第八章78 選択2
プリシラがアーロンに目くばせすると、彼も無言で頷き返し――
二人は同時に、馬上から地面へと飛び降りた。
「プリシラ―――! アーロン!!」
アンドレアの叫びが響いた、まさにその瞬間――
ドォオオオオオオオオン――――ッ!!!
後方から、轟音とともに炎の柱が立ち昇った。
二人は馬から降りると同時に、魔力を込めた魔法剣に炎と稲妻を纏わせ、それを追撃部隊の中心へと投擲していたのだ。
さらにそのまま、プリシラとアーロンは敵陣の中へ突入する。
次々に、爆発が巻き起こる!
だが――追撃部隊は止まらなかった。
彼らの狙いはただひとつ。
ベルハルトが抱える“宝剣オルクリスト”。
そのためなら、いかなる犠牲も厭わない覚悟があった。
しかし、プリシラとアーロンの強襲により、部隊は大きく撹乱されていた。
弓兵たちは構えすら取れず、一斉射撃は不可能となる。
弓を引く構えは無防備。
今の彼らにとって、それは死を招く隙に他ならなかった。
「ひっ、ひぃぃぃ……!!」
悲鳴を上げ、一人、また一人と――
鬼神族の騎士たちは、狂戦士と化したプリシラとアーロンの剣によって、次々と斃れていった。
―――しかし。
犠牲を顧みない捨て身の突撃は、ついにベルハルトとレギーナが乗る馬を捉え――そして、呑み込んだ!
ベルハルトは、馬を操りながらも迷わず槍斧を振るう。
それは、かつてイザベル将軍から託された伝説級の武器――
“裁きの槍斧”。
今では完全にベルハルトを主と認め、彼の意志に応じて力を振るってくれる。
馬上において、“槍斧”は理想的な武器だ。
長大なリーチと重みを兼ね備えたその一撃は、馬の速度を活かし、敵陣を切り裂く。
ベルハルトの振るう“裁きの槍斧”は、まさに神話のごとき威力を誇り、
レギーナを背にかばいながらも――
鬼神の如き強さで、迫る追撃兵たちをなぎ倒していく!
―――だが。
数で圧倒する追撃部隊の中に、明らかに異質な存在が混ざっていた。
それは、まるで命を惜しまぬ死兵――。
自らの命など微塵も顧みず、ただ“宝剣オルクリスト”を目指し、狂ったようにベルハルトへ襲いかかってくる鬼神兵たちだった。
ベルハルトの振るった”裁きの槍斧”が、一人の鬼神兵を貫いた――
が、その鬼神兵は止まらない。
槍に身体を貫かれたまま、顔を歪めることすらなく、そのままレギーナへと手を伸ばしてきた!
「ばっ……や、やめろ! 狂っている!!」
ベルハルトは振り払おうとした。
だが、貫かれた鬼神兵は槍斧から逃れようとはせず、逆に自ら槍の刃へと身を深く沈め――
その勢いで、さらに近づこうとする。
いくら伝説級の槍斧だったとしても、、人一人を串刺しにしたまま自在に振るえる者などそう多くはない。
特に、槍斧のように柄が長く、先端が重い武器は、
貫いた相手が“重しとなれば、それだけで動きが大きく制限される。
まるで、武器そのものを“封じる”ことを目的としたかのような行動だった。
―――そして。
ベルハルトの動きが僅かに鈍った、その瞬間。
狂気に染まった鬼神兵たちが、一斉にレギーナへと殺到した!
「くっ……!!」
ベルハルトは即座に、“裁きの槍斧”の固有スキル――
『大地の断罪』を発動する。
“大地の断罪”は貫いた敵を中心に地を伝い周囲の敵に大ダメージを与える範囲攻撃範囲技だ。
だが、このスキルには致命的な欠点がある。
起点となる敵が地に足をつけていなければ、衝撃波はうまく地脈を伝わらず、威力は大きく減衰してしまう――。
今の状況は最悪だった。
起点となる鬼神兵は、まだ馬上に串刺しのまま。
発動条件としては不完全そのものだった。
それでもベルハルトは迷わなかった。
『大地の断罪』が発動し、半ば強引に地を揺るがす魔力が奔る。
馬の足元を割るように震動が走り、追撃部隊の馬たちは一瞬で行動不能に陥った。
だが、それも時間を稼ぐにすぎなかった。
鬼神兵たちは、すでに馬を飛び降り、レギーナ目がけて殺到していた――!
