6 リングス商会
考えてみれば、わたしはこれまで自分の足で歩いたことがない。急にドキドキしてきた。ベッドから足を降ろし、ゆっくりと立ち上がった。
………うん、ふらつかない、大丈夫。そして1歩2歩と歩くも、バランスを崩すことなく歩けた。
このままドアまで行けそうな気がする、と思ったら、頭がぐらりとふらついた。すかさずクロムが腕を伸ばしてわたしを支えてくれた。むぅ。子供の体はバランスが悪い。
結局、歩けたけれど、わたしひとりで歩くのはまだ危ないということで、クロムと手を繋いで歩くことになった。
玄関のドアを開けると、そこには犬耳を生やした獣人がふたりいた。大人のように見えるけれど、小柄で、クロムの腰までしか身長がない。
「あ、クロム様!お呼びということで、リングス商会参上しました!」
「………しました!」
ふたりの獣人は揃ってペコリとおじぎをした。もふもふで可愛い。
「それで、なにがご入用ですか?」
「そうだな。食料、調理道具、布、糸、針、布団………そうだな、種も必要だな。それから………いや、面倒だ。持って来た物、全部置いていけ」
「ええっ!?ちょ、ちょっとお待ちください。商品をすべて買い取っていただけるのはありがたいのですが、そうすると、村人に売る商品がなくなってしまいます」
「ふむ。それなら、村人が必要な物はあとで村人に分け与える。それでいいだろう」
「まあ、それでいいです。ですが、お支払いはいかがされますか?クロム様は、お金をお持ちですか?」
「ないな。代わりに、これでどうだ」
そう言うと、クロムは空中から黒い鱗を取り出した。大きくて、艷やかなクロムの鱗だ。盾くらいの大きさがある。
その鱗を見た犬獣人達の目が輝いた。尻尾を激しくふりふりしている。
「剥がれ落ちた鱗だが、状態はいいはずだ」
「最高です!返せとおっしゃられても、返しませんよ!?」
「でも困ったな。商品すべてお渡ししても、この鱗の価格には遠く及びませんよ」
「ならば、今度来るときに鱗に見合う品を持ってくればよい」
「「わかりました」」
「あっ、申し遅れました。僕はリングス商会のトリーです」
白黒模様の犬獣人が言った。
「同じくリングス商会のケシーです。早速ですが、お買い上げいただきた商品はどこに降ろせばよろしいですか?」
そう言ったのは、茶色の犬獣人だ。
「村人が集まれるよう、村の広場がいいだろう。まずは、エルに欲しい物を選ばせる。残った物を村中でわければいいだろう」
「エル様?ですか?えっ、えっ、ヒト族がどうしてここにぃ!?」
「この黒の森に、どうやってヒト族が入り込んだんだ!?」
それまで、トリーとケシーはクロムの顔ばかり見上げていた。だから、足元にいたわたしに気づかなかったみたい。
ふたりは目を大きく見開き、混乱している表情を浮かべている。
「エルは俺の娘だ。丁重に扱え」
「はっ!?」
「はいっ!?」
驚くトリーとケシー。口をポカンと開け、視線をクロムとわたしの間で何度も往復させている。ちょっとおもしろい。
「まずは広場へ行くぞ」
そう言って、クロムはわたしの手を引いて歩き出した。
「わわっ。お待ち下さい。ご案内いたします!」
トリーとケシーは慌てて走り出し、わたし達の前に回って歩き出した。わたしの歩くペースに合わせているので、ゆっくりだ。
村の中を歩いていると、明日とは違って多くの村人を見かける。でも、みんなわたし達を直接見ようとはしないで、視線を合わせないようにチラチラと盗み見てくる感じだ。あまり気分はよくない。
広場の真ん中に、小ぶりな荷馬車があった。荷馬車に繋がれているのは、ロバに見える。ロバはクロムに気づいてちらりと視線を寄越したけれど、そのあとは広場に生えている草を無心で食べ続けた。
動物の本能で、クロムが強いと気づいたはずだけど。クロムが恐くないのかな?だとしたら、このロバすごい!
わたしはクロムの手を離してロバの正面へ行くと、ペコリとおじぎした。挨拶は大事だよね。
するとロバは、わたしに目線を合わせて頭を下げた。
うわー、うわー、この子賢い!それに優しい。
「触っていいの?」
恐る恐る聞くと、ロバが「どうぞ」と言った気がした。
ロバの頭に触れると、柔らかな毛がびっしりと生えていて、特に耳の毛が気持ちよかった。
「これは珍しい。クーは人見知りで、なかなか触らせないのに。エル様には、すっかり懐いているようですね」
「クー?」
「このロバの名前です」
「そうなんだ。クー、ここまで来てくれてありがとう。あなたに会えて嬉しいよ」
そう言うと、クロムが慌てた様子でわたしを抱き上げた。
「エル、俺にはそんなこと一言も言ってくれないではないか。なぜロバごときに言うのだ」
あ、嫉妬してる?ふふっ、クロムは可愛いなぁ。
わたしは腕を伸ばし、クロムの首に抱きついた。
「クロム大好き。わたしを気にかけてくれてありがとう」
「ふっ。当然だ。エルは俺の娘だからな」