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日本〔現代〕

「いいんじゃない、やってみれば?」

作者: 地湧金蓮

(注)

特定の美容医療や美容整形技術をおすすめする意図はありません。また否定したいわけでもありません。ご興味のある方は、十分に情報収集のうえ、慎重にご判断ください。ご自分の身体のことですので。

1,

 先生は、壁付けの大画面モニターに映ったカルテを見ながら、施術の内容を確認する。

「ええっと今回は。

左右の法令線と目じりに『セルリバイブジータ』ですね。よろしいですか」


 「よろしくお願いします」

と応え、手術台に寝そべると、モニター画面が切り替わり、俺の今の写真、それから大学生の時の写真が大写しになる。先生は手術個所を手書きで書き込んでる。赤や青の線で矢印やアルファベット(何かの略号)も書いてある。


 いくら大学生の時の写真でも、自分の顔のアップは見るに耐えない。

 でも、仕事のやりかたは人それぞれだから。俺は思いなおして、眼を閉じた。




2,

 今回のダウンタイム(傷を落ち着かせる休息時間)はほぼ一週間。その説明をするあいだも、妻は眉をひそめてる。

「そこまでしないといけないの?」と、目が言ってる。


 「お前はさ。年の割には、お肌の状態はわるくないよ。白髪だけでも染めてみれば? 若返ると思うよ」

変化球を投げてみる。


 「私は染めるの嫌なのよ。月に二度も美容院に行かなきゃならないし。それに、そもそも若く見せなきゃならない理由がないしね」

断固拒否の構えだ。


 「あのなあ。俺は毎日家帰ったら、白髪のお前を見ないといけないんだよ? ああ、自分も年を取ったんだなって思い知らされる。頼むから、なんとかしてくれよ」

というと、

「ムサいおばさんで悪かったわね。

私たちは同級生なんだから、おんなじだけ年は取ってますよ。

むしろあなたはなんで年を取るのがいやなの?」

ハイドロコロイドのパッチにかこまれた俺の目をのぞき込む。

口論して血圧があがったのか、患部がぴりぴり痛む。


 「怒ると、傷にさわる。今日は喧嘩はかんべんしてくれ」

というと、妻は持っていた布巾をぱたんとダイニングテーブルにおしつけ、さっさと自分の部屋にもどっていった。



 後ろのコンソールの上には、大学生のころ妻と二人で撮った写真が飾ってある。美容皮膚科のモニターに映っていたものの元写真だ。

 妻の髪型はこの時からずっと変わっていない。




3,

 ダウンタイムあけたらすぐに四社合同の全体会議があり、社長の俺も設営に忙殺された。


 「嫌だとおっしゃってるなら、無理強いはできないと思います。いくら夫婦の間でも」

秘書の赤井君は妻に同情的だ。


 壁一面の大型LEDディスプレイのまわりにひじ掛けつきの椅子を集める。会議用アバターロボット(今のわが社の主力商品)も人数分連れてこなくっちゃ。


 「あのさあ。いちおう俺は社長で君は部下なんだから。上司である俺の肩をもってくれてもいいんじゃない?」

話をもどすと、赤井君は、

「若い人の意見を聞きたいとのことだったので、率直に申しましたが。そんたくをしたほうがよかったでしょうか?」

とほほえむ。


 「じゃあ、若者からみれば、景子(妻の名前)のほうが正しい、ってこと?」

「もう私も、若くはありませんけど」

「そんなことはないだろ」


 やっぱり机もあったほうがいいかな? 机があると社員たちに、経営不振の責任を追及されそうな気がする。




 「ところで、社長はなぜ年を取るのをいやがってらっしゃるんですか?」

赤井君は首をかしげる。栗色のつやっつやの髪に、ゆるいウェーブがかかってる。


 「ロボット業界てのは、生き馬の目を抜く世界。新しいアイデアのある若者がどんどん市場に参入しては、脱落していく。

 そのなかで、俺ら年寄りが生き延びるには、柔軟性というか、若さを保っていく必要がある。内面的にも、外面的にも。そう思っているんだ」


 「いろいろお考えになってらっしゃるのですね」

赤井君はあごのしたに軽く指先をあてる。

「そりゃそうさ。涙ぐましい努力をしてきたんだから」


 冗談めかしたつもりだったが、赤井君は、

「でも、本当に若者にしかアイデアはなく、老兵は去るのみなのでしょうか」

と、俺の目をみつめる。


 「この業界はやっぱり、生まれた時からインターネットやスマホがある世代のほうが有利だと思うよ」

というと、赤井君は、

「社長がおっしゃるなら、そうなのかもしれません」

余った会議用アバターロボットを引き連れて、臨時の会議場を去っていった。


  


4,

 「古女房と付き合ってると、自分までセンスが古くなる気がすんだよ。頼むから美容医療もして、白髪も染めてくれ。

でなきゃ、離婚する」


 半分、おどしのつもりで言った。

 なのに、景子のやつ、

「私のようなムサい女では仕事の邪魔にしかならないのね。

 じゃあいいわ、離婚しましょう」

ぺーパーコードが張ってある椅子に、腕を組んでもたれかかる。

「そのかわり、慰謝料は応分にいただきますよ」


 正直、金のことまでは考えてなかった。

「ごめん。けっして慰謝料払いたくないわけじゃないんだよ?

