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寂滅のニルバーナ ~神に定められた『戦いの輪廻』からの解放~  作者: Shirasu
第8章 マグリブの地 ドワーフ王朝の落日哀歌
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第八章82 鬼神国の末妹王女 シークリー・ジャイサール 3

 

 戦場に足を踏み入れた瞬間、私は言いようのない絶望に包まれた。


 ポートブレア領での最終決戦はすでに終局に差しかかり、報告によれば、ドワーフ族の王――バーデン様は戦死。我が軍でも、パルメールが副官として従事していたダードラー将軍が討ち取られたという。


 (信じられない……)

 (あの“比類なき者”とまで讃えられたダードラー将軍が、倒されるなんて……)


 ドワーフ族は領土を奪われ、王までも喪った。

 これで鬼神族への怒りが鎮まることなど、決してないでしょう。

 そして今、戦場は乱戦と化し、鬼神軍もはや統制を失っていた。


 この混乱の中で、女である私の声が届くはずもない――。




 現在、戦況は――我ら鬼神軍の優勢と見て取れます。

 けれども、私は恐怖を拭いきれずにいるのです。


 ポートブレアの城壁にずらりと並んだ、あの異形の竜騎士たち。

 彼らから放たれる、禍々しいまでの威圧感……

 あれを前にしてなお、これ以上の侵攻を続ければ、まさに虎の尾を踏むことになるでしょう。

 戦局は、一瞬で逆転しかねません。


 それなのに――なぜ誰も、それに気づこうとしないのか。


 勝利の余韻に酔いしれ、皆、冷静な判断を失っている。

 その酔いが覚める頃には、すべてが手遅れになっているかもしれないというのに……。


「シ、シークリー様……。あ、あのような恐ろしい部隊、私が戦場にいた頃には、一度たりとも目にしたことがございません……」


 パルメールの声音には、抑えきれぬ戦慄がにじんでいた。

 蒼白なその顔は、おそらく私自身のものと同じだったに違いない。


 ……あの竜騎士たち――おそらくは、ポートブレア領を守る人族の選りすぐりの部隊なのでしょう。

 かつては弱小と侮られていた人族が、いまや強種族の一角を成すという風聞。

 私も、それを噂の類と聞き流してまいりましたが……

 今、あの者たちを目の当たりにしてなお、それを否定することなど、到底できそうにありません。


 幸いにも――あるいは、これは不幸中の幸いと言うべきか……

 現状の乱戦によって、あの部隊は動きを封じられているように見受けられます。

 けれど、もし彼らが多少の犠牲をも厭わず動き出すことがあれば――

 我が鬼神軍の優位など、瞬く間に瓦解することでしょう。


 (どうにかして、皆の冷静さを取り戻さねばなりません……)

 (この戦、決して勝ちが約束されたものではありません……)


 しかし――私とパルメールが、皆の暴走を止める術について思案を巡らせていた、そのときです。


 突然、耳元に、はっきりと男の声が響き渡りました。


「鬼神軍に告ぐ。貴軍は、すでに人族とドワーフ族が共同統治するポートブレア領の国境を越え、侵攻している。 この領土侵犯を、我ら人族軍は黙過することはできない。 即刻、停戦し、速やかに領域外へ撤退されよ――!」


「な、なに……っ!? シ、シークリー様、これは一体……!?」


 あまりに突然の出来事に、パルメールも私も言葉を失いました。

 こ、これは……幻聴ではない、確かに届いた“声”。

 人族軍からの、正式な宣告……? いいえ、それだけではありません。

 今の声――あれは……まさか……人族の英雄、ソーテルヌ卿……?


 耳元に、直接届いた男の声。

 まるですぐ傍らで語りかけられているかのような鮮明さ――

 人族の英雄ソーテルヌ卿は精霊魔法の術者と聞きます………

 するとこれも……精霊魔法による伝声であるとすぐに察せられましたが……それにしても、これはおかしい。

 精霊魔法の伝声とは、本来、風精霊を媒介として“空間”に声を響かせる術。

 それを用いて、このように一人ひとりの耳元に、寸分の狂いもなく直接届かせるなど、常識ではあり得ないこと。


 声の主は、明らかに尋常ならぬ術者――

 魔法構築の密度と、そこから伝わる“存在値”が常軌を逸していました。

 私は直感するしかありませんでした。

 この声を無視すれば、何が起こるかなど、考えるまでもない。


 ――理を超えた、無慈悲な惨劇が訪れる。


「……パルメール。もう、猶予はございません。

 申し訳ありませんが、これよりすぐに、ハワーマハル兄上のもとへ向かいます」


 一度、本国へ送還されたパルメールにとって、ハワーマハル兄上と顔を合わせることは容易なことではないでしょう。

 しかし、早急にこの戦局を打開するには、直接兄を説得する以外に道はありません。


 私とパルメールが鬼神軍本陣へ向かう間にも、先ほどと同様の警告が二度目として発せられました。

 それでもなお、鬼神軍は歩みを止めようとはしません。


 (警告は、通常三度から四度までと心得るべきでしょう)