一人の鬼神兵が、“宝剣オルクリスト”へと手を伸ばす!
同時に、もう一人がレギーナの腕を掴み、さらに別の一人が彼女の足を捉えた。
レギーナは、必死にベルハルトの背にしがみついていた――
だが……鬼神兵たちの力は、想像を遥かに上回る。
「ッ……ぐっ……あぁあああ――」
抵抗も虚しく、レギーナの腕が、ベルハルトの腰から、ゆっくりと、確実に引き剥がされていく……。
その“剥がれてゆく感覚”を、ベルハルトははっきりと背中に感じ取った。
思わず振り返る――
彼の目に映ったのは、鬼神兵に無理やり外された腕を自分へと手を伸ばしていたレギーナの姿だった。
「レギーナ―――ッ!!」
⦅俺は……またレギーナを失ってしまうのか?⦆
しかし、
レギーナのその伸ばされた手には『宝剣オルクリスト』が握られていた。
落下の途中、彼女はベルハルトに視線を向け、小さく頷く。
その瞳が告げていた。
『この宝剣を守ることがあなたの主命でしょ? さぁ宝剣を!』………と。
⦅宝剣オルクリスト―――!!⦆
命を賭してなお、鬼神族が求め続ける“ドワーフの至宝”。
それが敵の手に渡れば、今度こそ取り返しのつかない災厄が訪れるかもしれない。
今後起こるかもしれない惨劇。
もちろん、そんな未来の不確定な出来事にまで責任を持つ義務などベルハルトには無い。
………しかし!
ベルハルトは――“宝剣オルクリスト”へと手を伸ばした。
その瞬間、落ちていくレギーナが微笑み、静かに頷く。
「……それでいい。愛しているわ……ベルハルト」
記憶を失っているはずの彼女の唇から、確かに愛の言葉がこぼれた。
それは、すべてを受け入れた者の、最後の祈りのように響いた――。
――だが。
ベルハルトの手が掴んだのは、“宝剣”ではなかった。
彼は迷いなく、レギーナの腕をギュッと抱きとめたのだ。
「ッ……なっ!」
『もう離さない』――その強さが、彼のすべてを物語っていた。
レギーナの腕に握られていた“オルクリスト”は鬼人兵の手に渡っていた。
『なっ……なぜ……?』
と、レギーナが呆然とベルハルトを見る。
使命を選ぶと信じていた彼が、
その使命を捨てて自分を選んだ――そのことが、信じられなかった。
ベルハルトは何も言わず、彼女を強く抱き締める。
その腕にこそ、
彼が守りたかった“唯一の宝”があった。
『宝剣オルクリスト』を手に入れた鬼神兵たちは、それ以上ベルハルトたちを追うことはなかった。
ディケムから送られてくる映像を確認しても、追撃部隊はすでに反転し、本陣への帰還を開始していた。
あれほどの執念で襲いかかってきた者たちが、目的を果たした途端、まるで熱が冷めたかのように動きを止めたのだ。
その事実が、『宝剣オルクリスト』を失ったベルハルトに、後味の悪い敗北感を残した。
⦅俺が一番守りたかった宝は守れた。だが……⦆
心の奥底に、何か大きなものを取り逃がしたような感覚が、じわじわと広がっていく。
レギーナのぬくもりを抱きながらも、ベルハルトの胸には重い静寂だけが残っていた。
しばらく馬を進め、小高い丘の上で先頭を走っていたベルハルトが馬を止めた。
「……もう大丈夫だ」
そう言って振り返ると、後続のアンドレアとイグナーツも次々と馬を止め、彼の隣に並んだ。
振り返ったその瞬間――
逃げることに必死で、戦場の様子をまったく把握していなかった彼らの視界に、眼下に広がる“現実”が飛び込んできた。
息を呑む。
それはまさに―――壮絶な光景だった。
大地を裂く斬撃。
天より落ちる幾筋もの雷光。
空を埋め尽くす一〇〇を超える竜騎士たち。
そして、色とりどりの精霊たちが宙を舞い、力を放っていた。
神の御業としか思えない、まるで伝説の中に迷い込んだような光景。
それが、今まさに“現実”として彼らの目の前で繰り広げられていたのだった。




