◆第1話『おめでとうございます、浮気相手は妊娠してるそうですよ』
人生は、時に一冊の本のように唐突に終わり、
そしてまるで“読み違えたページ”から始まり直すことがある。
――伊月真白、25歳。
都内で名の知れた法律事務所に勤める弁護士。
性格は冷静沈着。表情にはあまり出ないが、誰よりも人の感情の機微に敏く、
その観察眼と論理力で、これまで幾度となく逆転無罪や和解の成立をもぎ取ってきた。
弁護士歴わずか4年で“裁判の魔術師”と呼ばれた彼女には、
6年越しの婚約者がいた。
名を、東條圭介。
医療ベンチャーの起業家であり、将来有望な若きCEO。
──の、はずだった。
•
「……真白、話がある」
そう言って持ちかけられた食事の席。
彼が注文したのはイタリアンだったが、目の前のカルボナーラは、途中から冷めきっていた。
互いにフォークを持つ手は止まり、時間だけが静かに流れていた。
「……浮気、してるんだろう?」
「……」
真白は一度だけまばたきをし、そして微笑んだ。
「おめでとうございます。浮気相手、妊娠してるそうですよ」
その一言に、圭介の顔から血の気が引く。
反論も、否定もできない。
なぜなら、彼がスマホでやり取りしていたメッセージの画面は――
真白のデスクに、昨日の段階でプリントアウトされていたからだ。
「……どうして知ってる……?」
「私が誰だと思ってるの?」
問い返す必要すらない。
プロの弁護士が、たかがSNSや通話履歴ひとつ嗅ぎつけられないわけがない。
むしろ今まで気づいていなかったとでも思っていたのか。
彼のその浅はかさに、真白はもはや哀れみすら感じなかった。
「逆ギレ、すれば?」
そう言った彼女の声は、氷のように冷たかった。
•
その日を境に、真白は全てを整理した。
彼との婚約も、家族間の紹介も、双方の事業的提携も。
彼女は一筆、一筆、冷静に清算していく。
泣く暇などなかった。むしろ泣く必要もなかった。
本当は、とっくに気づいていたのだ。
彼のまなざしが変わったのは、彼女が仕事に打ち込むようになったから。
成功していく彼女に焦り、自信を失い、
「自分を求めてくれる誰か」に逃げたというだけの話だった。
だが、それでも。
人の裏切りには、もう、うんざりだった。
•
そんなある日。
仕事帰りにふらりと立ち寄った、小さな古本屋。
――なぜ、あの時あそこに入ったのか、自分でもわからない。
店の扉を開けた瞬間、懐かしい紙の匂いが鼻腔をくすぐった。
そこは、木の床がきしむような、昭和の空気を纏った不思議な空間だった。
その中央のテーブルに、ぽつんと一冊だけ積まれていた本。
タイトルは、なかった。
だが真白は、その装丁に、どこか惹かれるものを感じて手を伸ばした。
そして、家に帰り、その本を開いた――その瞬間だった。
『真実を暴く者よ。望むのなら、世界を変える力を与えよう』
それはまるで、誰かが語りかけてくるような一文だった。
けれど、そう思った瞬間には、もう遅かった。
眩しい光。
耳鳴りのような風の音。
身体が宙を舞い、引き裂かれるような感覚が襲いかかる。
「な、に……これ……っ……!」
思考が遠のいていく。
けれど、その最後の瞬間、真白は確かに聞いた。
“彼女の新たな名前”を。
――セシリア=フォン=リーヴェルト。
•
目を覚ますと、そこは金と紫を基調とした天蓋付きのベッドの中だった。
肌に触れる布は絹よりも滑らかで、部屋に差す朝日は、どこか異国めいた輝きを放っている。
そして、鏡の中に映った自分は。
「……金髪……碧眼……?」
まごうことなき、美しき“異世界の令嬢”だった。
•
この世界は“ヴェルセリク王国”。
中世ヨーロッパ風の文化を持ち、貴族制度と魔法、そして陰謀が渦巻く世界。
セシリアは侯爵家の一人娘として生まれたが、
前世の記憶を宿す今、彼女はもう、ただの令嬢ではない。
――観察眼。
――論理力。
――証拠主義。
それらを武器に、彼女はこの世界で“探偵”として生きていくことになる。
その始まりは、意外にも早かった。
「セシリアお嬢様、大変です。書庫にあった紅茶缶から、何やら白い粉が……!」
毒。
たった一語で、その真実を見抜く。
彼女の頭に浮かぶのは、法廷の記憶。
人の嘘を見抜いた数多の裁判。
すべての“証拠”が、彼女の中で繋がっていく。
そして、彼女は呟く。
「やってあげましょう。――“真実”を暴く仕事を」
これは、かつて婚約破棄された女が、
異世界の腐敗と陰謀に切り込む、
もう一つの《真実の物語》。
すべての嘘を暴け。
すべての真実を裁け。
――たとえ、相手が“王”であっても。
(つづく)
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