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砂の国、アザーレ

 さらに西へ向かうと黄金色の砂漠が目の前に現れた。砂嵐が吹き荒れ、陽炎が揺れる。乾いた空気の中に、王都とはまるで異なる匂いが漂っていた。そこに聳える城壁都市──「砂の国」アザーレ。この国では布こそが貨幣であり、人の命の値段すら布の重さで決まるという。オルガが険しい目を向ける。

「噂は本当だったんだな。金や銀じゃなく布が通貨だというのは。しかも命の重さまで測るっていうのか」

「ハン、くだらないもんだね」

 バーチェの声にリュシアンが苦笑する。

「秩序を保つためだろう。金より布のほうが生活に直結する。だが……美を縛る道具にしてはならないものを、また鎖にしているだけだ」

 私は胸の奥に怒りを感じながらも、微笑みを忘れなかった。

「ならば縫い直すまでね」

 城門をくぐった瞬間、私たちは圧倒された。市場には布が山のように積まれ、青、赤、金、黒──色ごとに値札が付けられている。庶民は切れ端を握りしめて怯え、貴族は絹を幾重にも纏って勝ち誇る。

「おい、あの老人……」

 オルガの声に振り向くと、痩せ細った老人が広場に引きずり出されていた。役人が秤に布を載せ、こう宣言する。

「余命を少しでも伸ばしたいのであれば布を差し出せ! 布の重さが命の重さだ。それができないのであればすべての交渉は無駄だ!」

 老人の家族は泣き叫び、布切れを必死に差し出すが足りない。役人は冷たく告げる。

「命の値、足らず」

 刹那、兵士が剣を振り上げた。

「待ちなさい!」

 私は叫び、前に飛び出した。

「命を秤にかけるなど滑稽です」

 群衆の視線が一気に集まる。私は手元の布切れを掴み、針で素早く縫い合わせた。裂けた布も焦げた布も、繋げば新しい力を持つ。完成したのは、一枚の大きな布。それを老人に羽織らせ、胸を張って宣言した。

「この布こそ命を繋ぐ証になる。秤に載せるのではなく──纏わせるべきです」

 兵士たちが動揺する。老人は震える手で布を撫で、涙を流した。

「……温かい……まだ、生きていいのか……」

 その姿に人々の胸が揺れる。布を差し出すことしか知らなかった民衆が、布を「纏う」意味を思い出したのだ。だが役人は怒声を上げた。

「異端者を捕らえろ!」

 兵士たちが迫る。オルガが剣を抜き、リュシアンが鋭い視線で立ちはだかる。バーチェは群衆に叫ぶ。

「布は奪うもんじゃない、纏うもんだ。さっきがその証明だ」

 民衆が次々と布を広げ、盾のように掲げる。その瞬間、広場の空気が一変した。布はもはや貨幣ではなく、連帯の証。秤に載せられる布は消え、纏う布が広場を埋め尽くした。私は高らかに叫んだ。

「布は値札ではありません! 命の値段ではなく、命の輝きです」

 群衆は声を上げ、兵士たちを押し返した。老人は涙を流しながら私にすがり、震える声で言った。

「……あんたが、あんたがこの国を救ってくれるのか……」

 だがその瞬間。市場の奥から現れたのは、漆黒の布を纏った若き女王だった。その瞳は鋭く、声は炎のように響いた。

「どこかの王都の革命女だな。鉄の国で革命を起こしたと噂は聞いたが……こんな女だったとは。この国の掟を縫い替えられると思うな」

 彼女の背後には、布を刃に変える“布術師”の一団が並んでいた。布を貨幣とし、命を量る秩序を守るために。次なる戦いは──砂の国そのものとの対峙だった。

 砂の国アザーレの広場。黒き女王が現れた瞬間、空気は砂嵐のように張り詰めた。彼女の周囲に並ぶのは、布を刃へと変える“布術師”たち。長い布を解き放つと、瞬時に鋼のような剣に変わり、砂地を切り裂いた。

