第八章60 追撃
天使との戦いから一〇日程の日にちが経った。
ドワーフ族の撤退行軍は鬼神族の追撃も無く驚くほど順調に進んでいた。
問題が有るとすれば………
相変わらず民衆が俺を象徴的存在とし姿を見ると崇めてしまう事だったが、俺の代わりにララ達が率先して色々な事に飛び回ってくれたおかげで、何の支障もなく行軍は進んでいた。
普通ならこれ程の大規模な行軍。
しかも訓練など受けていない一般民衆の行軍だ。
いつ敵に襲われるか分からないこの状況下で、これだけ長い日数を管理され歩き続ける事はかなり体力を消耗する筈だ。
本来なら今頃疲労のピークを迎え、行軍進行に著しい遅延が生じてもおかしくない状況だった。
しかしそんな中ドワーフ軍医療部隊の優秀さが際立った。
民衆のケガ・疲労回復だけでなく精神的ケアまで積極的に行われていたのだ。
その細かい対応と気配りには目を見張るものが有った。
我々ソーテルヌ総隊はラトゥールの指導も有り戦闘にはかなりの自信を持っていたが、このような局面ではまだまだ熟練度が足りていないと実感した。
長期の撤退行軍では、もちろん民衆を守る戦闘力は大事だが、民衆の心を守る事はそれ以上に重要で難しい事だと学ばせてもらった。
ララもドワーフ軍の医療部隊に混ざり必死に働いていた。
ここでララが得た貴重な経験は、今後ソーテルヌ総隊医療部隊に大きなプラスとなるだろう。
それはそうと………
民衆の癒しに奔走するララは今では民衆の身近なアイドル的存在になっていた。
ララが歩けば人が集まって来る。
ララの回りにはいつも笑いが絶えなく温かい雰囲気に包まれていた。
俺もせめてあれくらいのポジションで居たかった………
姿を見せる度、崇められるって人としてどうなのよ?
そんな医療部隊の活躍で順調に進んでいた撤退行軍もとうとう終盤。
先頭集団から目的地ポートブレアの街が微かに見えはじめた。
そんな『あともう少し!』と皆が歓喜に湧いたそのとき時………
やはり恐れていた事は起きた。
鬼神族の追撃部隊が現れたのだ。
『ディケム!』
『あぁギーズ俺からも見えてる。 あの様相から見ても和平の使者や逃亡兵って事は無いだろう、十中八九鬼神族の追撃部隊だろうな。 ベルハルト将軍聞こえていますか?』
撤退行軍も大詰め、俺は密な連携を取る為『言霊』の会話グループにドワーフ族のベルハルト将軍を入れていた。
最初は驚きのあまり戸惑っていたベルハルトも今では何とか会話できるようには慣れてきたようだ。
『あ……あぁ聞こえている。 鬼神族の部隊が向かって来ているのは行軍の北東中央辺り、現在第五騎士団が警備している辺りで間違いないか?』
『はい。 他は……中央方面以外には敵部隊は見当たりません、戦力を集中させても問題無いでしょう』
『わかった。 至急各部隊に伝令を発し行軍中央の守りを厚くする』
『はい』
『―――しかし本当にこの”言霊”には驚かされるな。 こんなことが出来てしまったら戦場での連携は劇的に変わってしまう、ほんとズルいではないか。 あとどれ程の力を隠し持っているのか………ディケムのあの力と言いつくづく人族に敵対しなくて良かったと思うよ』
『恐れ入ります』
『ホントに…… いつだってレギーナの人を見る目は確かだった』
『………………』
会話の終わりぎわ、微かに呟くベルハルトの声が聞こえた………
⦅そのレギーナさんが選んだのがベルハルト、あなただったって事を忘れないで欲しい⦆
『敵来襲』の伝令が飛び交い行軍全体に緊張が走る。
永遠と続く行軍全体を浅く広く守っていたドワーフ騎士団が担当配置に少量の兵を残し、鬼神族が攻めて来る中央一カ所に続々と集まってくる。
将軍たちは完全に俺達の情報に一縷の疑念も抱かず兵を動かしたようだ。
もしこれで前後方向に敵影が現れでもしたら、甚大な犠牲は避けられないだろう。
しかし大丈夫。
鬼神族と相対して鬼神族の力はだいたい理解した。
俺を含め四門守護者三名が索敵に全神経を集中させている今、それを出し抜けられるだけの力は奴らには無い。
それにもともと鬼神族は、戦闘力は高いが隠密に関しては不得手としている。
一つの懸念としてアルキーラ・メンデスもいるが……
この盤面で奴が出てくるとは思えない。
奴は俺の神格化を見て、既に満足しこの戦場からは手を引いただろう。
それにこの期に及んでの追撃など、見苦しくて奴の感性に合うはずが無い。
もしまだ近くに居たとしても…… 高みの見物で余韻を楽しんでいる姿が目に浮かぶ。
しかし……… おかしなものだ。
俺が奴と実際に会ったのは一度だけの筈。
なのに何故か奴とは何度も戦った好敵手のように思える。
ある意味俺は奴を下手な味方より信頼している。
鬼神族軍が近づく中、民衆の撤退行軍は足を止めず歩いている。
今のところ騒ぎもせずパニックを起こし走り出す事も無く、ただ黙々と歩き続けている。
民衆もこの行軍で多くの犠牲が出る事はある程度覚悟済みなのだろう。
その民衆を守る様にドワーフ軍が陣を張っている。
陣の先頭に居るのはドワーフ王ザクセン・バーデンその人だ。
どうやらバーデン王は陣の後ろでじっとしていられる人では無いようだ。
ドワーフ軍が平地で敵軍と正面から向き合う所を俺は初めて見る。
正直言えば、平地での大規模な軍勢同士の合戦はドワーフ族には向いていないと思う。
彼らの力を存分に発揮できるのはキャニオンなどの遮蔽物が有る戦場や籠城からの奇襲などだろう。
隠れるところの無いこの戦場では単純な力と力、数と数の勝負となる。
事前に罠の準備でもしておかなければドワーフ軍にとってかなり厳しい戦いになるだろう。
勿論今回は罠を仕掛ける時間など無かった筈だ。
俺は上空から周囲を見渡す。
北に位置するポートブレアを見ると、城壁から数百メートルの場所に堀が掘られ防衛ラインが敷かれていた。
その堀の要所要所にドワーフ族バーデン王国の旗と人族ボーヌ王国の旗が立てられている。
ポートブレアは人族とドワーフ族が管理する中立都市。
あの防衛ラインを鬼神族が割れば人族が自衛の為に攻撃する事も有り得る。
と示しているのだろう。
近づく鬼神族の部隊を見れば、首都バーデンの戦いで最後方に布陣していた鬼神族ジャイサール王国ハワーマハル第二王子の旗が部隊中央に布陣している。
その隣にはバラバック王弟殿下の旗も見える。
王族の旗が前に出てきていると言う事は、それほどこの戦いに本気だと示している。
しかし深読みすれば……… ハワーマハル第二王子がそれだけ余裕が無いとも言えるだろう。
なぜこの最終決戦が必要なのか?
残念だが戦略的に見ればこの戦争は鬼神族の勝利確定だ。
国を捨て敗北を受け入れた窮鼠にわざわざ手を出す事も無かろうに……
ハワーマハル第二王子が引き際を知らないだけなのか?
それとも別の何かを手に入れたいのか……?
そして今―――
ドワーフ軍が全面に作り出したゴーレム部隊と鬼神族の先鋒部隊が衝突した。