 (これを無視すれば――あの竜騎士部隊の攻撃が開始されるやもしれません)


 私は決意を胸に、鬼神軍本陣にいるハワーマハル兄上の元へ駆け込んだのです。





「お兄様―――! ハワーマハルお兄様―――――!!」


 突然、本陣に姿を現した私を見て、騎士たちも、お兄様ご自身も驚きを隠せませんでした。


「シークリー、お前が何故ここにいるのだ? それに、なぜパルメールを伴っている!?」


「お兄様、私はお父上……いや、ジャイサール一陛下の名代として参りました」


「な、何……!? 父上の名代だと?」


「はい。陛下は私に戦地に赴き、己の目で戦況を見極め、私の判断で決断を下すよう命じられました。

 私の言葉は、バーデン国王の言葉として扱われます。 これがその勅命の宣旨書(せんじがき)でございます」


「ッ―――なっ!!」


 驚愕の色を浮かべ、私の手から宣旨書(せんじがき)を奪い取ったお兄様は、バーデン国王直筆の署名を目にし、その目の色を変えました。


「お兄様、私は即刻の停戦を願います!」


「ッ―――バ、バカなことを申すな、シークリー! 勝利はもう目前なのだぞ!!」


「お兄様は、あのポートブレア城壁にずらりと並ぶ、あの恐るべき竜騎士部隊をご覧になっていらっしゃらないのですか?」


「………いや、あれは……。竜騎士はきっとあのまま動かぬに決まっている」


 ⦅……きっと(・・・)って………⦆


「お兄様も、あの人族軍ソーテルヌ卿の声をお聞きになっているでしょう?」


「………まぁ……」


 お兄様を説得している最中に、三度目の警告が耳に届きました。

 もう猶予はありません……。


「お兄様、もう時間の猶予は残されておりません。即刻の停戦を――……」


「ッ――うるさい! うるさい! うるさい! うるさい―――!!!

 ここは父上より預かった、私の戦場だ!

 叔父上、シークリーは本陣に来なかった――それでよろしいですね?」


「っえ………?」


 バラバック叔父様が私の腕を掴み、陣営から連れ出そうとしたその時―――


 四度目の警告が響き渡りました。


 私は理不尽な力による排除に唇を噛みしめながら、ただ一人、空に鎮座する人影を見上げました。


 ―――その時、事件が起こったのです。






『警告はこれで最後――そう告げる、ソーテルヌ卿の四度目の警告が響き渡ったその瞬間―――


『ガッシャ―――ン!』


 小さな落雷が、空に浮かぶ人影の近くへ激しく落ちました。


 ⦅あ、あれは………⦆


 私は見てしまいました。

 人影へ向けて放たれた一本の矢と、それを撃ち落とした落雷の軌跡を。


 アレが偶然であるはずがありません。

 ですが………あんなことが出来る人など普通居ません。

 落雷とは天災、雷撃(サンダー)の魔法とは比べ物にならない威力があります。

 その落雷を人為的に落とすなんてありえない!

 あまつさえその落雷で飛んでいる小さな一本の矢を撃ち落とすなんて………




 戦場を、一瞬の静寂が支配した。

 そして――次の瞬間。

 圧倒的な“マナ”が奔流のようにあふれ出し、一瞬にして全戦場を覆い尽くす。

 空気が震え、地がたわみ、世界がまるで神の降臨を前にひれ伏すように暗転した。

 それは、理すら屈服せざるを得ぬ“力”の顕現だった。


 ⦅あ…あぁぁぁ………⦆

 ⦅これが……人族の英雄、ソーテルヌ卿の力……!?⦆

 ⦅我らは……ソーテルヌ卿……否、王祖様の逆鱗に触れてしまった……!⦆


 そして――

 耳元に響く、荘厳なる詠唱の声。


天・元・行・躰・てん・げん・ぎょう・たい・神・変・神・通・力しん・ぺん・じん・つう・りき――……』


 ⦅ッ――――――!?⦆


 天に鎮座する人影が金色(こんじき)に輝き始めました。

 まるで神が突如として天より降臨なされたかのような、畏怖と崇敬が入り混じるその光景に、私は息を呑みました。


 そして、その御方が抜いたのは―――あの、鬼人族が愛用する『刀』。


 けれど、それは私の知るどの刀とも異なる……否、比べることすら無礼に思えるほど、圧倒的な“マナ”の奔流をその身に宿していたのです。


 ⦅あぁぁ…… あれこそが、鬼丸国綱(おにまるくにつな)


 そう、伝承に語られる、かつて王祖様のみが手にしたという“至宝の刀”。

 他の誰にも抜くこと能わず、ただ王祖様の御手にのみ応えたというその剣が、今、目の前に――!


