花の国、フローリシア
砂の国を後にし、私たちは南方へと旅した。緑豊かな平原が広がり、遠くには花々で彩られた塔がそびえ立つ。そこが――「花の国」フローリシア。国全体が花園のように飾られ、空気に甘い香りが満ちている。その甘美な匂いにおぼれそうになるほどだった。だがその美しさは、あまりに残酷だった。街を歩く人々は皆、花弁を織り込んだ布を纏っていた。布は咲くほどに美しさを示し、萎れるほどに醜さを示すとされていた。「花布は魂の美を映す」と彼らは言う。花布が咲き誇れば人は称えられ、しおれれば嘲笑と蔑みの対象となる。
広場では「花布見せ大会」が開かれていた。人々は舞台に上がり、布を翻して咲き誇る花を見せつける。観客は歓声を上げ、美しく咲いた布を纏う者に花束を投げる。だが一人の少女が花布を広げた時、花は黒く枯れていた。観客から罵声が飛ぶ。
「醜いぞ、なんだその色は」
「花を咲かせられぬ者はこの国に不要だ」
少女は泣き崩れ、舞台から突き落とされた。私は拳を握りしめ、思わず立ち上がった。
「なんてことを……! 布で人の価値を決めるなんて!」
だが、後ろから誰かがが低く囁いた。
「そこのお嬢さん、気をつけるんだな。あんたの布は花を映すどころか、きっと“醜さ”を示す」
私ははっとした。そうこの国で裁かれれば、私は「太った醜女」として嘲笑されるだろう。この姿では花布を咲かせることなどできない。……私はどうすればいいの?
夜、宿に戻った私は鏡代わりの銀板を見つめた。太った頬、二重顎、荒れた肌。転生して以来、直視するのを避けてきた姿。少しはマシになったものの大きく変化はしていない。両親に見られてしまったら卒倒されてしまう姿なのは変わりない。
「私は、本当に……」
針を握る手が震えた。
「布で人を裁くなんて間違っているって言いたいのに……私自身が裁かれてしまう側なのね」
そこへオルガがやって来た。
「ミア……」
「見ないで!」
思わず叫んだ。
「私はこの国で一番醜い女なの! 布に花なんて咲かせられるはずがないわ!」
オルガは驚いた顔をした後、静かに笑った。
「俺には咲いて見えるよ」
「え……?」
「針を持つお前の姿は、誰よりも凛としてる。痩せてようが太ってようが関係ない、そう言ったろう。お前の布は心で咲いてるんだ。足りないものは自分を信じる力、それと自分を認める力だけだ」
胸が熱くなり、私は涙をこらえた。
「……そんな簡単に言わないでよ!」
「いや、オルガの言う通りだ」
リュシアンはこちらにゆっくりと近づいてきた。私の頭にそっと手を置いた。
「本当のことを言っているんだ。ちょっとはこっちのことも信じてくれないとな」
そこにバーチェも歩み寄った。
「そうだよ、あんたが頑張ってるのを最初から見てきたが……美しくなった。いや、元から美しくないものはいないのかもしれないな」
三人の微笑みが私の心の中に美しい花を咲かせた。
翌朝、私は決意した。
「花布を……作り直してみせます。人を裁くためではなく、誰もが咲ける布を」
広場では再び大会が始まっていた。人々は美しい花布を広げ、歓声を浴びている。その舞台に私は堂々とした歩幅で上がった。瞬間、大ブーイングが巻き起こる。
「誰だあの女は?」
「醜い! 花など咲くはずがない!」
私は胸を張り、針を掲げた。
「花は美醜を分けるためではありません! 誰の心にも咲く……咲かせることができるものです!」
私はバッと布を広げた。──そこに咲いたのは、形も色も不揃いな無数の花。大輪もあれば小さな蕾もある。だがそれらは一つとして同じものがなく、互いに寄り添い咲き誇っていた。観客が息を呑む。
「……花が……こんなにも……自由に……?」
だがその時、花の国の女王が姿を現した。花冠を戴き、完璧な花布を纏う女王。彼女の布は一面の真紅の薔薇。その美しさは圧倒的で群衆は一斉に跪いた。
「異国の女よ。私の花布に勝てるとでも思うのか?」
私は針を構え、微笑んだ。
「本当の美しさとは勝ち負けではありません。でも──あなたの布に新しい花を咲かせて差し上げましょう」
女王の瞳が挑むように光る。
「お前の実力をこの舞台で証明せよ!」
──花の国での裁きが始まろうとしていた。花の国の舞台は、群衆の熱狂で揺れていた。中央に立つ女王は、真紅の薔薇の布を広げる。その布は完璧に整列し、一糸乱れぬ美の軍勢だった。観客は酔いしれ、熱狂の声を上げる。
「美しい! やはり女王の花布こそ絶対!」
「不揃いな花など、雑草にすぎない!」
その雑草こそ私の布。咲いたのは色も形もばらばらな花々。人々の目には、ただ無秩序で醜いものに映っているのだろう。女王が声を響かせた。
「異国の女よ。美とは統一、完全、無欠の姿。醜い花布を広げるお前は、我が国に不要!」
