闇の迫る予感
炎の国を後にし、私たちは静かな森を抜けた。だがその夜、焚き火の明かりの向こうで妙な違和感を覚えた。風もないのに木々の間で不自然に黒い布が揺れている。
「……ミア、見えるか?」
オルガが剣に手を伸ばす。暗闇に浮かぶのは漆黒の布。それは炎布の残滓とは異なる冷たさを放ち、ひとりでに蠢いていた。
「誰かが縫ったもの?」
私が呟いた瞬間、影の中から複数の人影が現れた。全身を黒布で覆い、顔すら隠した者 たち。
「影縫い衆だ!」
バーチェが顔を強張らせた。
「え、それは?」
私の疑問も後にして、彼らは低い声で囁く。
「お前の布は世界を乱す……布は人を縛り、選別するためにある……繋げるなど、偽りにすぎぬ」
私は針を握り、声を張った。
「布は人を繋ぎ、未来を縫うためにありますわ! どなたか存じ上げませんが、あなたたちのように闇に縫い込むものではありません!」
だが影縫い衆は漆黒の糸を空に放った。糸は蛇のように絡みつき、私たちを縛ろうと襲いかかる。
「っ……!」
オルガが剣を振るうが、糸は斬っても再び繋がる。リュシアンの短剣も闇に吸い込まれった。私はこわばる身体を必死に地面に押し付け、針を持ち続けた。
「無駄だ、影布は裂けぬ」
影縫い衆の一人が嗤う。私はその嘲笑を受けても必死に針を走らせた。
「裂けぬ闇などないわ」
闇の糸を縫い直し、光の糸を織り込もうとする。だが針先が闇に沈み、思うように縫えない。胸に冷たい感覚がゆっくりと広がる。
「これが闇の布なので」
その時、私の耳にかすかな声が届いた。──お姉様。はっとして辺りを見渡す。誰もいない。だが確かに懐かしい声がした。
「……ユリアなの?」
転生前、この世界に来る随分前に亡くなった妹の名前だ。影縫い衆が嗤った。
「聞こえるか。影布は心の闇を縫い込み、最も弱き部分を呼び覚ます……」
私は胸を押さえた。心臓の鼓動が針先のように痛む。妹、私のただ一人の妹……ユリアは何を思って最期を迎えたの?
「影布は人の心を縫う布」
リュシアンが叫ぶ。
「ミア! 負けるな!」
オルガが私の腕を掴んだ。
「お前が縫ってきたのは、希望だろ! 闇に呑まれるな!」
私は息を整え、震える指で針を持ち直した。――妹はきっと私のことを応援してくれているはず。きっと姉としてやるべきことをやる方が望まれるわ。……ユリア、見ていて。
「そうね。闇がどれほど深くとも、必ず光で縫い直せるわ」
針を走らせ、影の糸に自らの布を縫い合わせる。針先から灯布の光が広がり、闇を裂いていく。影縫い衆が怯んだ。
「馬鹿な……影布が……!」
だがその中の一人が私を鋭く睨んだ。
「貴様はまだ知らぬ。影布の本当の主──“闇帝”が目覚めればお前の針など無力だ」
彼らは一斉に闇に溶け、消え去った。残されたのは、焚き火の揺らめきと、胸に残る不気味な囁き。私たちはしばらくその場で立ち尽くした。
「闇帝……もはや伝説の存在だと思っていたが……」
リュシアンは拳を固く握った。
「ミア、ここから先は一筋縄ではいかない」
オルガのその一言は重くのしかかった。私はその言葉に耳を傾けながら唇を噛んだ。
「闇帝……布に影を縫い込み、希望を閉ざす存在。必ず──その布も縫い直してみせるのよ」
影縫い衆を退けた夜、私たちは焚き火を囲んでいた。だが炎の温もりに包まれても、胸の奥の冷たさは拭えない。あの囁き──妹ユリアの声。それは確かに私の耳に届いた。
「ミア……大丈夫か?」
オルガが心配そうに覗き込む。私は無理に笑みを浮かべた。
「ええ、大丈夫。ただ……心に縫い込まれた影を、まだ断ち切れていないのかもしれないの」
リュシアンがそっと手を握る。
「人間なら誰だって影を抱えてる。でもミア……君は、それを光に縫い直せる人だろう? 最後まであきらめるな」
その言葉に胸が熱くなり、私は針を握りしめた。
「……そうね。影に呑まれるわけにはいかない」
「お嬢なら大丈夫さ」
バーチェの変わらない強い言葉が味方をしてくれる。私には素敵な仲間がいる。それだけで力になった。




