◆第3話『失踪令嬢と、笑わない名探偵』
「……侯爵家の令嬢、失踪──ですって?」
翌朝、書斎で文書を読んでいたセシリアのもとに、兄であるアレクシスが駆け込んできた。
軍服をまとったその姿は整っていたが、明らかに動揺の色が見て取れる。
「急ぎの報せだ。領内の友好家門、ラズワルド伯爵家の長女が、今朝から姿を消した」
「ラズワルド家といえば、社交界でも名の通った家柄。婚約話も……たしか、王太子様と?」
「ああ。第三王子──レオン殿下の婚約者だ」
レオン殿下。
この王国において最も“王位継承”から遠い立場とされながらも、
若くして軍を統率する実力者であり、
一方で「婚約破棄をした男」として、宮廷の噂ではいつも話題の中心にいた人物だ。
その彼が、ようやく重い腰を上げて婚約に合意した相手。
つまり、この“失踪事件”が持つ意味は、単なる家出などでは終わらない。
「……身代金の要求は?」
「ない。脅迫も、手紙も、目撃証言もゼロ。昨日の夜、屋敷にいたまでは確認されているが……朝にはベッドも乱されておらず、侍女も異常には気づかなかった」
セシリアは、静かに瞳を伏せた。
違和感がある。
貴族の令嬢が“物音ひとつ立てず”に姿を消す。
それも、自室から。
「侵入者による誘拐……ではなさそうね。外からの痕跡がないのなら、犯人は“内部”」
「内部……?」
「ええ。侍女、使用人、もしくは──彼女自身」
兄が眉をひそめる。
「まさか、本人が自ら……?」
「それを調べるのが、わたしの仕事よ」
•
午後。
セシリアはラズワルド家の邸宅を訪れていた。
彼女の名は貴族社会でも広く知られており、
前夜の“毒紅茶事件”の解決も手伝って、“名探偵令嬢”としてのうわさはすでに一部でささやかれていた。
「どうぞ、セシリア様。こちらが、失踪されたリリィ=ラズワルド様のお部屋です」
通されたのは、南向きの華やかな部屋。
レースのカーテン、花柄の壁紙、整ったベッド。
違和感は……ない。逆に言えば、“何もなさすぎる”。
セシリアはゆっくりと部屋を歩く。
窓の鍵。日記帳の開き具合。机の上のインク壺。香水瓶の減り。
そして――ドレッサーの引き出し。
「……抜けてるわね」
そこにあるはずの装飾品や、日常使いの小物がいくつか消えていた。
「失踪じゃない。これは“自発的な逃走”よ」
彼女の推理は鋭い。
侍女が青ざめて言葉を継ぐ。
「で、ですが……リリィ様は、婚約を心待ちにされていたと……レオン殿下のことも……」
「“好き”だと言っていたのね?」
「は……はい」
「じゃあ、逆に考えて。“好きな相手に、自分が好かれていないと気づいたら”?」
「……!」
セシリアは静かに、日記帳をめくる。
そこにあったのは、淡い恋心とともに書かれた、“ある一文”。
『あの方の目には、いつも“過去”の人の影がある』
過去。
セシリアの胸に、ひとつの名前がよぎる。
──王都の“紅い瞳の令嬢”。
数年前に失踪し、いまだに“王子の本命”として語られる伝説のような存在。
「彼女は気づいていたのね。自分は、“代わり”だってことに」
部屋にそっと置かれていた、花の枯れかけたブーケ。
そこに添えられていたのは、手紙ではなく――
“旅立ちの花”と呼ばれる、紫のリンドウ。
•
「……つまり、逃げた理由は、婚約への絶望。
このままでは、結婚しても空っぽの未来が続くだけ。そう感じた彼女は、“別の人生”を選んだ」
夕刻。ラズワルド家の応接間で、セシリアはすべてを明かした。
「それも、誰にも迷惑をかけない形で。痕跡を消し、誰にも探されないように」
「まさか、令嬢がそこまで……」
「彼女は、愛していたのよ。本気で。だからこそ、身を引いたの。
そしてたぶん……彼女は今、王都を出て、“西の商都”へ向かっている」
「なぜそこだと?」
セシリアは、日記の最終ページを見せる。
そこには、こう書かれていた。
『あの街なら、誰も私を知らない。
誰のものでもない私になれる気がする』
•
真実は、常に残酷だ。
けれど、それでも彼女は暴かずにはいられない。
誰かの苦しみが、誰かの嘘の中でかき消されてしまうなら。
「ありがとう、セシリア……。君がいてくれて、よかった」
兄のアレクシスが、静かに言った。
けれどその言葉に、セシリアは微笑まなかった。
「まだよ。この事件は、“序章”にすぎないわ」
彼女の眼は、次なる真実をすでに見据えていた。
そしてその時。
王都の中心、王宮では――
「面白い。あの“探偵令嬢”に、興味が湧いてきた」
レオン=ヴァルグレア第三王子が、薄く微笑みながら、
侯爵家の調査報告書に目を落としていた。
それは、彼とセシリアの“運命の出会い”が近いことを、示していた。
(つづく)
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