彼女の布がうねり、真紅の薔薇の棘が伸びる。舞台を覆うその姿は、観客にさえ畏怖を抱かせた。私は一歩も退かず、針を握った。
「美しさは一色ではありません! 大小、強弱、不揃いだからこそ花は本当の庭園になるのです」
私は布を広げ、針を走らせた。ばらばらの花々を縫い合わせ、一枚の庭園へと変えていく。小さな花は大輪を引き立て、大輪は小さな花を守るように並ぶ。寄り添い、補い合うことで咲く布──共生の花布。観客の表情が揺れる。
「不揃いなのに美しい」
「雑草だと思ったのに……庭園みたいだ」
女王の目に怒りが宿った。
「……っ皆の者、偽りの美に惑わされるな! 真に美しいのは、この薔薇の秩序であるのだ」
彼女の布が薔薇の嵐を巻き起こす。鋭い棘が舞い、私の布を引き裂こうと迫る。私は震える体で針を振りかざし叫んだ。
「棘で他を排除する花に未来はありません! 私は誰もが咲ける布を──ここに!」
針先が光を放ち、ばらばらの花布が強烈な光を帯びた。薔薇の棘は光に触れると萎れ、崩れ落ちていく。女王の布が裂け、薔薇は枯れて舞い散った。残ったのはただ一人の女。完璧な美を纏っていたはずの女王が舞台に膝をつく。
「……不揃いな花に……私の薔薇が……負けた……?」
群衆が静まり返り、次の瞬間、歓声が爆発した。
「美しいぞ、不揃いな花が庭園になった」
「誰もが咲ける花布、そんな布が本当に存在したのか」
人々の目から涙が溢れていた。排除され、切り捨てられてきた人々が互いの布を広げ合って抱き合う。女王は顔を伏せ、震える声で呟いた。
「私は……恐れていたのだ。薔薇以外の花を認めてしまった時、私自身の美が崩れることを」
私は膝をつき、彼女に手を差し伸べた。
「薔薇も、菫も、向日葵も……すべてが美しい花です。そしてそれぞれの花がお互いを認め合って共に咲くことこそ美しい。あなたの薔薇もまた、この国の広い庭園に必要な花なのです」
女王の目から涙が零れた。こうして、花の国に新しい花布が根付いた。それは誰も排除せず、不揃いを寄り添わせる布。人々はそれを「共咲布」と呼んだ。花の国に「共咲布」が広がり、街はかつてないほどの賑わいを見せていた。人々は互いの花布を褒め合い、これまで醜いと切り捨てられてきた者たちの笑顔が溢れている。しかし私は、その光景を見守りながらも、胸の奥に刺さる棘を抜けずにいた。──この国を救った私自身が、なお「醜い」と思い続けている。
「……私の花布は……枯れたままなのですわね」
どんなに人の未来を縫い直しても、自分の容姿だけは変えられない。その事実が、ずっと心を蝕んでいた。そこへ見知らぬ少年が入ってきた。
「何してんの。また自分の顔、見てたの?」
私は苦笑した。
「……見られていたのですね。ええ、そうよ。女王に勝ったと言っても、この姿では笑われるだけです。周りにいくら縫っているときのお前は綺麗だと言われても、やはりそれでも自信が……周りを信じていないわけではないのに。一度は自信を持てたのにすぐに失ってしまう。こんなことを考えている自分の方が醜いと思うのですが……」
少年は腕を組み、呆れたように言った。
「やれやれ。あんた、自分の布のこと忘れてんじゃない?」
「……私の布?」
「人の布を縫い直せるのに、自分の布を縫えないって、誰が決めたの」
はっとした。……そうだ。私はずっと「外見」に囚われていた。けれど私には、針がある。布を通して未来を縫えるのなら自分自身の布だって縫い直せるはず。
私は針を取り、布を広げた。それは転生して以来、一度も正面から縫ったことのない──自分の布。太って、皺が寄り、色もくすんでいる。胸が痛んだ。
「こんな布で人を救ってきたの、私は」
けれど深呼吸をして針を刺した。一針、一針。私は自分の布に花を咲かせた。完璧ではない不揃いな花々。でもそれは確かに私自身の中にある光だった。涙が頬を伝う。
「……私にも……花は咲くのね」
すると布が淡く光り、銀板に映る私の姿が変わって見えた。太った頬はまだそのまま。肌も荒れている。けれど──布に咲いた花が、それらすべてを優しく照らしていた。それは醜さを抱えたまま美しくある姿だった。その時、背後からオルガの声がした。
「……咲いてるな」
振り返ると彼は真剣な瞳で私を見ていた。
「ミアは自分の布を咲かせた。俺はそんな君が世界で一番美しいと思う」
胸が熱くなり、言葉が出なかった。こうして私は自分自身の布を縫い直した。醜さを否定するのではなく、抱えたまま咲かせる。それが──本当の美しさなのだと気づいた。
花の国を後にする朝。女王が花冠を外し、私に差し出した。
「あなたこそ、本当の花を咲かせた女です。この国に真の庭園をもたらしてくれた」
私は花冠を受け取り、針を胸に誓った。
「次の国も──必ず、布を縫い直してみせます」
色とりどりの種類も様々な庭園を真っすぐに私たちは歩みを進めていった。