「布は命の値。値を支配する我らが秩序の守護者だ!」

 群衆は恐怖にすくみ上がる。だが私は針を掲げて一歩も退かなかった。

「布を刃にするなど……その力、本来は人を守るためのものであるはず。美を歪めたその術、私が縫い直して差し上げます」

 最初の布術師が布の剣を振るった。閃光のような速さで迫る刃。だがオルガが即座に剣を合わせて受け止める。火花が散り、砂塵が舞う。

「ミア! 前へ!」

 オルガの叫びに応え、私は針を握り締めて走った。裂かれた布が宙を舞い、それを私は瞬時に縫い合わせる。針が走るたびに、布は盾となり、術師の刃を受け止めた。

「ば、馬鹿な……縫い直した布が、我らの刃を止めるだと!?」

 布術師たちの顔に動揺が広がる。リュシアンが一歩前に出て、冷ややかに告げた。

「秩序を守るだと? 笑わせる。秩序とは恐怖の別名に過ぎん。だが……美は恐怖を超える。彼女の針がそれを証明している」

 彼は布を掴み、自らの手で裂き、縫い、即席の槍を作り上げた。かつて秩序の側にいた男が今や民と共に針を握っている。バーチェも同じように盾を作った。戦いは苛烈を極めた。布術師たちは次々と布を鞭に、槍に、鎖に変えて襲いかかる。だがオルガ、リュシアン、バーチェに続くように、街の人々の布も武器ではなく盾として広がった。オルガは大声で叫び、子どもたちさえ端布を持って人々を守った。

「縫え! 繋げ! 裂かれても立ち上がれ!」

 広場全体が一つの巨大な工房と化していた。やがて黒き女王自らが動いた。彼女の纏う漆黒の布は夜の闇のようで、両腕を広げた瞬間、布が無数の刃と化す。

「革命の女よ……ここでその針を折ってやろう」

 彼女の布刃が一斉に襲いかかる。砂地が裂け、石畳が砕け、私の身体を貫こうと迫る。──その瞬間、バーチェが私を突き飛ばし叫んだ。

「お嬢、今だ」

 倒れ込んだ彼女の周りに土ぼこりが舞う。……その気持ち、しっかりと受け取ったわ!

 だが私は恐怖に屈しなかった。針を掲げ、全身で布を抱きしめる。裂け、燃え、傷ついた布を、一針、一針。指から血がにじんでも止めることはなかった。

「布は刃ではない……命を繋ぐもの」

 完成したのは一着の“砂に咲くドレス”。焦げ跡も裂け目も、全てを抱き込んだその姿は、まるで砂漠に咲いた花のように輝いていた。ドレスから広がる布は人々を包み、刃を受け止め、炎を鎮めた。女王の刃は次第に力を失い、広場に静寂が戻る。彼女は息を荒げ、私を睨みつけた。

「なぜ……なぜそこまで布に執着する……!」

 私は静かに答えた。

「布は人を飾るものではなく、人を生かすもの。恐怖で縛るためのものでも、値札を付けるためのものでもありません。縫い直せば、誰もが笑顔を取り戻せるのです……私は布の正しい力を、身をもって証明するためにこの人生を捧げたいのです」

 群衆の中から声が上がった。

「あの方に……賭けたい」

「布で俺たちは救われた」

「この国も変えられる!」

 その声の奔流に押され、女王の瞳に揺らぎが走った。彼女の漆黒の布が、砂の風に晒されるようにほどけていく。

「……もし、布が恐怖ではなく希望なら……私は……」

 女王の声は砂に溶け、布術師たちの刃も次々と地に落ちた。砂の国は、その夜から変わり始めた。布は貨幣ではなく、誇りを纏うものへ。民は布を「値」ではなく「命」として扱い始めた。私は砂に咲いたドレスを見つめ、胸の奥で呟いた。

「次の地へ。まだ世界の裂け目は、残っていますわ」

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