第八章62 疑心
―――鬼神族視点―――
鬼神軍本営にて、
ハワーマハル第二王子の隣に立つ、バラバック王弟殿下が全軍に号令をかける!
「全軍行けぇ―――!!!! なんとしてでもバーデン王を討ち取り! その証としてドワーフ族の宝、宝剣オルクリストを奪うのだ―――ッ!」
鬼人軍とドワーフ軍の最後の戦いが、城塞港湾都市ポートブレアの目前で開戦した。
「ハワーマハル殿下! 先鋒部隊、ドワーフ軍と交戦に入りました!」
「殿下! 戦況は我軍が押しています!」
「殿下! 今、戦場の流れは我が軍にあります。 このまま一気に勝利を掴む為、本陣の出陣で全軍の士気を上げる事がよろしいかと!」
鬼神族軍 対 ドワーフ族軍は、やはり自力の差で鬼神族軍有利に動いていた。
………しかし。
戦闘が始まり中立都市ポートブレアへ逃げ延びようとするドワーフ民。
その民衆を追いかけ鬼神族軍もポートブレアへ近づいたとき―――
鬼神達はポートブレア領域を示す堀の先に脅威となる人族軍の旗を見た。
「ハ、ハワーマハル殿下大変です! ポートブレアに人族軍の旗が見えます!」
「で、殿下――! ポートブレア城壁に竜騎士の存在確認! そ、その数………一〇〇騎以上!」
「ッ―――なッ!? バッ、バカな!」
「竜騎士が一〇〇騎だと!? 二騎三騎ならまだしも、あんなものが一〇〇騎など有るはずなかろう! もっとしっかり報告しろ!」
「し…しかし殿下……… あ、アレを……アレをご覧ください!!!」
側近に言われるまま遠眼鏡を覗き込んだハワーマハル第二王子とバラバック王弟はあり得ない光景を見た。
それは中立都市ポートブレアの城壁に待機するバカげた数の竜騎士………
「ッ―――!!! な、何なのだあの竜騎士の数は………ありえない」
震える手で覗き込む遠眼鏡の中には………
一騎当千の竜騎士が城壁にずらりと並ぶ圧倒的光景映っていた。
さらによく見ればその一騎一騎、竜騎士の飛竜の姿も彼らが知るソレとはまったく違った。
尋常ではない大きさと強暴さを秘めいた。
あそこに並んでいる竜騎士一騎一騎が、一騎当千と謳われる竜騎士をさらに超えているのは誰の目にも明らかだ。
彼らは瞬時に理解した。
『あ、あれはヤバ過ぎる―――!!!』と。
「もっ……者共! あの堀がポートブレアの領土境界線だ! 決してあれを超えてはならぬぞ! あの堀さえ超えなければ竜騎士は襲って来ぬ!」
恐怖のあまり咄嗟に放ったハワーマハルのその命令は珍しく的中していた。
鬼神軍が堀を超えてくれなければラトゥールは竜騎士を動かせない。
まぁ……正直言えば、ラトゥールにとって領土線などどうでも良かったのだが………
鬼神族と敵対したところで『鬼神どもを全て殲滅してしまえば良いではないか!』と言うのがラトゥールの思考だ。
ラトゥールの言動はいつも脳筋だがバカではない。
それはラトゥールに師事を仰いでいるシャンポール王国軍の誰しもが知っている事だ。
鬼神族の最大戦力を前にしても、そう言えるだけの力をソーテルヌ総隊はつけてきたとラトゥールは確信している。
そのラトゥールの自信が、またソーテルヌ総隊一人一人の誇りにも繋がっていた。
それなのにラトゥールが今、領土線を厳守しているのはディケムに怒られるのが怖かったから………只それだけだ。
しかし戦場は生き物。
小さなきっかけで状況は劇的に変化する。
―――突然、戦場に誰かの声が響き渡る!
「狂戦士だ―――!!!!」
戦場にこだました一兵士のその一言が流れを変えた。
最初、鬼神兵たちは味方の軍に狂戦士が顕現したと思った。
それはこれまでの戦場で幾度となく狂戦士が友軍に顕現し、窮地を救われた経験から潜在意識に刷り込まれた事だ。
『狂戦士=味方』………と。
しかし狂戦士が顕現したのは戦場の最前線ではなく、後方に近い場所。
鬼神兵達は無防備な背後から狂戦士に襲われる形となった。
それでも冷静に考えればこれ程大きな戦場では、たとえ狂戦士が顕現したとて、戦術的形勢を変えられたとしても戦略的戦局を覆す事は難しい。
多く見積もっても百人前後の被害が増えるだけだ。
しかし今回は運がドワーフ族に味方した。
それは事前に敵軍の竜騎士部隊という圧倒的戦力を見てしまったからかもしれない。
もしくは先の戦いで天使の降臨と言う想定外の破滅的な出来事が起きたからか……
そんな様々な要因に鬼神兵一人一人の心の奥底に『恐怖』が植え付けられてしまっていた。
そこに『狂戦士=味方』と信じきっていた信頼に裏切られたのだ。
誰しも予想外の事が立て続けに起きれば不安はさらに大きくなる。
ましてや深層心理に深く『恐怖』が植え付けられてしまっている者ならば、それは一層強くなり疑心がさらなる疑念を生む。
『さらなる巨大な敵が後方から襲いかかって来るのではないか?』
『このまま我々は挟み撃ちになるのではないか?』……と。
そして鬼神軍はパニックに陥り、取ってはいけない行動をしてしまう。
挟み撃ちになる事を恐れた後方部隊が前線部隊を押し、ポートブレアの領土線の堀、防衛ラインを越えたのだ。
領土線を示す堀を雪崩れるように超えてしまった鬼神族軍………
最前線にいた鬼神兵達は一瞬にして恐怖に陥った。
自分の意思とは無関係に押されるように領土線を越えてしまった………
超えてはならぬ境界線を越えれば……… あの圧倒的な竜騎士が襲って来る!
鬼人軍が領土線を越えた事で、それまで動くことが出来なかったポートブレアのドワーフ軍とラス・カーズ将軍率いる人族軍連合が一気に動き出した。
これまで鬼人軍に攻められ続けた戦場が一転、今度は竜騎士部隊の圧倒的戦力を含めたポートブレア連合軍に鬼神軍が窮地に陥る―――筈だった。
だが戦場は生き物。
さらなる想定外が起こり今度は運命の天秤が鬼神族に傾く。
パニックに陥った鬼神族後方部隊の大部隊が一気に動いた事で、雪崩の如く早い流動が起きた。
その動きはポートブレア領内で待機していたドワーフ族軍の想定を上回ってしまったのだ。
秩序ある戦場が崩壊し、
戦場はポートブレア領内、両軍入り乱れての乱戦状態へと陥ってしまった。
それは鬼神族軍にとって唯一の幸運だった……
鬼神族軍にとって最悪の事態は、秩序を保った戦場で竜騎士の高火力で鬼神軍だけを狙い撃ちされる事。
しかし現在の乱戦状態では、ドワーフ軍・人族軍ポートブレア連合軍はソーテルヌ総隊竜騎士部隊の最大火力を生かせずジレンマに陥っていた。
「チィッ! あの程度の事で陣形を乱すとは…… あの無能どもめ」
ポートブレア城壁の上で、冷ややかなラトゥールの声が響く。
ラトゥールの舌打ちする声は混乱するドワーフ軍へ向けられたものだったが……
城壁で未だ一糸乱れぬ隊列を守り待機する竜騎士部隊の者達の心胆を寒からしめた。