でも、いま会社は経営が立ち行かなくなってる。株式ではどうかな」

「嫌ですよ。M&Aになって売るに売れなくなったら困るじゃない。ちゃんと、現金でください」

景子は会社立ち上げの時経理もしてたから、業界の内情にも詳しい。ごまかしはきかない。


 「ええーっ。そんなあ。厳しいなあ」

俺が金策に頭をめぐらしている前で、妻は、ダイニングテーブルのむこうで頭を下げた。

「長い間、ありがとうございました」




5,

 社内のカフェスペースにて、赤井君をつかまえて、グチる。

「離婚したかったわけではないんだけど、なんでかそうなってしまったんだよねえ。

景子のやつ、なんで美容医療や整形を嫌がるんだろう。今の人はもっと気軽に、ファッションとしてやってるよね?」

「まあ、そうですけど。失敗談もよく聞きますよ」


赤井君はカウンターに腰をかけ、スーツスカートのひざに、紙コップを持った手をおいている。


 「再婚はなさらないのですか?」

「そうだねえ。

でも、いまどき、婚活にはみんな苦労してるじゃない? 俺なんか無理じゃないかなあ」

「そんなことないです。社長なら、すぐに良いお相手がみつかりますよ」

間髪をいれずに慰めてくれる。優秀な秘書だ。


 「そういえば君はまだ独身だよね。俺なんかどう?」

ちょっと言ってみただけなのに、赤井君は頬を赤らめてうつむいた。

「少し、考えさせてください……」




数日後、赤井君からOKの返事をもらった。ご両親はいったい何を考えてるんだろう。止めればいいのに。




6、

 新婚旅行から帰ってくると、白石景子(元妻の名)さんから往復はがきの「返信」が、郵便受けにはいってた。

 新住所は○○県○○市松野橋町とある。


 「おっ、松野橋商店街か。懐かしいなあ。知り合いでもいたのかな」

ひとりごとを赤井君が聞きつける。

「松野橋町って、ご実家の近く?」

「いいや、俺らの大学のすぐ近くだ。大学は移転したから、今はさびれてるはずだけど」


 俺の手からはがきがするっと抜き取られる。

「住所表記からして一軒家みたいですね。再婚されたんですか?」

「いや、なにも聞いてない。姓も白石(旧姓)のままだし。まだじゃないかな」

「でも、あなただって再婚されてるじゃないですか」

彼女には珍しく、早口でかぶせてくる。


 「なんだ、そんなに気になる?」

赤井君は間髪をいれず、「ええ」と答えた。

「そっかー。じゃあ、再婚したら俺にも連絡くれるよう、頼んどくわ」

って言っとく。




 そんなこんなするうちに、会社が一つ、倒産した。

 『アーチン社』は、「ハリネズミ型ペットロボット」を製造販売する会社だった。飼い主にはなつくが、知らない人が来ると丸まる、ナンセンス製品だった。が、ハリネズミはヨーロッパでは「幸せ」の象徴だったらしく、ロングセラーとなった。

 しかし、後継商品のアイデアが、どうしてもでなかった。


 


