糸の国、スピネア
血の国を後にして、私たちは山々を越えた。霧の向こうに現れたのは「糸の国」──スピネア。遠目にも、街全体が蜘蛛の巣のように糸で覆われていた。近づくと、その糸がただの装飾ではないことが分かった。街路を行き交う人々の背中から細い糸が伸び、空に張り巡らされた巨大な網へと繋がっていたのだ。
「なんだか人形……みたい」
思わず顔をしかめた。人々の表情は無感情で、まるで糸に操られて歩かされているかのようだった。
その頃、市場の片隅で一人の少年が糸を必死に引きちぎろうとしていた。
「ぼくは……自由に歩きたいんだ!」
だが糸は鋼のように強く、指先が血に染まっても切れない。周囲の大人たちは冷ややかに言った。
「無駄だ。運命の糸には逆らえぬ。糸に導かれるままに歩むことが幸福なのだ」
「運命の糸……? この国では、布が人を操っているのですか」
その時、鐘が鳴り響いた。広場に人々が集められ、舞台に「糸帝」が現れた。全身を銀糸で覆い、その布から無数の糸が四方へ伸びている。糸帝の指が動くたび、群衆の身体が一斉に動いた。
「人は己の運命を選べぬ。運命の糸に操られることこそ、真の安寧」
人々は無言で頷き、一斉に同じ動作を繰り返す。私は震える声で針を握った。
「違います! 人は操られるために生きているのではありません! 布は、自由を織り上げるためにこそあるのです!」。
「ならばお前は運命の糸を断ち切り、新たな布を縫えるのか? そんなことができると思っているのか」
私の脳裏にその冷たい眼差しが焼き付いて離れなかった。
夜、宿に戻った私は仲間と布を広げた。
「……運命の糸を断ち切る布」
針を持つ手が止まった。オルガが真剣な瞳で言った。
「ミア。お前はずっと人の未来を縫ってきたじゃないか。だったら、運命の糸だって縫い直せるはずだ」
その言葉に胸が熱くなった。リュシアンがその柔らかな眼差しを向ける。バーチェは大きく頷いた。
「ありがとう。ええ……やってみせるわ」
翌朝、広場で糸帝が糸を操り、少年を舞台に立たせた。
「この子は糸を断ち切ろうとした。罰として運命布に縫い込む」
少年が泣き叫ぶ。
「いやだ! ぼくは……自由に生きたいぃぃぃ」
私は舞台に駆け上がり、針を振りかざした。
「その子の布は私が縫い直します!」
その言葉に糸帝の糸が迫る。私は針を走らせ、少年の背中の糸を掴んだ。
「一針……自由を……!」
針先が光を放ち、糸がぷつりと切れた。少年が倒れ込み、そして──自らの足で立ち上がった。
「……動ける……ぼくの意志で!」
群衆が息を呑んだ。
「運命の糸が……切れた……?」
私は布を広げ、宣言した。
「これは“自由布”。操られるのではなく、自らの足で未来を縫い歩むことができる布です!」
布が光を放ち、群衆の糸を次々と切り裂いていく。人々は驚いた顔で自由に動き始め、歓声が広がった。糸帝の瞳が怒りに燃える。
「人は自由では生きられぬ! 操られてこそ秩序だ!」
私は針を突き立て、叫んだ。
「秩序は操りではなく、共に歩むことで生まれるのです!」
糸帝の布が裂け、糸が空に散った。こうして糸の国は人を操る文化から解放された。人々は互いの手を取り合い、自分の足で歩き始めた。
「救われるのは命、そして気持ち、そして未来……布にできることはまだまだあるようだね」
「ミアの本気がここまで多くの人を突き動かせたんだ」
「前よりずっといい顔してるよ、お嬢」
三人の言葉に思わず涙腺が緩んだ。……まだ泣いてはダメよ、革命のゴールはまだ先だから。
「……まだまだやらねばならないことはたくさんある。……次は“炎の国”へ向かわなければ。布を焼き尽くすことで強さを示す文化。燃やす布すら、灯す布に縫い直してみせるのよ」




