み、私は目を覚ました。粗末なベッドに寝そべると針で縫い直したばかりのチュニックが擦れて痛む。だがその痛みすら今の私にはご褒美だ。ここではじめて「服を作った」という事実がようやく私を人間に戻してくれる。私はゆっくりと立ち上がった。
「……少しはマシになったわね」
金属板に映る影を見やる。まだ太った体は変わらない。でも昨日までの“灰色の布巻き人間”よりはずっとずっとマシだ。
水場へ向かうと、村の女たちが水浴びをしていた。石鹸も化粧品もなく、ただ水で肌を擦るだけ。みな平然と、ゴシゴシと腕や顔をこすりつけている。
「……そんな乱暴なことをしたら、残すべき角質と一緒に未来まで削ぎ落とされてしまうけれど」
私は草を探し、潰して顔に塗りつけてみた。少しひりひりするけれど、潤いが残るような気もする。女たちは「奇妙な娘だ」と笑ったが、私は構わなかった。美しさの原点は工夫から生まれるのだから。
その日の昼、私は村を散策していた。この街の景色にはまったくもってなれる気配がない。夢にすら出てこないほど不思議な場所だ。
「私が布一枚から美を作るためには、いやそもそもこの世界の認識を変え。……いや何よりも私自身が変わらないとではあるのよ」
その時、背後からざらついた声が飛んできた。
「……なぁに、一人でぶつぶつ言ってんだい?」
振り返ると白髪を振り乱した中年の女が立っていた。日焼けした肌、腰に巻いた糸束、手にはくたびれた木製の糸車。
「あなたは……?」
「バーチェだよ。この村で唯一の“布師”さ」
彼女の目は鋭くだが底に確かな光を宿していた。その目に導かれるようにして、私は彼女の小屋へ足を踏み入れる。狭い小屋の中には所狭しと糸巻きが並んでいた。色や灰色ばかりの地味な色合い。綿と麻が中心で染料は自然のもの。だが美しさや華やかさはなく、ただ“機能”を求めているだけのようだった。
「……やはり、見た目にこだわってはいらっしゃらないのね」
私がぽつりとこぼすと、バーチェは肩をすくめた。
「見た目? ああ、そんなもんか。そんなん気にしてたら、ここでは食ってけないよ。風よけと耐水性、丈夫さ。大事なのはそれだけだ」
やはりこの世界には“美意識”というインフラが欠けている。見た目を意識する文化そのものが存在していないのだ。
「でも……」
私は思わず呟いた。
「美しさって必要よ。人は見た目に救われることだってあるのです」
バーチェは一瞬黙り込み、それからくしゃりと笑った。
「へぇ……変わった娘だねぇ。だが嫌いじゃないよ。もし本当にそう思うんなら糸車を回してごらん」
渡された糸車に触れる。軋んだ木の感触。糸を撚り、織りかけの布に添えていく。慣れない作業ですぐに糸が絡まり、指先に豆が潰れる。
「痛っ!」
思わず声を上げると、バーチェが腹を抱えて笑った。
「針で血を流すのは好きなくせに、糸で泣き言を垂れるのかい? フン、まったく不思議な娘だ」
私は唇を噛み、再び糸を回した。どれだけ痛くて苦しくても止まることはなかった。この痛みすら服を生む糧になるのだと信じて。
数時間後。汗と埃にまみれた私はようやく一枚の粗末な布を織り上げた。まだガサガサで色も地味。それはとても美しいとは言えないものだ。だがそれでも私のこの世界での最初の“生地”だった。
「どうだい、感想は?」
バーチェが尋ねる。私は布を握りしめ、震える声で答えた。
「──これが、革命の第一歩です」
バーチェの瞳が細められる。その奥に潜む炎は私の情熱を映し返すようだった。
その夜、私は布を抱いて小屋に戻り膝の上で針を動かした。バーチェがくれた糸を使い、余った布を組み合わせ、シンプルなワンピースを仕立てていく。太った体でも動きやすいようにウエストにゆとりを持たせ裾には軽やかなカット。
「……たとえ布一枚でも工夫次第で“魅せる服”になる」
針先に灯る蝋燭の火が、まるで未来を照らすように揺れていた。
その晩、私は夢を見た。あこがれのファッションショー。観客のざわめき。だがそこ私は、布一枚の姿で笑っていた。観客は最初こそ失笑した。そして冷ややかの視線を向け、嘲笑する声が聞こえてくる。けれど私がステージの上で堂々と両手を広げた瞬間、歓声が爆発する。
「布は数ではないのです。美は生き方そのものよ!」
夢の中の私が叫ぶ。その声に目覚めた時、胸の奥で確信が芽生えていた。──この世界に美を教える。それが私に課せられた使命なのだと。




