第八章64 同調
「アーロン先輩、私は紛い物の精霊使いです。 だから私と契約した『怒りの精霊』の階位や名前すら知りません。 なのでイ・シダール先生のように怒りの伝染や付与、ましてや別の狂戦士を作り出すなんて高等な事は出来ません。 だけど『怒りの精霊』の特質とでも言いましょうか……… 他者の怒りと同調する事ができます」
「怒りの同調?」
「はい。 ですがまず今まで私が独自に調べた『怒りの精霊』について説明すると。 憑かれた者は爆発的な怒りに支配されます。 その怒りは本来人が持つ自己防衛本能、肉体が破滅しない為にあるリミッターを外し、人が潜在的に持つエネルギーを一〇〇%引き出し力に変換します。 そしてエネルギーが枯渇すれば『怒りの精霊』は更に力を求め、魂を力に変え憑代が力尽きるまで力を出し尽くします」
「でも…… 精霊契約で勉強した内容によれば、憑代が死んじゃったら『怒りの精霊』自体も死んじゃうんじゃ……?」
「はい。 それが今まで私も理解できなかった事なのですが…… イ・シダール先生の使い方を見て、本来の『怒りの精霊』の使い方を私も知りました。 ですが今の私にはあんな高等な使い方は出来ません。 ……いや、私と契約した精霊が最低級の精霊だったとしたら、そもそもあんな使い方は出来ないのかもしれない、私の命を代償としてマナに帰り『格』を上げる為、破滅を望んでいるのかも……」
「そんな………」
「……良いのです、私の存在自体が多くの犠牲の上にある罪な存在なのですから」
「「「…………」」」
「話を戻しますが、人の感情とは伝染するのはお分かりいただけますか?」
「感情が伝染?」
「はい。 例えば多くの人が集まる劇場では、演劇を見た人々は楽しい感情を共有します。 またコロシアムなどでは感情が高まり興奮が伝染します。 そして戦場では――怒りの感情が伝染し、部隊の指揮は一気に上がるものです」
「それを共感と言うけど…… 確かに伝染ともとれるわね」
「私はこの怒りの精霊の特性『伝染』を生かし、アーロン先輩の怒りに共感し、さらにその深度を深め同調させます」
「怒りの…… 同調?」
「はい」
「同調できれば、アーロン先輩の怒りを共振させ、私がコントロール出来るはずです」
「ごめん……、正直言って俺には難しくて何言ってるのか分からなかった………」
「大丈夫です。 実際やってみれば感覚的にアーロン先輩にも分かると思います。 怒りをコントロール出来れば破滅は回避できます」
「なるほど」
「でも、これは……偽精霊魔法師の私にとって非常に難しいコントロールになります。 例えるなら強風の崖の上で常に傾くシーソーのバランスをとるようなもの…… リスクが無いとは言えません。 それでもアーロン先輩、私にかけて貰えませんか?」
アーロンはプリシラの話を聞いても、躊躇することなくすぐに頷いた。
「元から俺一人でやるつもりだったんだ、もしプリシラが失敗したとしても問題無い。 むしろ有難うプリシラ。 俺の我がままに付き合ってくれて」
アーロンの言葉を聞き、プリシラが今までに見せた事のない心からの笑顔を見せた。
そして……… ゆっくりと目を閉じる。
目を閉じたまま集中するプリシラ。
すると―― 『ウリィイイイイイイ――……』
プリシラの口から、うら若き侯爵令嬢のものとは思えない声が響く。
その地の底から響くような声にアンドレアとイグナーツは息を呑む。
次にプリシラが目を開けた時、その目は今まで見た強戦士の誰よりも格段に赤く染まっていた。
その赤は今にも血が滴りそうな程鮮烈で、赤すぎる赤は決して濃い訳でもない……
「プ、プリシラ………?」
恐怖に後退りするアンドレアとイグナーツ。
しかし狂戦士となったプリシラは、返事を返す事は無く暴走する事もなくアーロンだけを見つめていた。
そしてアーロンはプリシラが狂戦士化した事を見届けた後――
同様にゆっくりと目を瞑った。
それはとても不思議な光景だった。
なぜなら狂戦士とは爆発的な怒りにより肉体のリミッターを外すとプリシラは言っていた。
しかしプリシラとアーロンは今、怒りとは真逆に静の状態だと言って良い。
アンドレア達にも伝わってくる、二人が狂戦士として深くシンクロしてゆく気配を……
そして張り詰めた静の空気と、それとは真逆の二人から伝わってくる狂気の気配をアンドレアとイグナーツは固唾を呑んで見守っていた。
少しすると……
静かにプリシラが見つめるアーロンに変化が訪れた。
目を瞑ったままの瞑想状態は変わらず表情が歪みだしたのだ。
それは、怒りを爆発させたいのに『待て!』と言われた子犬の様に落ち着きなく表情が変わっている。
もし今プリシラが心の手綱を離したのなら、アーロンはすぐさま戦場へ飛び出し暴れ破滅へと突き進んでしまうだろう。
そして暫くして、落ち着く事の無かったアーロンの表情が突然無に変わった。
見ているアンドレア達も、今二人が何かパスのようなもので繋がった感覚が伝わって来た。
すると目を瞑ったままのアーロンから発せられる狂気の気配が数倍に膨れ上がった。
――そして!
『ヴリィイイィィィ―――………』
アーロンの口からもプリシラが発した様な聞く者を心の底から震え上がらせる声が響いてきた。
『ひっ!』アンドレアの口から悲鳴がこぼれる。
そして今度は目を瞑ったままのプリシラの額に汗が浮き上がっている。
アーロンに宿る怒りの精霊の力がプリシラの予想をはるかに上回っていたようだ。
心の手綱を握るプリシラは手に余るアーロンの力を必死にコントロールしている。
もしここで失敗すれば………
プリシラの行った『同調』は、ただ眠っていた獅子を呼び起こしたただけの裏目の行為なってしまうだろう。
しばらく二人を繋ぐパスの綱引きが続いたあと、勝敗の決着が訪れた。
流石にプリシラに一日の長が有ったようだ。
手綱の主導権を握ったプリシラがアーロンの暴走を抑え込んだ。
そして少しすると……
垂れ流され続けていたアーロンの膨大な狂気は、内へと収まっていった。
プリシラは皆に約束した通りアーロンと同調し、怒りをコントロールする事に成功した様だ。
穏やかな顔で、静の状態に落ち着いたアーロンはゆっくりと目を開ける。
「アーロン?」 「アーロン!?」
アンドレア達の問いかけにアーロンは答えなかったが……
開かれた瞳はプリシラよりもさらに赤すぎる赤だった。
深い深度で狂戦士化した二人は、即座に暴れ出す事も無くただ静かに立っていた。
しかし何か二人だけのパスで会話している様にも見える。
そして………
アーロンとプリシラは頷き合うと驚く勢いで戦場へと飛び出していった!




