メドゥーサ
おれは、叔父さんの王国で、野山を駆け回ったり、剣術の稽古をしたりと、のんびり暮らしていたのだが、ある日、宮殿に呼び出され、いつまでも怠惰な生活をしていてはいけない、冒険の旅に出ろ、手始めにメドューサを退治してこい、と命ぜられ、国を後にすることになってしまった
メドゥーサとは、もとは類い稀な美少女であったのに、女神アテナと美しさを争ったために、醜悪な顔に変えられてしまった娘で、目は宝石、頭髪は毒蛇、青銅の腕と猪の牙を持ち、あまりの醜さ故に見た者が石になってしまうという怪物である
手始めにやっつけに行っていいような相手ではないと思うのだが、王たる者に命ぜられた以上は仕方ない、長剣と多少の旅費を持って旅に出た
ところが、退治しようにも、メドゥーサの居場所がわからない
自らの醜さを恥じて何処かに隠れているのなら、わざわざ見つけ出して退治しなくてもいいような気もするが、それがクエストとあればしようがない、おれは諸国を彷徨い歩き、ついに最果ての港街で、南の島に住む醜悪で人でもなんでも石に変えてしまうという魔女の話を聞きつけた
毎月、その島へ貢ぎ物を持っていかないと、海の幸が石に変わってしまい、漁ができなくなるのだという
メドューサに違いない
漁師に、その島へ連れてってくれと頼むと、とんでもないと言うし、じゃあ、船を貸してくれ、と言っても断られる
おれに協力して魔女が怒るのが怖いのかときくと、多くの者が行ったけれど、貢物を忘れぬ限り、悪い事は起こらなかった、退治してもらえれば俺たちも助かる、ただね、行って、帰って来た者がいないから、船は貸せないんだ、分かるだろう、と答え、その者達はどうなったのかと聞くと、波打ち際で石像になってなっているのが何人かいるらしいが、他はわからないと言った
結局、舟を買うことになったが、代わりに島の近くまで案内してもらうことで話がついた
島の手前に貢物をおく岩礁があって、そこまで連れて行くから、あとは一人で行ってくれ、なに、岩礁まで行けば島は見える、と漁師が言うのである
オールを漕いで、その岩礁まで行くと、確かに向こうに島が見える。漁師達に手を振って別れ、潮に流されまいと懸命に漕いでついに島に至った
舟を浜にあげ、周りを見回すと、漁師の言っていた石像が六体ほどと、石の欠片が無数に散らばっている
浜の向こうに森があり、森のなかに赤色の岩山がある
その岩山に洞窟の入り口があって、入って行くと日の差さない洞窟の奥だと云うのに何故か明るく、男達の石像が幾つも並んでいるのが見えた
メドゥーサは生身の身体しか石化しないみたいで、服や武器などはそのまま残っている
おれは、真っ黒な眼鏡をかけ、さらに奥へと進んでいった。殆ど何も見えなくて、わかるのは人の輪郭くらいであるから、これなら、メドゥーサの醜さが見えないから大丈夫だろうと用意したのである
奥へと進んでいくと、さらに明るく、広い部屋に出た
部屋の中央に、人が向こう向きに座っていて、その前に大きな鏡があった
これがメドゥーサであろうか、あまり怪物には見えないなと思ったが、まあ、もとは人間であったのだから、こんなものかも知れぬとおれは思った
その怪物がおれに話しかけたから、おれは驚いた
「眼鏡を外して、わたしを見て。鏡に映った私を見ても石にならないし、どうせそんな眼鏡は役に立たないから」
その言葉を信じていいか、わからなかったので、躊躇していると
「とんだ勇者ね」
とメドゥーサが笑った
「もし鏡に映った自分を見て石になってしまうのなら、わたしはお化粧もできない」
多少の疑問は残ったが、理屈ではある、臆していては男の沽券に関わると、おれが眼鏡を外すと、鏡のなかに驚くほどに美しい乙女が見えた
猪の牙はなかったが、瞳がルビーで、紅く妖しく光っていた
毒蛇には見えない漆黒の髪が腰まで垂れている
「お前がメドゥーサなのか? 云われているのと随分違う」
おれが驚いてそう言うと、女は悔しそうに吐き捨てた
