最終課題と警告
「これより、最終課題を発表する!」
老仕立て師の声が広間に響いた。観客の息が止まり、仕立て屋たちの手が強張る。
「課題は──『自由』だ」
さらに大きなざわめきが波のように広がった。舞踏会用でも、日常着でもない。制約のない布から“仕立て師自身が信じる美”を形にせよ、というのだ。
「……自由、ですって」
私は思わず針を見下ろした。過去の私は、自由を恐れていた。決められた基準に従い、完璧を演じることでしか存在を許されなかった。自由に作れと言われれば、ただ無力さに泣き崩れるしかなかっただろう。
「今の私は?」
再び布が配られた。その純白の布は光を反射して舞台を照らすように、眩しい一枚だった。
「この国が一番嫌う“無垢”の布だわ」
装飾を施さず、ただ一枚で完成させるには、技巧も哲学も必要。布の数を誇る連中にとって最も扱いづらい布であるのは間違いない。観客席の長老たちが、薄ら笑いを浮かべるのが見えた。……あの人たちは私がこの課題で私が潰れることを期待しているのね。でもそうはいかないわ。
「ミア!」
オルガが舞台袖から声をかける。
「君が信じるものを作れ!」
「……わかってるわ」
胸に手を当てて目を閉じる。浮かんでくるのはリナの笑顔、村の母親の涙、バーチェの皮肉混じりの声。そしてオルガが私に向けてくれる真っ直ぐな眼差し。私は針を布に通した。周りでは他の仕立て屋たちが豪華絢爛な刺繍を施し、金糸や宝石を縫い付けている。だが私は、ただひたすらに布を折り、寄せ、流れるように形を作った。──飾りは要らない。必要なのは、人が生きる姿を美しく包むこと。針先が走るたび、心に刻まれていた“完璧主義の呪い”が溶けていく。仕上げの瞬間、私は布をモデルに羽織らせた。それは一枚布のローブ。けれど、肩から裾へ流れる曲線は羽ばたく鳥のようで、腰を絞る帯は自由を解き放つ翼の根元のように見えた。
「……飛んでいるみたいだ」
オルガの声が漏れる。モデルが舞台を歩くと、純白の布が風を孕み、観客の心をさらっていった。
「な、なんという!」
「布一枚なのに……自由の形を……!」
ざわめきはやがて歓声に変わり、広間全体を震わせた。だがその瞬間だった。審査員席の奥から低い声が響いた。
「──くだらぬ」
観客の熱を凍らせるような冷酷な響き。姿を現したのは、布商組合の総帥。分厚い黒布を幾重にも纏い、その影からは目すら覗かない。
「布は数だ。力だ。その愚かな理念を壊そうとする娘は──ここで潰す」
空気が張り詰める。黒幕の姿を前にして、私は針を握り直した。
「……違います」
声は震えていなかった。
「布は人を飾るための道具ではない。人を生かし、笑顔を咲かせるもの。そのために私はこの針を持ちました」
私の言葉に、観客の目が潤んでいく。庶民も、若い仕立て屋も、誰もが拳を握り、頷いていた。黒幕は手を振り下ろした。
「下らぬ幻想だ! 衛兵ども、捕らえよ!」
衛兵が舞台に踏み込もうとした、そのとき──リュシアンが立ちはだかった。
「待て」
冷たくも鋭い声。布商の後継者である彼が、初めて総帥に逆らったのだ。
「彼女の服は……人を変えた。この僕ですら心を揺さぶられていた。この真実を無理やり潰すことは許されない」
会場は騒然とした。黒幕の怒声と、観客の喝采が入り混じる。私は舞台の中央に立ち、針を高く掲げた。
「この日をもって宣言いたします! 布の数に支配された時代は終わり! 人を美しくする服こそが未来を切り拓くのです!」
観客の喝采が爆発した。会場の庶民たちが立ち上がり、貴族の一部すら涙を浮かべていた。――この黄金布杯の勝者は、間違いなく私だった。けれど、その勝利が次なる嵐を呼び込むことを私はまだ知らなかった。舞台袖でオルガが駆け寄り、息を弾ませながら言った。
「……ミア、本当に……すごかった」
私は笑みを浮かべ、針を握り直す。
「当然よ。私の革命はこれからが本番なのだから」
そして黒幕の陰謀が本格的に牙をむくのは、ほんの少し先のことだった。
黄金布杯の翌日──王都はざわついていた。
「見たか? あの娘の服を」
「布一枚で、あれほどの」
「庶民だって、美しくなれるんだ……!」
広場でも路地裏でも、私の名が囁かれていた。リナのように、ただ布一枚を工夫して纏う人々が増え始める。王都の空気は、確かに変わりつつあった。けれど、変化は必ずしも歓迎されるものではない。旧来の価値に縋る者たちの怒りと恐怖が、陰で渦巻き始めていた。
その夜、私たちが宿舎に戻ると扉が半ば壊されていた。中は荒らされ、針も布も粉々に裂かれている。
「……これは、警告ね」
私は冷たい声で呟いた。バーチェが舌打ちした。
「やれやれ、もう暗殺一歩手前ってとこだよ」
オルガは拳を握りしめる。
「守るよ。どんな手を使ってでも……!」
その真剣な声に胸が熱くなった。けれど私は強く首を振る。
「いいえ。守られるだけではなく、この世界で私は戦いぬくの。この革命は私自身のものだもの」




