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◆第78話 『目覚めた法廷――弁護士・伊月真白、最後の転生』


──微かな電子音。

呼吸器の鳴る音。遠くで誰かの足音。


機械に囲まれた静寂の中、目蓋がそっと持ち上がる。


そこは白くて眩しい病室だった。

心電図の音が規則正しく響き、窓の外では桜の花びらがひらりと舞っている。


「……ここは……?」


その声は、自分のものなのに、少しだけ遠かった。


だが、その感覚は確かだった。


“戻ってきた”のだ、と。

自分が、もともといた世界――現実世界に。



名前は、伊月いづき 真白ましろ


かつて敏腕の弁護士として名を馳せた女性。

そして、死に際に異世界へ転生し、“王妃セシリア”として生涯を生きた魂。


長い長い旅路の果てに、

彼女は再び、自分の人生の続きを歩きはじめようとしていた。


ベッド脇には、一冊の古びた本が置かれていた。

革張りの表紙に、タイトルはなく、どこか懐かしい金色の文様が浮かんでいる。


指先で表紙をなぞると、微かに温かさを感じた。


(……これを、最後に読んだ記憶がある。確か……)



記憶は遡る。

それは、すべてが始まる、ほんの些細な午後のことだった。


──その日、真白は少しだけ仕事を早く切り上げて、

ふらりと寄り道をしていた。


駅から離れた裏通り。

どこか懐かしさの残る坂道の途中に、ぽつんと看板もない古本屋があった。


(こんなところに、こんなお店……あったかしら?)


そのときは、ただの偶然だった。

でも――いや、今ならわかる。あれは“運命”だった。



木の扉を押すと、鈴の音がちりん、と鳴った。


昭和の空気がそのまま保存されたような、埃と紙の匂いが入り混じる店内。

本棚は高さも揃わず、床はきしみ、蛍光灯の光もやや不安定だった。


けれど、どこか懐かしい。


まるで、昔好きだった絵本の世界に迷い込んだような、優しい静けさがそこにはあった。


そして。


その中央のテーブルに、たった一冊だけ――


まるで“真白を待っていたかのように”置かれていた本があった。



装丁は深い藍色。

金の箔押しで紋章のような模様が刻まれている。


タイトルも、著者名も、なにも記されていない。


けれど、触れた瞬間にわかった。

**これは、“私のためにある本だ”**と。


気づけば、彼女はそれを手にしてレジに向かっていた。


だが、その古本屋に店主の姿はなかった。

代わりに、レジの上には一枚のメモ書きが置かれていた。


「お代はいりません。その本は、あなたの記憶を開く鍵です」



帰宅したあと。

彼女は着替えもせず、コートのまま、本を開いた。


その最初のページに、こう記されていた。


『真実を暴く者よ。望むのなら、世界を変える力を与えよう』


(――え?)


まるで、誰かに語りかけられているような錯覚。

けれど、そう思った瞬間には、もう遅かった。


視界がぐにゃりと歪み、呼吸が浅くなり、意識が遠のいていく――



目が覚めたのは、病室だった。


救急搬送されたのは、あの古本屋から帰宅した直後。

家で倒れた彼女を発見してくれたのは、かつて真白を育てた女性。


母・伊月 葉子ようこ


かつて小学校の教員をしていた穏やかな女性で、

真白が弁護士の道に進むきっかけとなった“最初の正義”を教えてくれた人だった。


「……真白……。目を覚ましてくれて、ありがとう……!」


涙を流しながら抱きしめてくれる母の腕のぬくもりに、

真白は言葉を失った。


異世界で、何百人の命を救っても、

“たった一人の母”のぬくもりには、かなわなかった。



(私は……帰ってきたのね)


この世界に。

かつてすべてを捨てて、そしてもう一度、受け入れた現実に。


けれど、もはや彼女は“過去の真白”ではない。

王妃セシリアとして生き抜いた記憶と、その意志をすべて継いだ――


新しい“伊月真白”として、生まれ直したのだ。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

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