080 絶望的な状況
「どうにかしてくれ、冴島」
縋るように俺を見る兵藤。
「そう言われてもこれは……困ったなぁ」
食中毒問題の時は聞き取り調査によって当たりを付けられた。
今回もその手でいきたいところだが、どうもそれは難しそうだ。
この地獄絵図のような環境下で最も元気なのが兵藤である。
しかし、その兵藤ですらふとした拍子に死んでもおかしくない。
(むしろ何人が生き残っているんだ?)
意識があって動ける者の数は20人程度。
言い換えると、明確に生きていると言える数がそれだけということ。
少し前まで約150人が元気にしていたとは思えない。
「頼む、冴島、助けてくれ」
「俺だって助けてやりたい気持ちはあるんだが……」
どうにかできたとしても、助かるのは動ける20人程度の者だけだろう。
その他は、たとえ奇跡の特効薬があったとしても救うことはできない。
もはや自力で水分を補給することも不可能な状況だからだ。
辛うじて心臓が動いていること以外、死者との違いがない。
「兵藤、すまないが手の施しようがないよ」
期待を持たせても仕方ないので素直に言う。
「おい、諦めるのかよ」
「悪いな」
「悪いな、じゃねぇだろ。助けてくれよ、なぁこの通りだ」
土下座する兵藤。
「そんなことされても一緒だ。俺は意地悪で言っているわけじゃないんだよ。ただ、俺は医者じゃないし、医学に長けているわけでもない。本当に手立てがないんだ」
俺は腰に装備している浄水ボトルを手に取った。
それで軽く喉を潤すと、ボトルを兵藤に向ける。
「兵藤も水を飲め。すごい汗だぞ」
今日も今日とて真夏日のような暑さなので、俺の発汗量も相当だ。
「すまんな……」
兵藤はボトルを受け取って水を飲み始めた。
だが、その飲みっぷりは小動物なみにチビチビしたものだ。
わざわざ手の平に水を溜めてから啜るようにして飲んでいる。
「どうして直接グビッといかない? 辛いのか?」
「一気に飲むと眩暈がして吐いちまうんだ」
「眩暈だと!?」
兵藤の何気ないセリフによってピンッと来た。
「なぁ兵藤、ここの食生活について詳しく教えてくれ。果物と水だけで過ごしていると言っていただろ? 具体的には何の果物を食べているんだ?」
「何って……バナナとかイチゴとかだ。あとはトマトとリンゴくらいか」
「バナナ、イチゴ、トマト、リンゴ……やっぱりそうだ」
「な、なんだ? 何か分かったのか?」
俺は「ああ」と頷いた。
「兵藤、お前は疫病になんかかかっていない」
「じゃあ、この状況はいったい……?」
「栄養失調だよ」
「馬鹿な。俺たちはちゃんと食べていたぞ。腹いっぱいに。なのに栄養失調なんてありえない」
「それがあり得るんだよ」
俺は大きく息を吐いた。
疫病ではないと確信できたことに対する安堵も含まれている。
「具体的には鉄分とナトリウの著しい不足だ。特にナトリウムが全く足りていないのだと思う」
「鉄分とナトリウム……」
「それによって鉄欠乏性貧血や低ナトリウム血症を引き起こしたわけだ」
「病名を言われても分からねぇよ」
「ならこう言えば分かるか?」
俺は人差し指を立てて症状を解説した。
「最初に貧血と頭痛の症状があらわれたはずだ。水を飲むと眩暈を起こすようになったのもその頃からだろう」
「そ、そうだ! それがまさに俺たちの症状だ!」
「さらに悪化した結果、痙攣や意識障害に陥り今に至っているわけだな」
兵藤は力なく頷き、「じゃあ……」と尋ねてきた。
「水を飲んで苦しくなるっていうのは何なんだ?」
「それは水中毒だ」
「水中毒!?」
「低ナトリウム血症の典型的な症状の一つだよ。日本人はナトリウムの摂取量が過剰気味だから滅多に起きないが、海外だと数リットルの水を一気飲みするだけでもこの症状を引き起こすことがある」
「そうなのか」
「今回はナトリウムの少ない果物主体の食生活に加え、真夏のような暑さが続いているせいで水分補給をし過ぎたのが裏目に出たのだろう」
「どうすれば死なずに済む……?」
「そりゃ鉄分とナトリウムを摂取して日陰で安静にすることだ。あと、今後は食生活を見直したほうがいい。果物の中にもそれらの成分を豊富に含んだものはあって、この付近だとイチジクやアセロラなんかがそうだ。あとレーズンもいいぞ。ブドウを天日干しにするだけで作れる」
「じゃあ今からそれらの果物を……」
立ち上がろうとする兵藤。
俺は「待て待て」と押さえる。
「イチジクやアセロラを調達する余力なんかないだろ。それに、この期に及んでそれらの果物を食べてももう遅い。もっと効果的な処置が必要だ」
「効果的?」
「塩水を飲んで肉を食うことだ」
「そんなものどうやって……」
「俺が持ってきてやる。時間はかかるが必ず戻ってくるから信じて待っていてくれ。いいな?」
「分かった」
俺はすぐさま第二拠点に向かった。
ルーベンスを帰らせたのは失敗だったが悔やんでも仕方ない。
全力の猛ダッシュによって可能な限り早く帰還した。
そして、アナグマの肉や塩水を持って再び兵藤の拠点へ。
ルーベンスは荷車を引けないためサイも同行させる。
賢いので御者がいなくても問題なくついてきた。
「持ってきたぞ、肉と水だ。肉は焼いておいたからそのまま食えるし、水も煮沸して塩を混ぜてある」
サイに積んでいる土器を全て下ろした。
「ありがとう、冴島。だが、皆で分けるには量が少ないような……」
「分けるのは自力で肉を食える者だけにするんだ。こんな時に酷な話をして申し訳ないが、他の連中は完全に手遅れだ。どうやっても助からん」
「そうか……」
「分かっていると思うが、お前にしたって乗り切れるか分からない。だが、俺がしてやれるのはこれが精一杯だ。あとは頑張ってくれという他ない」
「分かった。助かったよ、冴島」
「気にするな。困った時はノーサイドだろ?」
ルーベンスに乗る。
「お前には頭が上がらねぇよ」
「その気持ちをいつまでも忘れないでくれるとありがたい」
ここから先は兵藤たちの生命力次第だ。
彼らがこの難局を無事に乗りきるよう祈りつつ、俺は帰路に就いた。














