90 丸パン
「畑自体にも、癒しの効果があるのだろう。エル、おまえが望むなら、俺は人間と戦争をしたっていい」
戦争?!この畑の作物を巡って、戦争になるっていうこと?うん………そうだね。もし、もしも、わたしが畑の作物をルオーに売れば、ルオーが作物をアルトーの街で売って作物の効能を知った人がリングス商会に殺到すれば、リングス商会の誰かが口を滑らせて作物の出所を知られてしまうかもしれない。
そうなったら、人々は欲望には勝てない。死にかけの者を回復させたい、もしくは自分自身が回復したい、それとも単に金儲けの道具として考えるものになるよって、この地が荒らされてしまう。
死への恐怖は誰もが持つものだから、その恐怖から逃れるためなら何でもするという人間が一定数出てくるのはしかたないと思う。
問題なのは、その危険な欲望を持つ者が権力を持つ者である場合。一般の人間は、黒の森それ自体や黒の森を主であるクロムを恐れて深くは入り込まない。
だから、作物の力が知られても市場に出回る作物を奪い合うくらいで、クロムのいるこの地まで乗り込んで来ることはないと思う。
だけど権力者は違う。権力者は人を使う。兵士や冒険者など、権力とお金に弱い者を使ってこの地に乗り込んで来ると思う。そうなったら戦争だよね。
戦争は嫌だな。
わたしはひしっとクロムの脚にしがみついた。すかさずクロムに抱き上げられて、泣き顔を見られてしまった。
むぅ。
「くくっ。そんな顔をするな。結局は仮定の話だ」
「でも、せっかく実った作物をどうしたらいいの?」
わたしが涙を拭おうと手を上げたら、クロムに涙を舐め取られてしまった。
「うむ。塩辛いな」
「な!なな!………なにするの!!」
ぽかぽかクロムの胸を叩いて抗議したけれど、クロムは可笑しそうに笑うだけで、その余裕っぷりがまた癪に障る
「作物なら、この村の者に食べさせればよい。残った物はマジックバッグにしまっておき、必要なときに使えばいいのだ」
それからわたし達は、解体小屋に寄ってオークやら何やらを数体置いて家へ帰って来た。
昨日も、わたしが寝ている間にクロムはこうして解体する獲物を解体小屋に置いてくれたんだって。村人の大事な仕事だし、食料にもなるもんね。クロムがやってくれて良かったよ。
それからサムサとアリアが家に来てくれて、一緒に朝ご飯を用意した。完成させたオニオンスープに、ベーコンと目玉焼き、そしてふかふか丸パンの朝ご飯を!
仕込んだ酵母がうまく育ったから、強力粉、塩、砂糖、バター、水、酵母を練り込んでパン生地を作ったの。ふかふかの丸パンはうまく焼けて、自分でもちょっと感動した。
ジャムがあったらもっと良かったな。
そうか。今度はジャムを作ろう!まずは、ジャムを保存する瓶か壺を買わなきゃね。
「なんだこの柔らかさは!エル様、感動しました。ぜひ、このパンの作り方を教えてください!」
「え?」
大声にびっくりして見ると、そこには椅子に座ったまま可能な限り頭を下げたガンフィと騎士団長がいた。額がテーブルについている。
ガンフィがもう動けるようになったから、食事をするときは騎士団長と一緒に家に来てもらうことにしたの。
サムソとアリカには、いまは休んでもらってるよ。
って、今の声は騎士団長のものだったと思うけど、なんでガンフィまで頭を下げているのかな。
「エル様。このパンは革命です。今までのパンは石かと思うほど硬かったのに、これはふんわりと柔らかく、子供の力でも難なく手でちぎって食べることができるでしょう」
………あ。あのかったいパンを石みたいって思ってたのわたしだけじゃないんだ。
「どうか、作り方を教えてください。妻や子供達にも、この柔らかなパンを食べさせてやりたいのです」
「いいよ」
「「本当ですか?!」」
男ふたりが同時に叫び、手を取り合って喜んでいる。
………そこまでするほど、あの硬いパンが嫌だったんだね。それなら、自分達でもう少し工夫すればよかったのに。
酵母がないと膨らみづらいけど、ナンみたいに薄くして食べるとか、ピザにして食べるとか、美味しく食べる方法がないわけではないのに。パン=硬いっていう思い込みがあったのかな。
「丸パンはいま食べたばかりだから、作り方は夕方に教えるね。作ったパンは夜ご飯に食べようね」
「「ありがとうございます!!」」
「………うん」
アリアが食器を下げてくれる中、サムサがルオーからの手紙を持って来てくれた。そういえば、昨日の分も読んでないんだな。木札が山になってるよ。
まず、昨日の分から読んでいく。
最初は、昨日送ってくれた衣類などの品の目録を確認。次が野菜と果物の注文書があって、最後にルオー所属の情報ギルド、月影が手に入れた情報を読んでいく。
ハノーヴァー国が魔法陣へ送り込んだラーシュ・ダイダロス騎士団長、騎士オルガ・ディフェンサー、近衛騎士リヒト・ファフニールはいまだ帰還していないらしい。1名だけならともかく、3名もの腕の立つ騎士が戻れない以上、魔法陣を使って帰還することはできないと推測される。だって。