2 1日目
「エルスヴァーンよ。そろそろ念話を覚えてもいい頃ではないか?」
わたしの正面でアムナートがあぐらをかき、片肘をついてうらめしそうな表情をしている。
今日のアムナートは人化の術で人型に変身している。魔物も高位の存在になると、人化の術が使えるらしい。
人型のアムナートは男前だ。顔は端正で、艷やかな黒い瞳と赤い唇は色気がある。サラサラな黒髪は胸まであり、身に着けている黒い衣服は一目で質の良い物だとわかる。織り目が細かく、しなやかだからだ。黒いシャツにロングコート、ズボンにブーツという出で立ちをしている。そして、服の上からでもその体が鍛え上げられたものだとわかる。
「聞いているか?エルスヴァーンよ」
エルスヴァーンというのは、彼がわたしにつけた名前。ありがたいけれど、そんな仰々しい名前は望んでいない。
「そうか。やり方がわからないのだな。しかたない。説明してやる。念話は、思念を相手に届ける術だ。まず、己の体内の魔素を感じろ。それができたら、次は体外の魔素を感じるのだ。それから………」
アムナートは優しい。わたしに色々なことを教えてくれる。アムナート自身のこと、この洞窟のこと(やっぱり、ここは洞窟だった)、魔法について、それから世界の様々なこと。
どうしてアムナートがわたしに親切にしてくれるかというと、わたしに話し相手になってほしいかららしい。
わたしはアムナートが与えてくれるもので生かされている。飢えのないのは餌を与えてくれるからだし、退屈しないのは色々な話をしてくれるからだ。
たぶん、彼がいなかったらわたしはとっくに死んでいたと思う。
だから感謝している。
感謝しているから、少しは彼を喜ばせないとだめだよね?
わたしは右手を伸ばし、卵の殻をコンコンと叩いてアムナートの注意を引いた。
「………なんだ?」
これまでアムナートの注意を引いたことなんてなかった。だからか、彼は不思議そうな、嬉しそうな表情で身を乗り出した。
『………アム……ナート………』
「!!」
アムナートが驚愕の表情で固まり、そして次の瞬間、破顔した。子供みたいな顔で嬉しそうに笑い、それを見たわたしの心が揺れる。
自分の胸に手を当てて考える。
アムナートが嬉しそうだと、どうして心が揺れるんだろう?
心臓がドクドクいっている。………いつもより鼓動が早い?
「ははっ。やればできるではないか。そうだ!俺はアムナートだ。黒の森の主、漆黒の王アムナートだ!」
その物騒な二つ名はなに!?
「よしっ。念話を覚えた褒美に、今日は料理を食わしてやろう」
上機嫌でアムナートはそう言うと、わたしを置いて洞窟の奥へと消えて行った。
そして少しして、アムナートの気配が洞窟から消えた。
アムナートの気配が消えると、洞窟内の魔物の動きが活性化した。だというのに、わたしの視界に入るまで近づいて来ない。残念だ。生きている魔物を見てみたかったのに。
わたしは嫌われてるのかな?
「………ヴァーン………エルスヴァーン………!」
待ちくたびれウトウトしていると、わたしを呼ぶ声が聞こえて目を開けた。
卵の殻の向こうに、鍋を両手で持ったアムナートがいた。
「起きたか。スープを持ってきた。冷める前に食え」
アムナートが、卵の前に鍋をどんっと置きながら言った。
わけがわからない。スープをどこで手に入れたの?もしかして、アムナートが作った?それに、どうやって食べろと言うの?卵から出て食べるわけにもいかないし、わざわざ用意してくれたアムナートの気持ちを無下にするのも気が引ける。
困った。わたしはどうしたらいいの?
卵の殻に張り付いて鍋を覗き込むと、野菜と少しの肉が浮いていた。料理されて間もないようで、温かな湯気をたてている。
この口で、味合うことができればいいのに。卵から出られないわたしにはそれはできない。それはなんだか………腹立たしい。
………?腹立たしい?
あれ。こんな感情、わたしにもあったんだ。
その時。喜び、怒り、悲しい、楽しい、そんな感情が、じわりじわりと胸の奥に染み渡ってきた。
そっか。わたしに足りないものは、感情だったんだ。
いつの間にかうつむいていた顔を上げると、期待するような眼差しを向けて来るアムナートがいた。
いまなら、あそこへ行ける気がする。わたしに興味を持って、気にかけてくれる人の所へ。
……コポ………コポコポ……
ここを出たい。アムナートに触れたい。強い生命力を持つあの人に触れたい!
そう強く願った時、卵の殻が水となって溶けた!すると中の水が溢れ出て、正面に置かれていた鍋にかかってしまった。残念な気持ちが押し寄せたけど、いまはどうすることもできない。流れる水と共に、体が外に流されていく。
「エルスヴァーン!」
アムナートが素早くわたしを抱き留めてくれて、なぜかザアザアと流れる水からすくい上げてくれた。
1週間後に投稿します。