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「対象が生きているだと?」
マーフィーは信じられない言葉を聞いた。
犯罪組織の頭領が重々しく頷く。
「元気に学校に通っているそうだ」
「まさか、ありえない……」
「してやられたな」
「どういう事だ?」
「替え玉だったんだよ。プリマス伯爵は自分がたくさん恨みを買っているのを自覚していた。だから子息の替え玉を用意していて、お前はまんまとその策に嵌まったんだ。偽物を殺ったんだよ」
「偽物……」
「依頼人は大層お怒りだ。一度失敗したからには、相手も警備を厳重にしているだろう。厄介な事になったな」
「……くっ」
これまでマーフィーは一度も任務を失敗した事がなかった。
対象でもない無関係の人間を殺したとは……後味が悪い。
これまで多くの人間を殺してきたが、生き残る為だと自分に言い聞かせてきた。やらなければ、自分が組織に殺された。仕方なかった。どうしようもなかった。何度も何度も言い聞かせてきた。
苦い思いで奥歯を噛み締めていると、頭領が資料を見ながら何気なく呟いた。
「しかしよく替え玉を用意できたな。子息の髪色は珍しいのに……」
「え?」
「金髪に紺色が混じった珍しい髪色をしているんだ。同世代の子供を手当たり次第、探し回ったのか?」
「――ッ!」
マーフィーは頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
「金髪に紺色……?」
「そうだ。珍しいだろう?」
「そんな……」
蒼白になったマーフィーの唇が戦慄く。あまりの衝撃に視界がぐらりと大きく傾ぎ、呼吸すら覚束なくなり、胸元を強く掴みながら喘いだ。
「どうした?」
不審がる頭領を無視して、マーフィーはアジトを飛び出した。激しく動揺したまま駆けていく。
嘘だ……嘘だ!
あの依頼が入ったのはパーティーの直前。急だったが依頼料がよかったらしく、頭領から口伝で命令されたのだ。だから資料も読まなかったし、下調べもしなかった。
『パーティー会場で殺れ。可能なら残忍に殺せ』
そんな依頼だった。
依頼人も招待客として会場にいて、柱の陰に隠れながら対象を指し示した。
大柄な護衛と小柄な対象だった。護衛がぴたりと張りついていたので、対象はよく見えなかった。しかし護衛は目立ったので、護衛を見ながら動向を確認していたのだ。
何度もやってきた手口なので楽勝かと思われたが、何かを警戒したらしい対象がすぐに会場を出たのを遠目で確認した。そして焦った。
馬車置き場に先回りして、その屋敷の侍従のフリをして嘘の伝言を伝えた。
別の伯爵家の御者に馬車を回すように指示したので、プリマス伯爵家の馬車は出口を塞がれて出られなくなった。
そうして時間稼ぎに成功し、護衛を引き離す事にも成功して、任務に及んだ。
対象は木の陰にぽつんと佇んでいた。暗がりで髪色など分からなかった。背後から音もなく迫り、いきなり脇腹を刺したので顔も見なかった。
「まさか……まさかフラン?」
小さなあどけない笑顔が脳裏に浮かぶ。物思いのつく頃から一緒にいた大事な存在。大切で大切で、離ればなれになってもずっと心の中心にいた唯一無二の存在。
それを自分の手で……?
「嘘だ……っ!」
衝動的に駆けながら向かった先はプリマス伯爵家ではなく、あのパーティー会場だった貴族の屋敷。
混乱した頭の中に、あの時の光景が蘇る。繰り返し、繰り返し、再生された。今となっては悪夢になった記憶の再生。
固く閉ざされた門には門番もいなかった。夜の遅い時刻だったので誰もいない。
それでも普段なら人目を避けるのに、その時のマーフィーは完全に理性を失っていたので、そのまま塀をよじ登った。見回りにも、誰にも見咎められなかったのは偶然だ。
そしてあの木陰に辿り着き、地面に膝をついた。乾きかけている血溜まりが残されていた。
あの夜、間違いなく自分は貴族子息を斬った。手加減はしなかった。手応えもあった。
トドメを刺す直前で護衛が帰って来たので逃亡したが、あの後、どうなったのだろう?
馬車を回すよう手配していたから、すぐに屋敷へ連れ帰ったのだろうか? この場で治療せずに、騒ぎになるのを恐れて?
血溜まりに両手をついたマーフィーは必死に記憶を辿る。
対象はどんな顔をしていた?
髪の色はどうだった?
暗がりだったが、一瞬、その顔を見た筈なのに、全く思い出せない。
着ていた衣類がいかにも高そうな、貴族子息が着用するものだった事しか覚えていない。
こんなに大量に出血したなら只では済まない。死んだ可能性が高い。生き残ったとしても重体だ。
フランでない可能性もある。似たような髪色をした少年がいたかもしれない。そうであって欲しい。
しかしその望みは呆気なく断たれた。血溜まりの中に、手に当たる硬い感触があった。掬い上げてみれば、針金を編んで作った小さな指輪だった。
「あぁ……っ!!」
なんて事だ!
あれはフランだったんだ!
この世に二つしかない手作りの大事な指輪。ずっとこの持ち主を探してきた。まさかこんな風に手にする事になるとは……!
絶望がマーフィーを襲う。
この手でフランを殺した。
俺がこの手で……っ!
その場で蹲って、マーフィーは泣き崩れた。声を押し殺して、指輪を握り締めて、ただ号泣した。
屋敷の者に見つからなかったのは、お互いの為にも運がよかったとしか言い様がない。