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卵に入っていた水は、大した量ではなかったはず。それが、勢いよく溢れ出て、洞窟の中を満たしていく。不思議だ。
アムナートがわたしを抱えて高い場所に移動すると、洞窟内の様子がよく見えた。
この空間は大広間になっていて、天井は高く、地面はすり鉢状に深くなっている。さっきまでわたし達がいたのは、そのすり鉢の底だ。いまは水が満たされて、地底湖のようになっている。底にヒカリゴケがあるせいか、ぼんやり光っていて幻想的だ。
『………きれい………』
思わず念話で呟いていた。
「くくっ。卵から出たのだ。普通にしゃべっていいのだぞ?」
そう言われても、ずっとしゃべってなかったからちゃんと声が出るか不安だ。それに、おばあさんのようなしわがれた声だったらどうしよう?不安になる。
「さて。寝床が水に埋もれてしまった。今日は村に泊まるか」
え?村?ドラゴンなのに、アムナートは村に出入りしてるの?………あ、そっか。人の姿だったら出入りできるか。
アムナートはわたしを抱いたまま、軽やかにジャンプして大広間の出口に向かった。うん。ここまでは水は来ていない。通路は水に浸かっていないね。
大広間から洞窟の出口までは遠かった。この洞窟、どれだけの広さがあるんだろう?迷路のような入り組んだ造りになっていて、ネズミのような小さな魔物から、大トカゲのような大きな魔物まで様々な魔物が住んでいる。洞窟の中は陽の光が差さず、真っ暗なところもある。それでも薬草が生えていたり、鉱石が顔を出していたり、資源が豊富だ。魔物達はアムナートが気配を消しているので見ることができたけれど、アムナートと目が合うとそれぞれが全速力で逃げて行った。アムナートを恐れているんだね。
わたしは、アムナートの魔素溜まりから生まれたせいか、彼は怖くない。そばにいても恐怖を感じないし、なにより安心感がある。
アムナートの胸元に顔を擦り付けると、硬い筋肉にあたった。つい匂いを嗅ぐと、なぜかお日様のような匂いがした。
「………おまえは猫か」
そう言って、アムナートはわたしの頭を撫でてくれた。
違うけど、こんなに気持ちいいなら猫になってもいいかもしれない。
ようやく洞窟から出ると、空は夕暮れだった。洞窟の入口は崖の上にあり、そこからは空がよく見えた。茜色に染まった、雲ひとつない空が美しい。
あたり一面木々が生い茂っていて、緑の大地がどこまでも広がっている。洞窟は森の中にあったみたい。
「村はあそこだ」
アムナートが指差す先を見ると、少し開けた場所から煙が上がっていた。
「………なんていう村なの………?」
「お、しゃべったな。村の名前など知らん。村は村だ」
アムナートは機嫌よさそうに笑った。
「あそこは獣人の村だ。黒の森には他にも村はあるが、あそこが1番近い」
そっか。他にも村はあるんだ。ヒト族もいるのかな?森の端まで行けば、ヒト族もいるかもしれないね。
アムナートに「村まで走るか?」と聞かれたけど、森の景色を眺めたかったから断った。
アムナートは崖から飛び降りストンッと着地すると、長い脚でスタスタと歩き出した。ゆっくり歩いているようで、結構早い。
ふと、気になっていたことを言うことにした。
「あのっ」
「なんだ?」
「名前をつけてくれてありがとう」
「良い名だろう?」
「うん。ただ………」
「なんだ」
「わたしにはもったいなくて」
「なにがもったいない。候補にはスヴェトラーナやグエンティーノもあったのだぞ。そちらが良かったか?」
え。それは嫌だ。
「ただ、エルスヴァーンじゃ仰々しくて………その………普段はエルって呼んで」
「いいぞ。愛称だな」
はぁー、良かった。
「では、俺にも愛称をつけてくれ」
「え?なんで?」
「好きに呼んでいいぞ」
そう言われても。アムナートの愛称なんて困っちゃう。アムナートだからアムとか?でもそれだと、女性の名前みたいになるよね。アートは芸術だし………う〜ん………黒いドラゴンだからブラック?いやいや、そんな安直な名前は嫌だよね。難しいな。
黒かぁ………ひと文字たして、クロムっていうのはどうかな?
「ねえ、クロムはどうかな?」
「クロムか。いいな。それでいこう!」
そんな簡単に決めちゃっていいのかな?気に入ったようだから、いいのかな。
崖から30分ほど進むと、粗末な柵で囲まれた村が見えてきた。建物は木の壁と屋根でできた掘っ立て小屋のような物で、人々は食事の準備のため家にこもっているのかほとんど見かけない。見張りに立っていた男がいち早くわたし達に気づき、慌てて駆け寄ってきた。
警戒してというより、出迎えるためと言ったほうが正確な気がする。
ということは、この見張りの男はクロムを知っているということになる。
「アムナート様!今回はどのような御用でございますか?」
「ふふっ。今から俺を呼ぶ時は、クロムと呼ぶがいい。新しい名だ」
「え?あ、はい!承知しました」
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