 ⦅やはり……! 人族の英雄、ソーテルヌ卿は……王祖様の、御生まれ変わりに違いありません!⦆


 そして―――その口から、威厳を帯びた声が響き渡りました。


 ≪————金翅鳥王剣(きんしちょうおうけん)!————≫


 王祖様の奥義と伝え聞く、金翅鳥王剣(きんしちょうおうけん)が振るわれました。

 その一閃は、まるで天が裁きを下したかのごとき威力で、大地を裂きました。

 裂けた地の底へ、何百という鬼神兵が呑まれてゆく……その光景は、もはや現実のものとは思えません。


「こ、こんなの……あり得ない! 人が、大地を斬るなんて……!」


 私は鳥肌が立ち震え、天に鎮座するその人影を直視できなくなりました。

 畏れ……恐怖……敬虔……それとも崇敬の念だったのでしょうか。

 その時、ふと脳裏に蘇った言葉――


神を殺す力(・・・・・)


 自分の恐ろしい予感が確信へと変わった瞬間でした。


 そして――その確信は、私の魂の奥底に眠る鬼人の血脈に刻まれた記憶を呼び覚ました。

 鬼神の民が王祖様を崇めるのは、単なる統べる者ゆえではない。

 争乱の中で断絶の淵にあった我ら鬼人族を、一つに束ねた圧倒的な力――その支配者たる揺るぎなき力こそが、我らの恭順と崇敬を強いるのだ。


 血の記憶が今、私の恐怖を狂信にも似た信仰へと変え、深い愛へと昇華させていく。

 目の前の王祖様を、私は恐怖に震えながらも再び見上げる。


 その姿は神々しく、そして――魂の奥底で眠る鬼神の血を熱く掻き立てる、圧倒的な威厳に満ちていた。

 鼓動は高鳴りを増し、胸の奥は焼けるように熱く疼き、身体の震えはただ恐怖や畏敬だけではなく、抑えきれぬ熱情をも帯びていた。

 私は言葉にならぬ想いを胸に抱きしめ、その熱に身を焦がされていた。


 ⦅あぁ……王祖様――――!⦆


 ―――そして、

「ラトゥール――! 殲滅せよ!!」


 震える耳元に響いたその声は、誰もが畏怖する魔神族五将の一人、ラトゥール将軍へ下された命令でした。

 しかし、不思議なことに、その言葉は私以外には聞こえていないように感じられました。


 ラトゥール将軍に命を下せる人は魔神族の皇帝以外、ラフィット将軍しか居なかったと聞きます。

 私は戦場で聞こえたその名に、胸がざわつき、激しい嫉妬の念に駆られました。

 王祖様の言葉には、ラトゥール将軍への揺るぎなき信頼と深い愛情が込められていることを感じ取ったからです。




 耳を(つんざ)く雷鳴と共に、無数の稲妻が一斉に大地へと叩きつけられた。

 煌めく閃光が大地を裂き、稲妻の奔流が戦場を容赦なく打ち据えていく。

 その降り注ぐ雷光の合間を縫うように、数多の竜騎士が空を舞い、雷光と共に猛威を振るっている。

 落雷と竜騎士の圧倒的な力が、我ら鬼神軍を容赦なく蹂躙していた。


 そして……

 ズゥーーン、ズゥーーン、ズゥーーン、ズゥーーン――と、胸を震わす不吉な地響きが戦場に響き渡った。

 その地響きの発生源、ポートブレア東城壁から、漆黒に近い濃紫色の巨大な竜がゆっくりとその姿を現した。

 ところどころ青白く淡く光る鱗の間から、膨大な雷がその巨体の内に蓄えられているのが見て取れる。


「あ……あれは……雷嵐竜シュガールさま……」


 人族軍が太古の神竜(エンシェントドラゴン)を従えているという噂は、他種族の誰もが大ボラ話と一笑に付しておりました。

 しかし――その噂は紛れもなく真実でした。


 降り注ぐ落雷の渦中に姿を現した雷嵐竜シュガールさまは、我ら鬼神族にとっての天祐ならぬ厄災そのものでありました。

 戦場は既に、戦いの舞台ではなく、一方的な虐殺の現場へと変わってしまっていたのです。



 今この一瞬にも、数多の鬼神兵たちが命を散らしています。

 その地獄のような光景に、お兄様も叔父様も血の気を失い、蒼白な顔のまま思考を止め、呆然と立ち尽くしていました。


 けれど私は……いえ、私の中に流れる鬼神の血は、眼前に現れた“絶対”とも呼ぶべき王祖様の威光に、畏怖とともに高鳴る胸を抑えることができなかったのです。


 私は、力なく項垂れた叔父様の手を振りほどき、戦意を喪失したお兄様から伝令用の魔術具を奪い取り――

 恐れと震えを押し殺しながら、声を張り上げました。



「お…王祖様―――ッ! お願いです、もう……もうお止めください!!  鬼神族の王権ジャイサールの名において――我ら鬼神族は、ここに停戦を願い入れます!!」





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