秀才に関する備忘録
これは私の母に聞いた話です。現実味のない、どこか創作のようなそんなお話です。
私のひいおじいさんは幼い頃に両親を亡くし、親戚中をたらい回しにされていたそうです。その上、幼い頃に囲炉裏に落とされた際に背中の半分を火傷した上、片目が見えなくなっていました。えぇ、私も思いましたとも本当にそんなことあるのだなぁと。その時点でかなり創作くさいのですが、ここからがすごいのです。
たらい回しにされ、学校にも行けず虐げられている中でも彼の勉強欲というものは枯れなかったのでしょう。彼は捨てられていた新聞をゴミの中から拝借し懐の中に入れ、トイレへ持ち込み勉強をしていたようです。
皆さんはご存知でしょうか?その昔、というと各方面からお叱りを受けそうですが、私からすると実物を見たことのないくらいの昔、まだ水洗トイレなんて便利なもののない時代にはボットン便所と呼ばれてる穴をトイレにしていました。そして、昔はそれに蓋をしていたそうなのです。そりゃ穴にあるのは排泄物です、開けっぱなしは不潔極まりないですよね、物理的に臭いものに蓋をしてたわけです。
彼は新聞を見ながらその蓋に爪で文字を書いて覚えたそうです。ちょっと汚いな表に書けば?と思いましたが、学校に行けないほど働いている身です。表に書きバレるといけないと考えたのでしょう、よく頭の回る子供です。
その後、彼はあれよあれよと文字を覚え、それでも彼の勉強欲は治らず英字新聞を仕事の関係で手に入れた近所の人がくれ、それで勉強をし始めたらしいのです。時代が違い環境が違えば彼がどのようになっていたのかと考えると、やはり環境というものは大切なのかと考えさせられます。
彼はその後、レストランでも丁稚奉公、いまで言う住み込みをしていたようで、海外の人の相手をしているうちに英語もできるようになったようです。わたしのひいおじいさんですから戦争経験者ですが、彼が今ここにいるとするならば私は容易に負けていただろうと謎の自信が湧いてきます。なにせ頭もよければ、料理もできるのです反則でしょう。
その頭のいい遺伝子は母に受け継がれましたが、その一代下の私たち兄弟にはうまく受け継がれませんでした。悲しい話です。
ですが、明らかに向かい風の中でも力強く前に進み続けたひいおじいさんの話は現状に腐っていた私を鼓舞するには十分なものでした。
以上、創作のような私のひいおじいさんのお話でした。