「そう。わたしが女神より美しかったから、誰もわたしを見ることができないように、見た者を石に変える眼を与えて、その上、自分からは出ていけないと云う呪いをかけて、此処に閉じ込めたの」
「あまりの醜さに、見た者が石に変わると聞いたが、えらい違いだなあ」
「女神はそうしたかったようだけど、海の神が守ってくれたわ。昔の恋人があまりに不細工では恥ずかしいと思ったようね」
「しかし、ここに閉じ込められているのなら、なぜ退治されねばいかんのだ? 」
おれが前から不思議思っていた処だ
「女神の信者の所為なんだわ。わたしが女神より美しいからって、いまだに恨んでいるのね、殺さなきゃおかないって
女神も馬鹿なら、信者もバカだわ
人間の美しさなんて、永遠に若い女神から見たら一瞬のことなのに
小娘の戯言に一々目くじら立てなくてもねえ」
もっともな言い分のような気もするが、自分が女神より美しいとか、バカだとか、そんなことばかり言っているから、天罰を受けたりするわけだな、とおれは納得した
どちらにせよ、この美しい怪物が世に害を与えないなら、退治する謂れもない、自分が石にされる危険をおかす必要もない
「そういうことなら、おれは帰らせてもらうよ。お前と争う理由はなさそうだ」
おれがそう言うと、メドゥーサは静かに首を振った
「ところがそうはいかないのね。他にも呪いがあって、この島に来た者は、一人なら一人で返してはならず、大勢なら、一人も返してはならない、て決まりがある」
「その決まりを破ると、どんな罰があるんだ?」
おれが聞くと、メドゥーサは首を振った
「知らない。知らないけど、罰はこれ以上御免だから、決まりは守るの。悪いけど、あなたには石像になってもらうわ」
うーん、おれは考えた、戦わずに済む方法はないのか?
暫く考えて、思いついた
「お前は自分では出ていけない。おれは一人では返してもらえない。なら、簡単なことだ。おれがお前をここから連れ出せばいいんだ。お前は自分で出て行くわけではなく、おれは一人で帰るわけでもない。これならお互い無事ってもんだ」
そうは言ったものの、世に害をなす怪物を退治に来て、その怪物を囚われの牢から出して世に放ってしまうと云うのはいかがなものか、まあ、他に解決策がないなら仕方ない、石像の街が一つか二つか出来たら、それから退治に行けばいいだけの話だ、とおれは自分を説得したのだ
一方、メドゥーサは小首を傾げて暫く考える様子で、それから、怪物に似合わない心細げな声で言った
「ここを出たら、暫くわたしの面倒を見てくれますか?」
意外な言葉におれは驚いたが、話を聞くと尤もなところもある
「わたしがその気になれば、財宝でもなんでも思うがままだけど、また神や人の恨みを買うだろうし、わたしが世に出たと聞けば、わたしを殺して名をあげたい冒険者達が大勢やって来るでしょう。人を石に変えるのにも飽きたから、暫くは普通に暮らしてみたい。あなたの旅にわたしを連れていってください」
「構わないが・・・しかし、一緒にいたらおれが石像になってしまわないか?」
「それは大丈夫」
と、メドゥーサは黒いベールを取り出して頭から被ると、俺の方を振り向いた
驚いておれは一瞬固まったが、石にはならなかった
真っ黒いベールの向こうに微かに顔の輪郭か見える
しかし、彼女の紅い目は見えなかった
「月の女神がくれたベールで、これをしていれば私の力が無効になります」
それで、どの程度安全かわからないが、おれは覚悟を決めた
メドゥーサとの道行きは稀有な経験になるだろう。
「旅は道連れ世は情けとか言うからな。一緒に行ってみるか」
おれが言うと
「ちょっと待ってね」
とメドゥーサは洞窟の奥に消え、暫くして荷物を持って現れた
「女の旅には多少の荷物がいるの。それから、私のことはイサゴとよんでください。メドゥーサの名前は忘れていたいから」
「わかった」
そう答えて、おれはイサゴ(メドゥーサ)の手を引いて船に乗り、島を後にしたのだった