 事後処理の後、本社に立ち寄ると、経理から茶封筒にはいった書類が回ってきてた。

 「白石景子様からご依頼『所得証明書』」とメモが添えてある。

 俺ではなく、会社に所得証明を頼むとは、水臭いやつ。


 家に帰って、先日もらった往復はがきの片割れを探す。

 丸っこい手書きの住所を見ると、ふっと松野橋商店街に行ってみたくなった。




7,

 東京から新幹線で約三時間。

 久しぶりに訪れた松野橋商店街は、アーケードこそきれいだが、店はほとんど閉まっている。絵に描いたような「シャッター街」だ。

 だが、奥に行けば行くほど、昔から営業してる店も残ってた。


 歩いていると、前頭葉がぎゅんぎゅんひっぱられる感覚がしてくる。その感覚がどんどん強くなって、痛みに近くなった時、元・妻のとおぼしき家にたどりついた。




 「ほほう」

全体が白に近いグレーで、平屋建てのせいか、軽やかにみえる。

築年数は七十年くらい? 目立つデザインではないが、どことなくしゃれた家だった。


 庭は一面、冬枯れの芝生が植わってる。

隅に六畳くらいの「離れ」がある。こちらは焦げ茶色。

フェンスは鋳鉄製のアール・ヌーボー風で、ところどころ灰白色のペンキがはげて錆が浮いている。


 鋳鉄のさびは早く塗りなおさないと、腐食が進んで危険なんだよなあと思いつつ、門柱のインターフォンのボタンを押した。

「こんにちはあ。アーチン社の者です。所得証明をお届けに参りましたあ」

 家の奥からばたばたばたっという音がして、扉が開いた。


 元・妻は、長かった髪をすっぱり切って、ショートボブになっていた。

俺を見て、「あなた。何しに来たの?」

と言う。

だから『所得証明』を持ってきたって言ってるじゃん。




 ダイニングの南側には二間続きの大きな窓があって、庭が見わたせる。


 コートの内ポケットから、会社の名入りの封筒を出して渡す。

 見覚えのあるテーブルの、これまた見覚えあるぺーパーコードの椅子を引きながら、

「商店街の奥にこんな素敵な家があったんだねえ。全然気づいてなかったな」

というと、景子は、

「わかる? 昔の家は作りが凝っているのよね。見つけたときは本当にぼろっぼろで、修理が大変だったの」

鼻から白い息を吹く。


 「見た? 玄関の扉の袖のところ。サイコロ型のガラスのブロックが積んであって、光が透るのよ」

っていうから、わざわざ玄関に取って返した。

 少しずつ色の違うガラスブロックが手仕事で積まれてて、とりどりの光が壁に反射する。

「おおおおーっ。いいねえ」

「でしょう?」


 このとき、いままで何をしてもでてこなかった仕事のアイデアが、ヴワアーっと頭の中に湧き出てきた。


 手近に紙はないか。見ると、テーブルの上にさっきの茶封筒が置きっぱなしになってる。速攻でそれをつかんで、今浮かんだアイデアをがりがりと書きだす。


 これならイケる。絶対、人に愛される。爆発的に売れる、ということはないけど、深く静かに売れ続けるはずだ。


 元・妻は何かがはじまった!という顔で、テーブルの向こうから俺をみてる。


 「ねえ、庭にある『離れ』だけど。あれって書斎?」

「え? ええ。先代のご主人が、書斎にしてらしたそうよ」

「じゃあ、俺に貸してもらえないかな?」


 「貸すって、あなた。東京からここに通うつもりなの?」

俺とは付き合い長いはずの景子も、めんくらってる。

「いや、わからんけど。とにかくここにいるとめちゃくちゃアイデアが出るんで、しばらく貸してもらいたいんだ。

 レンタル料は、『庭のフェンスのペンキの塗り替え』でどう?」


 ここで、景子は噴き出した。

「あなた、ペンキ塗りたいだけなんでしょう? 

でも、確かに気にはなっていたのよ」

「そうだろ? だから、俺にまかせなさいって。ちゃんとやるから」


 妻はくつくつ笑いながら、

「この人超おかしい。超笑える」

と言ってる。おい、聞こえてるぞ。




 夕食におでんをごちそうになりながら、さっき書いた新製品のアイデアについて、ぼつぼつと景子に話した。

 技術的には既存のものの組み合わせで、革新的なことはなにもない。だが、ジャンルが違う企業と連携しなければならず、メインテナンスをふくめた超長期的なプロジェクトで、課題は山積みだ。


 しかし、妻は、昔のように、

「いいんじゃない? やってみれば」

と言った。




8,

 今までの会社はすべて売り、その資金で新プロジェクトのための会社を立ち上げた。

残りの資金は、慰謝料として赤井君に進呈した。


 離れの机の上には、最近妻と一緒に撮った写真をおいた。

 『セルリバイブジータ』の効果は意外に高く、髪を染めるのをやめた今でも、俺のほうが妻より若く見える。妻にはよくそれで文句を言われる。




【終】


読んでいただきまして、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
さいかい。 そういうことだったんですね。 意外なラスト、人生の奥深さを味わわせていただきました。 美容。 今の世の中、昔に比べたらいろんなものがありますね。 何をやるにしろ大変そうです。
白髪だったり顔の皺だったり。 年を取れば取るほどに見た目の変化は顕著になるもので。 年をとることに抗う社長とそのままを受け入れる奥さま。 考え方は色々ですね。 赤井君がかわいそうな気もしますが、彼女に…
さいかい物語企画より読ませていただきました。 凄くモテるナイスミドルの主人公ですが、性格に難アリですかね〜。 若さって、大事だけど、年取るのも悪くないですよね。 自分から言いだしたけど、奥さんが認…
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